「何をやってもついてない」が変わる!不運を笑いに変える心の仕分け術

第三章 ―― 開かない傘を、もう一度ひらく

三章まで来て、自分でも驚いていることがある。あんなに「ついてない、ついてない」と思っていたのに、最近、不運の話をするとき、ちょっと得意げになっている自分がいるんです。

この前、ママ友とのランチで、例の「高級ドリンクに虫が背泳ぎ」の話をしたら、めちゃくちゃウケて。「あなた、引きが強すぎる」って。そのあと、みんなが自分の不運話を出し合って、気づいたらテーブルが不運自慢大会になってた。誰かは「結婚式当日に新郎がぎっくり腰」、誰かは「面接の日に限って寝癖が直らない」。

笑いながら、ふと思ったんです。私、不運を一人で抱えてたときはただ重かった。でも、誰かに話したら軽くなった。同じ出来事なのに。

ただ、正直に言うとまだ全部が笑えるわけじゃない。電車の飛び込み事故に居合わせたあの日のことは、いまも軽々しくは話せない。あれは「不運」なんて言葉でくくっちゃいけない気がして。

笑える不運と笑えない出来事。私はそれを、ようやく分けて考えられるようになってきたのかもしれません。

よりみちナビゲーターの対話

サキ:ここまで読ませていただいて、私、最後の段落で姿勢を正しました。「笑える不運と笑えない出来事を分ける」。これ、ものすごく大事なところにご自分でたどり着かれたんだと思います。

アキ:うん。不運自慢大会、楽しそうでいいなって思って読んでたんだけど、最後でハッとした。全部を「ネタ」にしちゃダメなんだよね。飛び込みの話まで笑い話にしようとしたら、それはたぶん別の何かを踏みにじることになる。

ケンゴ:そのとおりだ。前章まで私たちは、「注意の照準を動かす」「不運を笑いに変える」という話をしてきた。だが、それを万能の道具にしてはいけない。死に直面した出来事を「運勢のネタ」と同じ箱に入れたら、心が処理を間違える。彼女が線を引けたのは健全だ。

サキ:そうですね。ただ私、少しだけ違う角度から言いたくて──。線を引けたのは健全。でも「あれは軽々しく話せない」と感じている状態をずっと一人で抱え続けるのも、また別のしんどさなんです。笑えないことは笑わなくていい。けれど、笑えないまま誰にも話せないでいると。

アキ:あ……。不運は話したら軽くなったのに、笑えないことは話せてない、ってことか。

サキ:はい。話し方が違うだけなんです。笑い話として渡すんじゃなくて、「実はあのときこういうことがあって、まだうまく言葉にできなくて」って、そのまま渡す。聞いてくれる人がいれば。

ケンゴ:……話す相手と話し方を選べばいい、ということだな。ランチの席ではない。もっと静かな場所で信頼できる相手に。あるいは。

サキ:あるいは、専門の方に。それも立派な「話す」です。

自分に問いかけるロードマップ

ここでひとつ問いかけてみてください。

「私の中で、まだ言葉になっていない出来事はあるだろうか」

笑い話にできることはもう半分、消化できている証拠です。けれど笑えないまま胸の奥に置いてあるものは、消化されずに残っているのかもしれません。

そしてもうひとつ。「それを、誰になら話せそうだろう」。全員に話す必要はありません。たった一人でいい。あるいは、専門の窓口でもいい。話す相手を思い浮かべることが、最初の一歩になります。

本日の羅針盤

不運を笑いに変える力は、あなたの大切な才能です。ママ友のテーブルを沸かせたあの話術は、これからもあなたを助けてくれるでしょう。

けれどケンゴが言うように、すべてを同じ箱に入れてはいけません。そしてサキが踏み込んだように、笑えない出来事を「笑えないから」一人で抱え込み続けるのも、ひとつの孤独です。

笑えることは、笑って渡す。笑えないことは笑わずに、信頼できる誰かへそっと渡す。出来事の重さに応じて、渡し方を選ぶ。あなたはもう、その仕分けの入り口に立っています。

飛び込み事故に居合わせた経験のように、強い衝撃をともなう出来事は時間が経ってから心に影響することがあります。眠れない、ふとした拍子にあの光景がよみがえる、そんなことが続くようならそれは弱さではなく、心が助けを求めているサインです。どうか我慢せず、専門機関への相談もご検討ください。

笑える不運は、また誰かを笑わせる小ネタに。笑えない出来事は、安心できる場所でゆっくりと。たまに傘が開かない日もあるけれど、それ以外は開く日ばかりです。

よりみちナビゲーター

人生の岐路で立ち止まったすべての人へ。答えを「断定」せず、あなた自身が納得できる「複数の選択肢」と「視点の切り替え方」を優しくお伝えする道案内チームです。

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