愛犬を亡くした夜、不思議な現象が起きた ── ペットロスと「気配」をめぐる、優しい思索

私が泣いていると、あの子は行くべきところへ行けないんでしょうか

十六年と四ヶ月、私のそばにいた老犬のシロが息を引き取ったのは先週の火曜日、夜中の一時を少し回った頃でした。北陸の小さな町にある古い借家で、私はもう五年ほど一人暮らしをしています。妻とは十年前に別れ、子どもはいません。シロは別れた家で唯一、私と一緒に来てくれた家族でした。

息を引き取る瞬間、私はシロの胸に手を当てていました。最後に大きく息を吐いて、それきり動かなくなった。私はその場で声を上げて泣きました。五十八にもなる男が、畳の上で子どもみたいに泣いたんです。

その晩はシロの体を綺麗に拭いて、いつもの寝床に寝かせて、私もその横で布団を敷いて寝ました。明け方、ようやく少しまどろんだ頃のことです。隣の部屋から、固定電話の呼び出し音が一度だけ鳴りました。一回きりで、すぐに止んだ。確かめに行っても、留守電にも履歴にも何も残っていないんです。あの古い黒電話のような音は、間違いなく我が家の電話のものでした。

翌日、火葬を終えて骨壺を仏壇の隣に置きました。シロが好きだったジャーキーを供え線香を上げて、「ごめんなあ、もっと散歩に連れて行ってやればよかったなあ」と話しかけていた時です。供えていた小さな菊の、たった一輪だけがすうっと揺れた。窓は閉まっていました。エアコンも止めていた。他の花は微動だにしないのに、その一輪だけが、誰かが指でそっと触れたみたいに揺れたんです。

こういう話を、五十を過ぎた男が口にするのは恥ずかしい。職場の同僚にも言えません。でも、本当に苦しいんです。
十分長生きしてくれた、最期も看取れた、それは頭ではわかっている。それでも、胸にぽっかり穴が開いて、夜になると呼吸の仕方を忘れそうになる。私が泣いていると、あの子は心配で行くべきところへ行けないんでしょうか。私はどう過ごせばいいんでしょうか。

シオンとサキの応答

シオンはしばらく沈黙したあと、静かに口を開いた。

「電話の音と、揺れた一輪の花。──それを『偶然』という言葉で片付けることも、『霊的な現象』と断じることも、どちらもあなたの胸の内側で起きていることの大きさには、釣り合わないかもしれない」

「十六年という時間は、人間の暮らしの輪郭そのものを変えてしまうほどの長さだ。朝、目を覚ました時にまず聞こえる爪の音。台所に立つ時、足元にいる気配。夜、布団に入る時のあの重みと体温。それらすべてが、あなたの身体に染み込んでいる。失ったのは『犬』ではなく、十六年かけて編み上げてきた『日々の構造』そのものではないだろうか」

サキが、湯飲みを両手で包むような仕草で続ける。

「お話を聞いていて、思ったんです。シロちゃんに『ごめんね』って謝っていらしたその時間こそが、とても大切だったんじゃないかなって。もっとこうしてあげればよかった後悔って、裏返せば『それだけ深く愛していた』っていうことですよね」
「花が一輪だけ揺れたこと、電話が一度だけ鳴ったこと。それを科学的に説明することも、霊的に意味づけることもできるのかもしれません。でも、私が思うのは ── あなたがその出来事を覚えていて、今こうして誰かに話したいと感じていらっしゃること。そのこと自体が、シロちゃんと今も関係が続いている証拠なんじゃないかな、ということなんですよね」

気づきのセクション ── 「悲しんではいけない」という呪い

シオンは、視線を遠くに置いたまま問いかける。

「あなたは『泣いていると、あの子は行くべきところへ行けないのか』と問うた。 ── だが、その問いの前提を少し疑ってみてもいいのかもしれない」
「『悲しんではいけない』『早く立ち直らねばならない』『笑顔で送り出すのが正しい』。それらの言葉は確かに、優しさから生まれている。けれどそれは時に、生き残った者から『悲しむ権利』までを取り上げてしまうのではないだろうか」

サキが静かにうなずいた。

「悲しみって、無理に終わらせるものじゃなくて、ゆっくり形を変えていくものだと思うんですよね。最初は呼吸もできないくらい鋭い痛みが、何ヶ月か経つとふとした瞬間に思い出して微笑めるような、そういう柔らかさに変わっていく。その過程を急かす必要はないんですよ」
「シロちゃんが心配して成仏できないとおっしゃった言葉も、きっと優しさから出たものだと思います。でも、もしシロちゃんの気持ちを想像するなら ── 十六年もそばにいてくれた相棒が自分のために泣いてくれる。それは『困ったこと』ではなくて、最後に受け取った愛情そのものなんじゃないかと、私は思うんです」

本質的な結論

不思議な出来事の正体を突き止める必要はない。それが亡き相棒からの便りなのか、あなたの心が生み出した慰めなのか ── そのどちらであっても、その出来事があなたの胸に刻まれた事実は変わらない。あなたに必要なのは「早く立ち直ること」ではなく、「悲しむ権利を自分に許すこと」だ。
十六年分の喪失には、十六年分とまでは言わずとも、それに見合う時間が必要になる。泣くことを相棒への裏切りだと思わなくていい。涙は共に過ごした日々への、最も誠実な敬意のかたちかもしれない。

専門機関のご案内
ペットロスによる悲しみが長期化し、日常生活(睡眠・食事・仕事)に深刻な影響が出ている場合は、心療内科やカウンセリング、ペットロス専門のサポート窓口へのご相談もご検討ください。一人で抱え込まないことは、亡き相棒への愛情を否定することにはなりません。

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