人脈は宝か、それとも畑か?「要領よく生きられない」20歳に渡す3枚の地図

番外編:いつの時代も、人脈は宝になる──ただし、その「宝」の中身について

本日の番外編は、メインをケンゴが務めます。第一章から第三章までは、相談者の二十歳という年齢に寄り添い、「いま、ここで」の小さな三十秒を大切にする方向で言葉を重ねてきました。ただ、編集部としてはもうひとつ別の角度からの言葉も、この若者に渡しておきたいと考えました。それが「いつの時代も、人脈は宝になる」という少し古風な、しかし確かに効力を持つアドバイスです。

ケンゴが主で語り、アキが時折、二十代側からの異論を入れます。シオンは最後に一言。

よりみちナビゲーターの対話

ケンゴ:番外編として、君に少し違う角度の話をしたい。これまで私たちは、「いまの三週間、いまの三十秒」を大事にしろ、という話をしてきた。これは間違っていないと、いまも思う。

そのうえで、四十七年生きてきた人間として、もうひとつだけ伝えておきたいことがある。いつの時代も、人脈は宝になる。これは君が、これから何度も聞かされる言葉だと思う。耳タコになる前に、私の言葉で意味を渡しておきたい。

まず、誤解を解いておく。人脈という言葉を聞くと、たぶん君は名刺交換会で笑顔を振りまく中年男のイメージを思い浮かべる。あるいは、SNSのフォロワー数を増やすために愛想を振りまく若者のイメージかもしれない。それは人脈じゃなく「顔の広さ」だ。両者は別物だ。

私の言う人脈は、もっと地味なものだ。十年経っても、こちらから連絡したら嫌がらずに電話に出てくれる相手の数。それだけだ。多い必要はない。五人いれば、人生はかなり違う。三人でも十分かもしれない。

アキ:ケンゴさんの言う「十年後に電話に出てくれる人」っていう定義、それは私もしっくりくる。でも、二十歳の子に「人脈は宝」って言葉だけ渡すと、たぶん誤解されるよ。

私の世代だと人脈って言葉、すごく評判悪い。「人を駒にする感じ」「打算的」って受け取られる。だから私だったら、同じことを言うのに別の言い方をする。

「いつか自分が困ったとき、思い浮かべられる顔を増やしておく」

これだったら、二十歳の子も飲み込めると思う。人脈じゃなくて、顔。ネットワークじゃなくて、思い浮かべられること。

ケンゴ:その言い換え、いいと思う。受け取る。

そのうえで、なぜ「人脈は宝になる」のか、構造の話をさせてくれ。これは君が二十歳のいま、知っておいて損はない話だ。

人生で大きな転機が来るとき──転職、独立、引っ越し、結婚、病気、家族の介護、お金のトラブル──そのほとんどは、情報の非対称性で決まる。知っている人は損をせず、知らない人は損をする。そして本当に役に立つ情報は、検索では出てこない。ネットに書いてある情報は、もう手遅れになってから書かれた情報だ。

役に立つ情報は、人の口から口へと渡る。「あの会社、いま採用してるよ」「あの病院の先生、いいよ」「あの物件、表に出てないけど空くらしい」。こういう情報は、必ず誰かの口を経由する。経由してもらえる位置に自分がいるかどうか。これが人脈の正体だ。

宝、というのは比喩じゃない。情報の非対称性の中で、味方側に立てる確率のことだ。

アキ:……それはすごく実感ある。私、二十六で副業始めたとき、いちばん助かったの結局、二十二の頃に同じバイトしてた先輩からの一言だったもん。「アキ、それやるならこの人に会っときな」って。検索じゃ絶対たどり着けない人だった。

ケンゴ:そうだろう。そして、ここからが大事な話だ。

その先輩は、なぜアキにその一言をくれたのか。アキが二十二のとき、その先輩に何か特別なことをしたわけじゃないはずだ。たぶん君は、その先輩に対して「いい時間を過ごす相手」だった。それだけだと思う。

人脈の作り方って、結局これに尽きるんだ。技術じゃない。「この人と過ごした時間は、悪くなかった」と相手に思ってもらうこと。それが十年、二十年と積み重なってある日、誰かが誰かに「あいつに連絡してみたら?」と言ってくれる。これが人脈だ。

だから君は、川崎の現場で、田所さんや坂口さんと過ごす時間を十年後の自分のために、ちょっとだけ大事にしてほしい。媚びる必要はない。ただ「彼と過ごした時間は、悪くなかった」と思ってもらえる程度には、自分の温度を出しておく。それだけで十年後、坂口さんが誰かに君のことを話す確率が、ゼロから一に変わる。

アキ:ケンゴさん、ひとつだけ反論していい?

ケンゴ:どうぞ。

アキ:「十年後の自分のために」っていう言い方、私は嫌いなんだ。それを意識した瞬間に、目の前の人が手段になる。目の前の坂口さんとの三十秒を、三十秒として楽しむ。それだけが結果として十年後につながる。逆算しちゃダメな種類のものだと思う、人脈って。

ケンゴ:……そこは、君の言うとおりだ。私は四十七だから、つい逆算で語ってしまう。だが、二十歳の君に届く言葉はたぶん、アキの言い方だ。

訂正する。十年後のためじゃない。目の前の三十秒のために、自分の温度を出しておく。結果としてそれが十年後の宝になる。順序は、こちらだ。

シオン:お二人の対話を聞きながら、私はひとつ別の言葉を置いておきたい。

「人脈は宝になる」という言葉に、私はずっと小さな違和感を持って生きてきた。宝、というのはしまっておくものだ。だが、人との縁はしまっておくと、たいてい錆びる。

私の感覚では、人脈は宝ではなく畑に近い。種を蒔く時期と、水をやる時期と、放っておく時期と、収穫の時期がある。そして収穫しなかった年も、畑は畑としてそこにある。来年、また何か実るかもしれない。

二十歳の君は、いま種を蒔く時期だ。実りを見ようとしなくていい。蒔いた種のことすら忘れていい。ただ、川崎の土に自分の温度の種を、ひとつふたつ落としておく。それだけで四十年後の畑は、まったく違う景色になっているだろう。

自分に問いかけるロードマップ

寮の窓辺でもう一度ノートを開いて、こんな問いを置いてみてください。

  • 「人脈」という言葉に、自分はどんなイメージを抱いていたか。媚びの匂いがしたか、それとも、もう少し違うものだったか。
  • 十年後、自分が困ったときに「電話してみようかな」と思い浮かべられる相手はいま、何人いるか。地元の友達も含めて、数えてみる。
  • 田所さん、坂口さん、寮で見かける誰か──いま川崎で過ごしている時間のうち、十年後に「悪くなかった」と思ってもらえそうな時間はどれだろうか。
  • 「逆算しないで、目の前の三十秒を楽しむ」とは、自分にとってどういう振る舞いになるか。

本日の羅針盤

ケンゴからは、「人脈は宝になる」という古典的な言葉が、四十七年生きた人間の解釈で再定義されました。人脈とは顔の広さではなく、十年後に電話に出てくれる相手の数であり、その正体は情報の非対称性の中で味方側に立てる確率である、と。

アキからは二十代の言い換えとして、「いつか困ったとき、思い浮かべられる顔を増やしておく」という表現が提案されました。さらに「十年後のために」と逆算した瞬間、目の前の人が手段になるという鋭い異論が入り、ケンゴが自身の語り口を修正する場面がありました。

シオンからは、「人脈は宝ではなく、畑に近い」という別の比喩が差し出されました。種を蒔く時期、水をやる時期、放っておく時期、収穫の時期がある、と。

三人の言葉を重ねると、こうなります。川崎の現場で目の前の三十秒を、三十秒として楽しむ。逆算しない。ただ、自分の温度を出しておく。それが十年後、四十年後の畑になる

「我が道を貫くか、要領よく生きるか」という最初の二択は、ここで溶けていきます。我が道を貫きながら自分の温度を出して人と過ごすことは、両立する。むしろ自分の温度を出さずに媚びる人間より、自分の温度を出して我が道を行く人間のほうが、十年後、誰かに思い浮かべてもらえる確率は高い。これは四十七年生きた人間の、経験則による報告です。

人脈という言葉がもし耳に重く響くなら、畑だと思ってください。種を蒔いたことを忘れていい。ただ川崎の土に、自分の温度の種をひとつふたつ落としておく。それで十分です。

新しい土地での暮らしが続くなかで、もし人との距離感に疲れを感じる日が来たら、無理せず休んでください。畑も毎日水をやる必要はありません。休む日があるから、続く畑になるのです。

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