「我が道」と「要領」のあいだで──春、上京の夜に灯した小さな問い
高校を卒業して二年、地元のホームセンターで働きながら自分が何をしたいのか、ずっと分からないままだった。先月、思い切って都会の物流会社の求人に応募した。来月から、川崎の寮に入る。
段ボールに本を詰めながら、ふと手が止まる。送別会の席で、職場の先輩が「お前、もうちょっと愛想よくしないと向こうでやってけないぞ」と笑った。悪気はないと分かっている。でも、その言葉が引っ越し前夜の今になって、胸の奥でちりちりと音を立てる。
自分は人に媚びるのが嫌いだ。礼儀は、自分なりに大事にしているつもりだ。でも、にこにこ笑って興味のない話に頷いて、飲み会で先輩のグラスを気にしている人たちを見ると、心のどこかで「ああはなりたくない」と思ってしまう。
一方で、職場で要領よく立ち回っていた同期が半年で正社員になったのも見てきた。我が道を行く人間は、たぶん不利だ。
気の合わない人とは付き合わなくていい──そう言う大人は多い。でも、最後まで気の合う人が現れなかったら、自分は一人で生きていくのだろうか。それでも別にいいような気もする。自分らしさを消してまで誰かに合わせる人生は、たぶんものすごくつまらない。
都会に出る前に、誰かに聞いてみたかった。人付き合いって生きていくうえで、本当に欠かせないものですか。
よりみちナビゲーターの対話
ケンゴ:引っ越しの段ボールを前にして、この問いを立てたこと自体が、君のひとつの誠実さだと思う。先に結論めいたことを言っておくと、人付き合いは「無くてはならないもの」ではない。ただし「あったほうが、選択肢が増えるもの」ではある。これは別のことだ。
私は四十七になるが、二十歳の頃の自分に何か言えるとしたら、「媚びるな、でも、観察はしろ」ということになる。媚びと礼儀は違う、と君は書いてくれた。その感覚は正しい。さらにもう一段、付け加えてほしい区別がある。媚びと、敬意と、観察の三つだ。媚びは自分を削る。敬意は相手を立てる。観察は、相手が何を大事にしている人間かを知る作業だ。職場で要領よく見える同期は、たぶん媚びていたんじゃない。観察していたんだと思う。
アキ:ケンゴさんの言うこと、わかるよ。でも──観察しろって二十歳の彼には、けっこう重いと思うんだよね。私もそうだったから言うんだけど、新しい環境に入った最初の三ヶ月って、観察する余力なんてないの。寮の洗濯機の使い方覚えて、満員電車で潰されて、夜、ベッドで充電切れのイヤホンみたいになってる。その状態で「相手が何を大事にしてるか観察しろ」って言われても無理。
だからね、私がまず伝えたいのは、最初の半年は人付き合いの結論を出さなくていいってこと。我が道か要領かなんて、いま決めなくていい。決めようとすると、たぶん疲れる。
ケンゴ:それも一理ある。ただ、アキの言う「決めなくていい」を、「考えなくていい」と受け取ってほしくはない。半年、保留にするのはいい。でも、保留にしている間に君は確実に誰かと出会う。寮の同部屋の人間、現場のリーダー、休憩室で煙草を吸っているおじさん。その一人ひとりに対して、「この人とは合わないな」で終わらせるか、「この人は何を見て生きてるんだろう」と一度だけでも問うか。この差が、五年後に効いてくる。
私は氷河期世代だ。同期で自分らしさを貫いて会社を辞めた人間も、要領よく出世した人間も、両方見てきた。どちらが幸せかは、正直わからない。ただ、はっきり言えるのは──「人付き合いが下手なまま我が道を行く」のと、「人付き合いの作法を身につけたうえで、敢えて我が道を選ぶ」のは、見た目が同じでもまったく違う人生になる。後者は、選んでいる。前者は、選ばされている。
アキ:……それは、ちょっと刺さるな。
シオン:二人の言葉は、どちらも嘘ではないだろう。ただ、私はこの方の文章を読みながら別のことを思っていた。「最後まで気の合う人がいなかったら、一人で生きる人生になる」と書かれている。ここに、小さなねじれがあるのではないだろうか。
気の合う人というのは探して見つかるものではなく、自分が何を面白がる人間かが定まってきたときに、向こうから現れるものだと私は感じている。二十歳のいま、まだ自分の輪郭が定まりきっていないからこそ、「気の合う人がいない」のは当たり前ではないだろうか。問題は人付き合いの是非ではなく、君がこれから何を面白がる人間になっていくか、そちらのほうかもしれない。
自分に問いかけるロードマップ
引っ越しの荷造りを一度止めて、ノートの隅にでも書きつけてみてほしい問いがあります。
- 「人付き合いが嫌だ」と感じるとき、嫌なのは人そのものだろうか、それとも自分を削る感覚だろうか。
- これまでの二年間で、「この人の話は、もう少し聞いてみたい」と一瞬でも思った相手はいたか。その人の、何が引っかかったのか。
- 自分が「媚びている」と感じる場面と、「礼儀を尽くしている」と感じる場面の境目は、どこにあるか。
- 五年後、川崎の寮を出るとき、自分はどんな顔で出ていきたいか。
本日の羅針盤
ケンゴからは、人付き合いを「観察」として捉え直す視点が示されました。媚びでも従属でもない、第三の関わり方が、社会人としての足場をつくるという考え方です。
アキからは、二十歳の身体は新しい環境に適応するだけで精一杯であり、最初の半年は人付き合いの結論を急がなくていい、という処方箋が出されました。
シオンからは、「気の合う人がいない」という不安は、自分の輪郭がまだ定まっていない時期には当然のことであり、問いの立て方そのものを少しずらしてみては、という提案がありました。
三つの言葉を、無理にまとめる必要はありません。引っ越しの段ボールにそれぞれの言葉を仮置きして、川崎の夜、寮の窓から見える景色とともにどれが自分の体温にいちばん近いか、確かめてみてください。
ひとつだけ、編集部からも添えておきます。新しい環境でもし眠れない夜が続いたり、誰とも話せない週が重なったりしたときは、無理をせず、地域の相談窓口や職場の相談室に一度声をかけてみてください。それは「人付き合いが下手」だからではなく、新しい土地に根を下ろす人が誰でも通る道のひとつです。





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