あの日、箱の底で光っていた一枚 ― 五歳の私が引き当てた、説明のつかない「当たり」の話
私が五歳くらいの頃の話です。
母と近所のお店に買い物に行きました。あの日のことは、不思議なほどはっきり覚えています。レジ袋の重さと母のスカートの色。それから、レジの横に置かれていた少し色あせた紙の箱。
お菓子をいくら以上買うと、その箱からクジを引けるのだと店員さんが言いました。「当たりは、残り一つですよ」
店員さんの声はなんでもないことのように、ふわりと宙に浮きました。私は特別な期待もせず、ただ箱の中をのぞき込んだのです。背伸びをしたのか、誰かに抱き上げてもらったのか、そこは曖昧です。けれど見えたものだけは、いまも目に焼きついています。
たくさんの折りたたまれた紙のいちばん上に、ぽつんと一枚だけ、「当たり」と書かれた紙が乗っていたのです。文字は確かに見えました。なんだ、これを取ればいいんだ ― そう思って迷いもせずその紙をつまみ、店員さんに渡しました。
ところが受け取った店員さんは、それを丁寧に破って広げたのです。あの紙は外側からは中身が見えない仕組みのクジだったのです。破らなければわからない、あの折り紙のような形のもの。
そして私の引いた一枚は、本当に当たりでした。
十年以上が経ったいまも、ふとした拍子に思い出します。あれはいったい何だったのでしょう。気のせいとは思えないのです。あの「当たり」の二文字は確かに、箱の底で私を呼んでいました。
よりみちナビゲーターの対話
アキ:これ、読んでてゾクッとした。五歳の記憶って大人になってから「夢だったかも」って霞んでいくものが多いのに、この方は十年以上経ってもはっきり覚えてるんだよね。それってその瞬間、「何かが起きた」って身体が記録してる感じがする。スマホの通知音みたいに、ピンって。
ケンゴ:気持ちはわかる。ただ、構造の話を一度しておきたい。考えられる現実的な説明はいくつかある。一つは、当たりのクジが他より少しだけ厚かったり、紙の質感が違ったりして、上に乗りやすかった可能性。もう一つは、前のお客さんが引いて戻したとき、たまたま当たりが浮いた状態になっていた可能性。「当たりは残り一つ」と店員が言った直後ということは、誰かが直前まで触っていたわけだ。
アキ:ケンゴさんの言うこと、わかるよ。でも五歳の子が、折られた紙の上から「当たり」の二文字を読み取ったって、そこはどう説明する? 中身が見えないクジなんだよ。
ケンゴ:そこは正直、私の構造論では届かない。記憶の再構成という可能性は残るが、それを言い出すと本人の体験そのものを否定することになる。それは違うと思っている。
シオン:……お二人の言葉は、どちらも嘘ではないだろう。ケンゴさんの示す物理的な筋道も、アキさんの感じている身体の記録も、それぞれに正しい。ただここでひとつ、別の問いを置いてみたい。
なぜ、この方は十年以上、この出来事を手放さずにいるのだろうか。
当たりを引いた喜び、ではないように思う。もしそれだけなら、もっと早く忘れていたはずだ。覚えているのはたぶん、あの瞬間に「世界が、自分のほうに少しだけ傾いた」感触があったからではないだろうか。
五歳の子どもは、まだ「偶然」と「必然」を分ける線を持っていない。大人になるにつれて、私たちはその線を引くことを覚える。けれど、線を引く前に体験してしまったものは線のどちら側にも収まらないまま、心の奥に残り続ける。
その体験は不思議のままでよいのだと、私は思う。
自分に問いかけるロードマップ
- あの記憶を、私はこれまで誰に話してきましたか。話したとき、相手はどんな顔をしたでしょうか。
- 「説明がつかないこと」を、私は怖いと感じていますか、それともどこかで大切にしたいと感じていますか。
- 五歳の私が見た「当たり」の紙は、いまの私にとって何かのお守りのような働きをしていないでしょうか。
- もし、この出来事に意味があるとしたら ― 意味を決めるのは誰でしょうか。
本日の羅針盤
この出来事には、おそらく複数の見方が成り立ちます。
ケンゴが示したように、紙の厚みや直前の客の動作といった物理的に説明できる筋道はあるでしょう。
アキが感じたように、身体が「特別な瞬間」として記録した、という見方もできます。
そしてシオンの言うように、五歳の子どもにはまだ「偶然と必然の境目」がなく、だからこそ世界の一部が素のまま心に残った、という捉え方もあります。
無理にひとつの答えに収める必要はありません。
ひとつだけ言えることがあるとすれば、十年以上、ふとした拍子に思い出すその記憶は、あなたにとってたぶん「説明されたい」ものではなく、「そのままで在ってほしい」ものなのではないでしょうか。
あの日、箱の底でぽつんと光っていた一枚の紙は、いまもどこかであなたの中に静かに浮かんでいる。それで十分なのかもしれません。
※本稿は、ご相談者の記憶を素材としたフィクションとしての読み物であり、超常現象や心理状態を断定するものではありません。もし、過去の記憶がご自身を苦しめるかたちで反復している場合には、専門機関へのご相談もご検討ください。





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