「偉くなくていい」と言われても、降りられない夜に
二十代半ばの私は、夜、部屋の電気を消したあとに考えごとをする癖がある。テレビをつければ誰かが大きな舞台で笑っている。スポーツで、ビジネスで、芸能で。あの人たちは才能を社会のために使い切っている。立派だと思う。けれど、それを見ている私はただ消費しているだけの自分でしかない。楽しんでいるだけで、私は何ひとつ偉くない。
どうせいつか死ぬのなら、もっと精神的なことや偉大な理想のために生きたい。そう思ってしまう。でも、私には才能がない。だとしたら、世間の潮流から完全に離れて、自分ひとりで理想の世界を考え、築いて、そのなかで生きるしかないのだろうか。誰にも見られない場所で自分だけの正しさを信じて。それが私に残された唯一の道なのだろうか。
よりみちナビゲーターの対話
ケンゴ まず整理させてほしい。きみの悩みは二つに分かれていると思う。「自分の人生を何に捧げるか」という問いと、「才能のある者と比べて自分は偉くない」という劣等の感覚。この二つは別々に扱ったほうがいい。混ぜると答えが出てこない。
アキ うん、ケンゴの言うこと、構造としてはわかる。でもね、本人のなかではその二つ、きれいに分かれてないと思うんだ。「偉くない」っていう痛みが先にあって、それを埋めるために「偉大な理想」を探してるんじゃないかな。私そういう焦りの体温、知ってる。SNS開くとみんなが何者かになってて、自分だけ充電切れのイヤホンみたいに置いていかれてる感じ。
ケンゴ その感覚を否定はしない。だが、あえて言う。理想を「劣等感の穴埋め」として始めると、たいてい長続きしない。穴は埋まらないからだ。マスメディアが映す成功は、生存者の偏った標本にすぎない。映らなかった大多数の人生はただ報じられていないだけで、無価値なわけではない。きみは「主流から離れて独自の世界を築くしかないのか」と問うているが、それは少し性急だ。離れる前にまず、「比べる土俵そのものが歪んでいる」と気づくほうが先だろう。
アキ それも一理ある。ただ、それって頭で納得しても夜になるとまた苦しくなるやつだよ。「土俵が歪んでる」って理屈じゃ、明日の朝の足の重さは消えないの。私はまず「楽しんでる自分は偉くない」って思い込みをちょっとだけ手放してほしい。消費してるときのあなたは、ちゃんと生きてる。それだけで充分なことだって、本当はあるんだよ。
ケンゴ ……感情の側から、そう言いたくなる気持ちはわかる。ただ、私はこう考える。「充分だ」と慰めるだけでは、彼が抱えた「捧げるに値するものへの渇き」をなかったことにしてしまう。それは別の不誠実だ。彼は実際に、意味を求めている。革靴の底が減るように、毎日少しずつ何かを擦り減らして生きるなかで、「これは何のためなのか」と問う権利が、誰にだってある。その問いを、安心のために塗りつぶすべきじゃない。
アキ ……それはそうかも。私、ちょっと急いで救おうとしたかもしれない。
シオン ふたりの言葉は、どちらも嘘ではないだろう。ケンゴは「問いを生かしておけ」と言い、アキは「問いに殺されるな」と言っている。順番が違うだけで、向いている方角は近いのかもしれない。
ところで――ひとつ、別のことを思った。この方は「独自に理想の世界を築いて、そのなかで生きるしかないのか」と問うておられる。けれど本当に偉大なものは、世間から離れた場所で「築く」ものだろうか。いま立っている場所で、ふと「見つかる」ものではないだろうか。古い時計の振り子は遠くへ行かない。同じ場所を往復しながら、時を刻み続けている。
自分に問いかけるロードマップ
ご自身の心を、少しだけ分けて眺めてみてください。
- 私が「偉大な理想に生きたい」と願うとき、その願いは「意味への渇き」から来ているのか、それとも「比べて負けたくない」という痛みから来ているのか。
- 「楽しんでいる自分は偉くない」と自らを裁くとき、その「偉い/偉くない」の物差しは誰が決めたものなのか。
- 世間から離れて独自の世界を築くことと、いまいる場所で意味を見出すことは、本当に二者択一なのか。
本日の羅針盤
ケンゴは言います。比べる土俵が歪んでいることに気づくのが先だ、と。理想は劣等感の穴埋めではなく、それ自体として育てるものだと。
アキは言います。意味を探す前に、ただ生きている自分を一度ゆるしてあげていいと。
そしてシオンは、理想とは遠くで築くものではなく、足元で見つかるものかもしれないと問いを残しました。
三人の声は、ひとつにまとまりません。けれど共通しているのは「あなたが意味を求めること自体は、まったく間違っていない」という一点です。世間の潮流から完全に隔絶した世界を、ゼロから築く必要はおそらくありません。理想はいまの暮らしのなかに、種として埋まっていることが多いものです。
なお、もし「自分は偉くない」という感覚が日常を重く沈ませ、眠りや食事にまで影を落とすようでしたら、専門機関への相談もご検討ください。意味を問う心と心身の疲れは、しばしば隣り合わせにあります。



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