メッセージ画面を、開いては閉じて
スマートフォンの連絡先アプリを、もう何度目かわからないほど開いては閉じている。夕方の部屋には、コンビニで買ってきたお惣菜の匂いがまだ残っていた。画面の中には、たった今登録したばかりの名前がひとつ。十年前に途切れたはずの、彼の番号だ。
私はいま、賃貸マンションで一人暮らしをしている四十代半ばの女性だ。若い頃、ほんの短い間だけ心を寄せ合った年下の男性がいた。最後に顔を合わせたのは、たぶん十年前。連絡が切れたのは喧嘩をしたからでも、嫌いになったからでもない。私が携帯を買い替えたとき、うっかり彼の番号ごと手放してしまっただけのこと。あっけない終わり方だった。
風の便りに、彼はいまも一人でいるらしいと聞いた。それを聞いてから、時々ふっと彼の横顔を思い出す。元気だろうか。ちゃんとごはんを食べているだろうか。
先週、実家の押し入れから出てきた古い手帳。そのページの隅に、私自身の丸っこい字で走り書きされていた番号を見つけたとき、胸のあたりが小さく鳴った。この番号にかけたら、もしかしたら。
でも——十年も黙っていた女が今さら突然連絡してきたら、彼はどう思うだろう。迷惑だろうか。気味が悪いと思われはしないだろうか。惣菜のパックを前に、私は箸をつけられないまま座っている。
よりみちナビゲーターの対話
サキ: この手帳の番号を見つけたとき、胸のあたりが小さく鳴った、っていうところ。私、そこにずっと引っかかっているんです。忘れていたなら、鳴らない。あなたの体のほうが、頭より先に反応している。それはもう、答えが半分は出ているようなものじゃないでしょうか。気になっていない人は、惣菜を前に箸を止めたりしませんから。
ケンゴ: 気持ちは分かる。ただ、私は少し冷静なほうから話をさせてもらう。十年という時間は、けっして短くない。彼の生活は、私たちの想像の外側で確実に動いている。連絡が来て喜ぶ状態なのか、そっとしておいてほしい状態なのか、それは連絡してみるまで誰にも分からない。だからこそ私は、「やめておけ」とは言わない。むしろ分からないことを分からないまま抱え続けるほうが、五年後のあなたを苦しめると思う。
サキ: ケンゴさんの言うことも分かります。ただ——今のは少し、損得の話に寄っていませんか。この方が怖いのは「無駄になること」じゃなくて、「相手の時間を、自分が汚してしまうこと」だと思うんです。気持ち悪いと思われたらという言葉の奥には、彼を大事に思う気持ちがそのまま裏返って出てきている。迷惑をかけたくないほど、大事なんですよ。
ケンゴ: ……なるほど。そこは私の言い方が浅かった。訂正する。損か得かではなく、あなたは彼を傷つけたくないんだな。だとすれば、なおのこと伝えておく。突然の連絡で、相手を驚かせないためのやりようはある。その番号がまだ生きているとも限らない。まずは短い一言から始める。名乗って、番号を偶然見つけたこと、元気かどうかだけ知りたかったこと。それ以上を最初から背負わせない。構造として、相手に「返さない自由」を残しておくんだ。
サキ: そう、それはとても大事ですね。「返事をくれなくてもいい」って、最初にことわってあげること。それだけで連絡は要求ではなくなって、ただの贈り物になります。あなたが十年、時々思い出していたというその事実だけを届ける。彼がどう受け取るかは、彼のものです。
シオン: ——ところで。気持ち悪いかどうかと、最初にあなたは問うた。私はその問いそのものを、少しだけ横に置いてみたい。十年前に途切れたのは、あなたが番号を失くしたから。けれど番号はこうしてまた、あなたの手のなかに戻ってきた。失くしたものが戻るということが、人生にどれほどあるか。それは気持ち悪さの問題ではなく、たぶん、縁の巡りの問題なのではないだろうか。
自分に問いかけるロードマップ
- 「気持ち悪いと思われたら」という怖さの、いちばん奥にあるのは何だろう。それは彼への遠慮だろうか。それとも、拒まれた自分を見たくないという怖さだろうか。
- もしこの番号に連絡せずに、また十年が過ぎたとする。そのとき、惣菜を前に箸を止めていた今日の自分を、私はどう思い出すだろう。
- 私が彼に届けたいのは「返事」だろうか。それとも「元気でいてほしい」という気持ち、そのものだろうか。
- 逆の立場を想像してみる。もし十年前に縁の切れた誰かから「時々思い出していた」と連絡が来たら、私はそれを気味が悪いと感じるだろうか。
本日の羅針盤
連絡すべきか、しないでおくべきか。ここで一本の答えを渡すことはしません。ただ、三人の声には共通して流れているものがありました。
サキは、あなたのためらいそのものが「相手を大事に思う気持ちの裏返し」だと見ました。
ケンゴは、分からないまま抱え続けることの重さを指摘し、そのうえで「相手に返さない自由を残す」という具体的なやり方を示しました。
シオンは、失くした番号が戻ってきたという巡り合わせに、静かに目を向けました。
もしあなたが連絡するなら、伝えるのは要求ではなく、ひとつの気持ちで足ります。名乗ること。偶然番号を見つけたこと。元気かどうかだけ知りたかったこと。ショートメールに返事はいらない、と添えること。
そこまでにしておけば、それは彼の生活を脅かすものにはなりません。そして——連絡しないという選択も、決して臆病ではありません。思い出をそのまま静かに抱えて生きることも、ひとつの誠実さです。
気持ち悪い連絡かどうかを決めるのは、行為の中身ではなく、そこに込める配慮です。十年黙っていたことを恥じる必要はありません。あなたは番号を失くしただけで、気持ちまで失くしたわけではないのですから。
もしこの方の「思い出しては気にしてしまう」状態が長く続き、日々の生活や眠りに影を落とすほどになっている場合は、一人で抱え込まず身近な相談窓口や専門機関への相談もご検討ください。





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