毒親だった母が認知症に。介護の苦しみと幼少期の傷を切り分ける生き方

お願いだから面倒みてね

母の家のチャイムを押すのが最近、少しだけ遅くなる。指がドアの前で一瞬止まる。あの小さな躊躇いが、私の本音なのだろう。

母は認知症と診断された。私はフルタイムで働きながら、ケアマネさんとの調整、通院の付き添い、そして毎日一度の訪問を続けている。やるべきことはやっている、と思う。それなのに母の顔を見るたびに、胸の奥がざらつく。

「お願いだから面倒みてね」。母は今日もそう言った。畳に手をついて、土下座をするように。次の瞬間には鬼の形相で「面倒見る気あるの?」と詰め寄ってくる。私はいつも、「うん。心配しないで」と答える。それ以外の言葉を、私はまだ持てずにいる。

幼い頃、私が熱を出すと母は不機嫌になった。「自己管理がなっていない!」と怒鳴り、それでも病院には連れて行ってくれた。帰ってくると焼き魚の定食。食べられないと言うと「食べないから治らないんだ!」と、また声を荒げた。めまいで床にうずくまった私を足の先で小突いた母の感触を、私はまだ覚えている。私が拒食症の入り口にいたとき、母は気づかなかった。あるいは、気づかないことにした。

そして母は、自分の母 ― 私の祖母に軽度の認知症が出始めたとき、「旅行に行こう」と嘘をついて老人ホームに預けた。あの日の母の段取りの良さを、私は今でも思い出す。

その母が今、私の前で泣いている。「お願いだから、面倒みてください」と。今日その言葉を聞いたとき、私の中で何かが崩れた。もし熱が出た夜、私が「お母さん、どうか私の面倒を見てください」と泣いて頼んでいたら、母はちゃんと見てくれたのだろうか。そんな問いが、四十年遅れて私の喉元までせり上がってくる。

ケアマネさんは、「同調してあげると症状が落ち着くよ」と言う。だから私は嫌みを呑み込む。「自分は親の面倒見なかったくせに」という言葉も、「お母さんが私を看病してくれたようにするね」という皮肉も全部、奥歯の裏に押し込めている。

母は老人ホームを姥捨て山だと思っている。だからギリギリまで家にいるだろう。あと何年この生活が続くのか、私には見当もつかない。心の持ち様を、どうすればいいのでしょうか。

サキとシオン、二人の対話

サキ:読ませていただいて、まず思ったんです。あなたは本当によくやってらっしゃいますよね。フルタイムで働きながら毎日顔を出して、通院も介護サービスの調整も。それを「やるべきこと」として淡々とこなしていらっしゃること自体が、すでに途方もないことですよね。

シオン:その通りだ。けれど彼女が問うているのは、「やれているかどうか」ではないのかもしれない。やれているのに、なぜこんなに苦しいのか。その問いではないだろうか。

サキ:ええ、そう思います。読んでいて胸に残ったのは「もし私があの時お母さんに頼んでいたら、見てくれたんだろうか」という一文でした。これって、今の介護の話じゃないんですよね。四十年前の、熱を出した小さな自分がいまだに布団の中で母を待っている。その子が、まだ救われていないんです。

シオン:足で小突かれた感触、焼き魚の匂い、「食べないから治らない」という声。それらは記憶ではなく、身体に刻まれた地層のようなものかもしれない。母の「面倒みてね」という言葉が引き金になって、その地層がいま揺れている。

サキ:だから「うん。心配しないで」と返したあと、毎回モヤモヤするんですよね。それ、当たり前ですよ。だって口で言っている自分と、身体の奥にいる小さな自分がまったく違うことを感じているんですから。一致しないのが普通なんです。

シオン:同調が悪いわけではない。ケアマネージャーの助言は、認知症ケアとしては理にかなっている。けれどそれは、「介護の技術」の話だ。あなたの心の持ち様の話とは、分けて考えてもいいのではないだろうか。

気づきのために、少しだけ立ち止まる

サキ:ここで一点、確認させていただきたいことがあります。あなたは今、「許さなければ介護できない」と、どこかで思っていませんか。あるいは「許せない自分は冷たい娘だ」と、自分を責めていませんか。

シオン:許すことと世話をすることは、本来別のものだ。許せないまま手を動かすこともできる。許さない自分を抱えたままケアマネージャーと連絡を取り、薬の管理をすることはできる。それは矛盾ではなく、人間の幅というものではないだろうか。

サキ:そして、もう一つ。あなたが心の中に抱えている嫌み ― 「お母さんが、私が病気の時に面倒みてくれたのをお手本にするね」という、あの皮肉。
これ、母に向けて言う必要はないんです。でも、誰にも言わずに飲み込み続けると身体に溜まります。日記でもいい、信頼できる友人でもいい、自治体の家族介護者向けの相談窓口でもいい。「言葉にして外に出す場所」を、母とは別のところに確保してほしいんです。

シオン:あなたの内側には今、二人の人物がいる。介護を担う成熟した大人と、四十年前から布団の中で待っている小さな子供と。
後者を放置したまま前者だけを酷使すると、心はいずれ均衡を失う。専門のカウンセラーや家族会のような場で、その小さな自分の話を聞いてもらう時間を持つことを、強くお勧めしたい。

本質的な結論

あなたが抱えているのは「介護の負担」と「幼少期の未解決の痛み」という、二つの別々の重荷です。この二つを一緒に背負おうとするから、立てなくなるのです。
介護は技術と制度で支えられます。けれど、幼い日のあなたを抱きしめ直す作業は、母との関係の中ではもう完結しません。
それは今のあなたが別の場所 ― 信頼できる第三者や専門家との対話の中で、ゆっくり進めていく仕事です。母を許す必要はありません。ただ、四十年前のあなたを置き去りにしないでください。「うん。心配しないで」と母に言ったあと、心の中でもう一人の自分にも、こう言ってあげてほしいのです。「あなたのことは私がちゃんと見ているよ」と。

専門機関へのご相談について

介護を担うご家族の心身の負担は、想像以上に蓄積します。お住まいの自治体の地域包括支援センターでは、介護者自身の相談も受け付けています。また、幼少期の体験が現在の感情に強く影響していると感じる場合、臨床心理士や公認心理師によるカウンセリングを検討されることをお勧めします。一人で抱え込まず専門家の力を借りることは、あなたとお母様双方を守る選択です。

よりみちナビゲーター

人生の岐路で立ち止まったすべての人へ。答えを「断定」せず、あなた自身が納得できる「複数の選択肢」と「視点の切り替え方」を優しくお伝えする道案内チームです。

よりみちナビゲーターをフォローする
家族関係

コメント

タイトルとURLをコピーしました