合わせ鏡のデジャヴが怖い。「知ってる」が入れ子になる夜の正体と対処法

「あ、この場面知ってる」と思った、その思考自体も知っている

最近、デジャヴがおかしい。

昔からデジャヴはよく見るほうだった。カフェでコーヒーを一口飲んだ瞬間に「あ、この角度の光、前にも見たな」と思う、あの感じ。それは一瞬でふっと消えて、また日常に戻っていく、可愛らしい違和感だった。

でも、ここ半年くらい、様子が違う。

この前、大学時代の友達に誘われて、会ったことのない四人のメンバーで代々木のタイ料理屋に行った。初対面の人が二人。店も初めて。頼んだガパオライスも初めてのメニュー。全部、初めてのはずだった。

なのに、目の前で友達がレモンサワーを持ち上げて笑った瞬間、「あ、この場面、知ってる」と思った。

ここまでは、まだ普通のデジャヴ。問題はその次だ。

「あ、この場面知ってる」と思った、その思考自体も知っている、と感じた。さらに、「思考自体も知っていると感じた」ことすら、私は前に経験した気がした。合わせ鏡の中で自分が無限に後退していくみたいに、「知ってる」が「知ってる」を呑み込んでいく。箸を持つ手の位置も、店員さんが水を注ぎに来るタイミングも、全部、何重にも折り畳まれた記憶の底にすでにあった気がして、店のBGMのタイ語がやけに遠く聞こえた。

怖かった。

何が怖いって、自分の「今」がどの階層にいるのか、一瞬わからなくなったのだ。私は今、現実を生きているのか、それとも何度目かの再生を眺めているだけなのか。

今年で三十四歳になる。フリーランスで細々と翻訳の仕事をしていて、一人暮らし。睡眠は、まあ、よくはない。四時くらいに一度目が覚めることが多い。

年齢のせいなんでしょうか。それとも、脳が疲れているのか。昔のデジャヴはこんなに入れ子じゃなかった。もっと、さらっとしていた。

共感してくれる人、もしくは、これが何なのか少しでも知っている人がいたら教えてほしい。別に答えが欲しいわけじゃないのかもしれない。ただ、「それ、私も」と言ってくれる誰かがいるだけで、この合わせ鏡から一歩、出られる気がするから。

シオンの応答――「入れ子」という現象の、静かな輪郭

あなたの書いてくれた文章を、二度読みました。

「合わせ鏡みたいに広がっていく」という言い方が、とても正確だと感じています。これは、デジャヴ研究の分野で扱われている現象と、おそらく地続きのものかもしれない。

通常のデジャヴ(既視感)に対して、「自分が今デジャヴを経験している、ということ自体を以前にも経験した気がする」という、一段上から自分の知覚を眺めてしまう感覚――これは臨床的には「déjà vécu(デジャヴェキュ、既体験感)」や、より重層的には「recursive déjà vu(再帰的デジャヴ)」として記述されることがある現象です。単発のデジャヴよりも、時間感覚そのものが折り畳まれるような、独特の不気味さを伴うことが知られています。

あなたが感じた「自分が今どの階層にいるのかわからない」という怖さは、気のせいではないのではないだろうか。知覚の時間軸そのものが揺らいでいるときに立ち上がる、固有の恐怖です。

アキの応答――三十四歳、睡眠四時起き、翻訳、の話

読んでて、「それ、わかる」って本気で思った。合わせ鏡のデジャヴって表現、めちゃくちゃ的確だよね。

あとさ、ちょっと気になったんだけど――四時に目が覚めるの、最近ずっと?フリーランスの翻訳って、集中して文字ずっと追う仕事だよね。目と脳の疲れ方、会社員のそれとは別物だと思うんだ。

私、前にめちゃくちゃ画面見続けてた時期、似たような「現実が何度目かに思える」みたいな感覚あって、あれ、睡眠の質が崩れると出やすいって聞いたことある。脳が記憶の処理、追いつかなくなる感じなんだって。

だから、年齢のせいって決めつけなくていいと思う。三十四歳はそういう歳じゃない。

診断――「入れ子のデジャヴ」に潜む、認知の罠

あなたの文章にはひとつ、静かに効いている思い込みがあります。

それは、「昔のデジャヴはそうじゃなかった=今の自分の脳がおかしくなっている」という等式です。

この等式は一見、自然な推論に見える。でも、ここには二つの飛躍が隠れています。

ひとつ――「昔のデジャヴ」の記憶は、すでにあなたの現在の脳が再構成したものであり、実際にどのくらい「さらっとしていたか」は、正確には比較できない。記憶とは、現在から過去を塗り直す作業だからです。

もうひとつ――デジャヴの「入れ子化」は、加齢よりも睡眠の断片化・慢性的な注意力の分散・画面越しの高密度な情報処理と関連が深いとされる現象です。あなたが書いてくれた生活情報――翻訳業、四時の中途覚醒、一人暮らし――は、どれも「脳が記憶を整理する時間が削られやすい」条件と重なっています。

つまり「年齢の問題」ではなく、「脳の休ませ方の問題」である可能性のほうがずっと高い。

本質的な結論

合わせ鏡のデジャヴが怖いのは、その現象そのものではなく、「自分の知覚が信用できなくなる」瞬間に立ち会わされるからです。けれどその不信はあなたの脳が壊れているサインではなく、「休ませてくれ」と声を上げているサインなのかもしれない。

まずやることはひとつ。次に入れ子のデジャヴが来たら、怖がる前にその日の睡眠時間と直前の画面接触時間をメモすること。二週間続ければ、相関が見えてくる。答えを急がなくていい。あなたの知覚は、壊れていない。ただ、少し疲れている。それだけのことかもしれないのだから。

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