エピローグ 一行目を書いた夜
あの相談を書いてから、二週間が経った。
正直に打ち明けると、最初の数日は何も変わらなかった。朝は重く、通勤電車では相変わらず画面の向こうの誰かと自分を比べ、夜には「今日も偉くない一日だった」と天井を見上げていた。気づきなんて所詮、その場の慰めだったかもしれない。そう思いかけていた。
それでも、ケンゴさんに言われたとおり一行だけは書くことにした。「今日、思わず時間を使ったもの」と「心が少し動いた瞬間」。
一日目。深夜に、見知らぬ国の古い建築を解説する動画を、気づいたら一時間観ていた。心が動いたかと聞かれれば、よく分からない。ただ、観ていた。それだけを書いた。
三日目。職場で後輩の質問に答えていたら、思ったより長く話し込んでいた。「人にものを説明するのは嫌いじゃないらしい」と書いた。
八日目。休日に観たはずの映画より、その映画を誰かが解説している文章のほうに長く時間を使っていた自分に気づいた。
並べてみて、初めて分かった。私はどうやら「何かの仕組みや背景を知って、それを誰かに渡す」その手前のところで、いつも心が動いている。才能と呼べるものではない。誰に誇れるものでもない。けれどこれは、確かに私の足跡だった。私がずっと「偉くない消費」と切り捨ててきた時間の底に、細い筋が通っていた。
干したばかりのタオルのような、と書きそうになって、それは別の誰かの言葉だと思い直す。私の言葉で言うなら、それは長く使った充電器のコードの、いつも同じ場所で折れ曲がる癖のようなものだった。意識せずとも、毎日そこで折れる。私の心も、いつも同じ場所で動いていた。
「人生を捧げる理想」は、まだ見つかっていない。たぶんこれからも簡単には見つからない。けれど、もう焦ってはいない。遠くに偉大な世界を築こうと足元の井戸から目をそらしていた自分は、少しだけ手放せた気がする。
世間の潮流から離れて、独自の理想の世界を築くしかないのか――その問いに、いまの私ならこう答える。築かなくていい。離れなくていい。私はただ、いま立っているこの場所を、来週も十五分、その次の週も十五分、掘りつづければいい。水が出るかどうかは、まだ分からない。でも、湿った土の匂いを信じて掘る時間そのものが、もう私が捧げているものなのかもしれない。
今夜も、一行を書く。
書くという、この小さな能動の半歩が、今日の私にできたたったひとつの偉大なことだった。
『感情の羅針盤』編集長より。
本日お届けした全三章とエピローグは、ひとつの問いをめぐるひとつの応答にすぎません。
ケンゴの構造、アキの火、シオンの静けさ。三つの声は最後まで一本にまとまりませんでしたが、それでよいのだと思います。あなたにとっての答えはこのページの中にあるのではなく、今夜あなたが書く、その一行目の中にあるのですから。
もし掘りつづける手が重く、土の匂いをどうしても信じられない夜が長く続くようでしたら、その手を止め、専門機関に頼ることも立派な一歩です。
それではまた次の相談で。あなたの足元に、よき水脈がありますように。
― 完 ―



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