第二章:革靴の底が減るまでに──ケンゴが二十歳の自分に渡したかった三枚の地図
寮に入って三週間が経った。六畳の部屋に、段ボールはまだ二つ残っている。同部屋の人はいない。一人部屋だ。それだけはありがたかった。
仕事は思っていたよりきつくない。むしろ、身体を動かしている時間は何も考えなくていいから、楽だ。問題は休憩時間と夜だった。
休憩室では、現場のリーダーである田所さんという四十代の男性が、いつも誰かと笑って話している。煙草を吸いに行く人、自販機の前で立ち話をする人、スマホを見ながら一人で弁当を食べる人。自分はたぶん、三番目に分類されている。それでいいと思っていた。
昨日、田所さんに「お前、地元どこ?」と聞かれた。「青森です」と答えたら、「遠いとこから来たな。寮、慣れたか?」と続いた。「はい、まあ」と答えて、それで会話は終わった。終わらせたのは自分だ。
部屋に戻って、ベッドに転がる。スマホを見る。地元の友達のグループラインはもう一週間、何も書き込んでいない。書くことがない。
「ああはなりたくない」と思っていた人たちのことを、最近少しだけ考える。飲み会で先輩のグラスを気にしていたあの同期のことを。彼はもしかしたら自分よりずっと、人のことを見ていたのかもしれない。
よりみちナビゲーターの対話
ケンゴ:三週間。ちょうど最初の疲れが出る頃だ。よく持ちこたえている。
田所さんとの会話を「終わらせたのは自分だ」と書けたこと、ここに私は注目したい。これはけっこう大事な気づきなんだ。三週間前の君だったら、たぶん「田所さんは別に自分に興味がなかった」と書いたと思う。でも今日の君は、終わらせたのは自分だと書いた。これは観察の始まりだ。自分自身の観察という意味でも。
そのうえで、二十歳の自分に渡したかった地図を三枚置いていく。重ねて読んでくれていい。
一枚目。「はい、まあ」を、もう半文だけ伸ばす訓練をする。たったそれだけだ。「はい、まあ。洗濯機の使い方にまだ慣れないです」でいい。「はい、まあ。飯がうまい店、まだ見つかってません」でもいい。媚びる必要はない。情報を半文、足すだけだ。これは技術であって、性格の話ではない。
アキ:ケンゴさんの一枚目、私もそれは賛成。でもね、「訓練」って言葉が私にはちょっと引っかかる。二十歳の身体に訓練って言葉、たぶん重いんだよ。
私が同じことを言うならこう言う。「半文、おまけする」。コンビニのレジで、レシートと一緒に渡される飴玉みたいな感じ。本体は「はい、まあ」のままでいい。そこに飴玉を一個足す。それだけ。訓練だと思うと続かないけど、おまけだと思うとわりと続く。
ケンゴ:……それは俺の言い方より、相談者に届く言葉かもしれない。譲る。
二枚目。「ああはなりたくない」と思った相手を、一度だけ解剖してみる。飲み会でグラスを気にしていた同期。それを「媚び」と一括りにして処理していたのが、これまでの君だ。だが、よく思い出してほしい。彼は誰のグラスを気にしていた? 全員か? それとも特定の誰かか? もし特定の誰かだったとしたら、彼にとってその人は何だったのか。
人を「媚びるタイプ」とラベリングして終わらせるのは楽だ。だが楽な分、自分が学べるものを取り逃がす。彼は媚びていたんじゃなく、その先輩のことを大事に思っていた可能性もある。あるいは家に仕送りすべき母親がいて、この職場を絶対に失えなかった可能性もある。どちらにせよ、彼には彼の地図があった。
アキ:……それはちょっと厳しい話だな。でも、わかる。
私からも一個、足していい? 二十歳のとき、私も似たようなこと思ってた。「キラキラしてる女子、苦手」って。でも、二十六で振り返ったら、その「キラキラしてる」と思ってた子たちは、ほとんど家庭に何か事情を抱えてた。明るくしていないと、自分が立っていられなかった子たちだった。私は自分の余裕のなさを、相手のせいにしているだけだった。
ケンゴ:三枚目。これはいちばん地味な話だ。革靴の底が減るまでに、職場の中で「この人の話なら、もう少し聞いてみたい」と思える人を、一人だけ見つける。一人でいい。三人もいらない。
三週間で見つからなくていい。三ヶ月、あるいは半年かけたっていい。ただ、「見つけよう」というアンテナを内ポケットに入れておく。これだけで休憩室の景色は変わる。煙草を吸いに行く人、立ち話をする人、弁当を食べる人──全員が観察対象になる。観察対象になった瞬間、彼らは「合う/合わない」の二択から外れる。
田所さんが「地元どこ?」と聞いてきたのは、たぶん彼なりのアンテナだ。新入りに対する彼の作法だ。それを「世間話」と処理するか、「この人はどういう作法で人と関わる人なんだろう」と一拍止まるか。この一拍が、五年後の景色を変える。
シオン:ケンゴの三枚の地図は、どれも実直なものだろう。ただ、私はこの方の文章の中でいちばん気になった一行を、最後にもう一度なぞらせてほしい。
「書くことがない」。地元の友達のグループラインに、書くことがないと書かれていた。
これは寂しい一行のようでいて、私には健やかな一行にも読めた。地元の言葉では、いまの君の三週間は語りきれないのだろう。だとすれば、地元の友達に書けなくなった言葉のぶんは、これから出会う誰かに向けてゆっくり溜まっていく。書く相手は、まだいなくていい。溜めておくこと自体が、これから数年の仕事だ。
革靴の底が減るより、ずっとゆっくりでいい。
自分に問いかけるロードマップ
寮の部屋でスマホを置いて、もう一度ノートを開いてみてください。
- 今日、職場で「終わらせたのは自分だ」と感じた会話はどれだったか。半文足せるとしたら、どんな半文だったか。
- 「ああはなりたくない」と思った人を、一人思い浮かべる。その人の地図には、何が描かれていた可能性があるか。
- 休憩室の風景の中で、煙草・立ち話・弁当──自分が今日、無意識に「分類」していた人は誰か。
- 地元の友達に書けなくなった言葉は、どこに溜まっていきそうか。
本日の羅針盤
ケンゴからは、二十歳の自分に渡したかった三枚の地図が示されました。半文を足す技術、相手をラベリングしないこと、職場に一人だけアンテナを向ける相手をつくること。どれも媚びとは違う、観察と敬意の作法です。
アキからは、「訓練」を「おまけ」と言い換える、二十歳の身体に届く言葉のチューニングが入りました。「キラキラしている子が苦手」だった過去の余裕のなさを振り返ることで、相談者の「ああはなりたくない」という感覚に、別の角度からの光を当てています。
シオンからは、「書くことがない」という一行を寂しさではなく、これから言葉を溜めていく時期の徴(しるし)として読み直す視座が示されました。
人付き合いが「無くてはならないものか」という最初の問いに、誰も「はい」とも「いいえ」とも答えていません。代わりに三人が差し出したのは、問いの立て方を少しずらすことでした。人付き合いの是非ではなく、観察の作法を持つかどうか。気の合う人を探すのではなく、何を面白がる人間になっていくか。書ける相手を急いで探すのではなく、書きたいことを溜めていくこと。
革靴の底が減るまで、答えは出さなくていい。それまでの時間のなかで、地図のほうが少しずつ書き足されていきます。
寮の夜、もし眠れない日が続いたり、誰とも話さない週が二週、三週と重なったりしたときは無理をせず、会社の相談窓口や自治体の若者向け相談窓口に、一度声をかけてみてください。新しい土地で根を下ろす過程の、ごく普通の手続きのひとつです。



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