5歳で引いた「当たり」と26歳の「置き傘」。説明のつかない優しい記憶が、人生のお守りになる理由

第三章:十年後の私が、あの記憶に支えられている理由 ― 過去ではなく、いまの話

章のはじめに

ご相談者は、こう書いておられました。

十年以上経った今でも不思議に思ってます。

この一文を、私たちは何度も読み返しました。そして、気がついたことがあります。「不思議に思っている」というのは、悩んでいるという意味ではないのです。困っている、でもない。ただ、手放さずに持ちつづけているという意味です。

ここにこの相談文のいちばん大切なものが、たぶん隠れています。

よりみちナビゲーターの対話

サキ:……あの、第三章から入らせていただいてもいいでしょうか。第一章と第二章を読ませてもらって、ずっと考えていたことがあって。

アキ:もちろん。サキさん、何を感じてた?

サキ:私、子どもがいるんですけれども。子どもって不思議な話を、不思議なまま大事にしますよね。「あのとき、空に魚がいた」とか、「お風呂の鏡の中に、もう一人いた」とか。私が大人の理屈で「それはね」と説明しようとすると、すごく嫌な顔をするんです。

ケンゴ:……ああ、わかる気がする。説明されたくない記憶というのが、確かにある。

サキ:そうなんです。それでこのご相談者も、十年以上「不思議に思っている」と書いていらっしゃるけれど、本当は不思議のままでいさせてほしい、そう言っているように私には読めました。

アキ:……うん。私もそれ、薄々感じてた。「皆さんの意見を聞かせてください」って書いてあるんだけど、決定的な正解を求めてる感じじゃないんだよね。「私のこの記憶、ちゃんと存在していいですか」って確かめにきてる感じ。

ケンゴ:そうだな。ただ私はここで一度、別の角度の話もしておきたい。

サキ:はい、どうぞ。

ケンゴ:人は自分の人生で起きた説明のつかない出来事をひとつかふたつ、持っておくものだと思う。それは人生がうまくいかなくなったとき、ふっと支えになる。「自分の人生には、理屈を超えた何かが一度だけ起きた」という記憶は、合理的な人間ほど内側で大切に温めている。私自身、四十代も後半に入ってそれがよくわかるようになった。

サキ:……ケンゴさんでも、そういう記憶があるんですね。

ケンゴ:ある。話さないが、ある。

アキ:なんかいま、ケンゴさんが急に近く感じた。

シオン:……話を、ご本人のところに戻そう。

ご相談者にとってあの日の出来事は、人生のお守りのような働きをしてきたのではないだろうか。就職活動でうまくいかなかった日、人間関係でつまずいた夜、自分の存在が薄く感じられた朝。そういうときに、ふと思い出す。

「五歳のあの日、私は箱の底で光っていた一枚に選ばれた」

そう思える記憶を持っている人は強い。理屈で強いのではない。世界に対して、少しだけ信頼を残せるという意味で強いのだ。

サキ:……それ、すごくわかります。私も自分の子どもには、説明のつかない記憶を一つか二つ、持ったまま大人になってほしいなって、いま思いました。

アキ:うん。だからご相談者が、いま誰かに「真相を教えてください」って言ってないのが、すごく大事だと思う。ただ「聞いてください」って言ってる。それだけでもう、十分なんじゃないかな。

ケンゴ:同意する。私たちにできるのは説明することではなく、その記憶が確かにそこに在ると受け取ることなのだろう。

自分に問いかけるロードマップ

  • これまでの人生でつらかったとき、ふっとあの五歳の記憶を思い出したことはありませんでしたか。あったとしたらそれは、どんな夜のことでしたか。
  • もしあの記憶を完全に「偶然だった」と納得してしまったら、いまの私は何か大切なものを失う気がするでしょうか。それとも、楽になるでしょうか。
  • 私はこれからも、この記憶を「不思議のまま」抱えて生きていきたいですか。
  • 自分が誰かの親になったとき、あるいはすでにそうであるとき ― 子どもの「不思議な記憶」を説明せずに、ただ「そうなんだね」と受け取ってあげられる大人でいたいでしょうか。

本日の羅針盤(第三章 ― 全体の結び)

三章にわたって私たちは、あの「当たり」の一枚を巡っていくつもの言葉を交わしてきました。

ケンゴが示した、物理的に説明できる可能性。
アキが感じ取った、身体に刻まれた特別な瞬間。
サキが気づいた、「説明されたくない記憶」というかたち。
そしてシオンが置いた、「偶然と必然の境目を持たない子どもの目」の話。

どれも本当のことです。そしてどれかひとつに収める必要はありません。

ご相談者が本当に聞きたかったのは、たぶん答えではなかったのだと思います。「この記憶を持ったまま、私はこれからも生きていっていいですか」― そう確かめにきてくださったのではないでしょうか。

答えは、はい、です。

あの日、五歳のあなたが箱の底でつまんだ一枚は、いまもあなたの手のひらに確かに残っています。文字は消えていません。それを「偶然」と呼ぶか「呼ばれた」と呼ぶか。これから先の人生のどこかで、また違う言葉に出会うかもしれません。出会わなくても、構いません。

不思議は不思議のままで、あなたを支えてくれます。

それが十年以上経ったいまも、あなたがその記憶を手放さずにいるいちばんの理由なのだと思います。

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