三ヶ月の観察者になる――「形式」と「仕事の中身」を、自分の手で切り分ける
あの日、ケンゴさんから「君の感覚は正当だ」と言われた時、私は一瞬、言葉を失った。自分の中で「また合わなかった私」という物語が、静かに組み替えられていく音がした。
面接で聞いた「古き良き社風です」という言葉。その輪郭を見誤ったのかもしれない、と思っていた。でも、見誤ったのは私の側だけではなかったのかもしれない。「古き良き」と呼ばれるものの中には、本当に価値のあるものもあれば、形だけを借りた別のものもある。その切り分けを、自分の手でやってみよう。そう思えたのは三ヶ月ぶりに、自分の感覚を信じられた瞬間だった。
でも、ここからどう動けばいいのだろう。いきなり辞めるのは、また履歴書に一行増やすことになる。かといって無条件に慣れようとするのも、違う気がする。ケンゴさんは「観察者になれ」と言った。観察者って、どうやるんだろう。私はもう一度、ケンゴさんとサキさんのところへ戻ってきた。
ケンゴとサキによる対話
ケンゴ:前回の整理を引き受けてくれたようで何よりだ。今日はその整理を、日々の行動に落とし込む話をする。観察者期間を三ヶ月、と設定しよう。この三ヶ月の目的は二つだ。
一つ目は、この会社の「形式の部分」と「仕事そのものの中身」を、自分の手で分離すること。儀式の違和感と業務の価値は、本来別の話だ。だが、毎日両方を一緒に浴びていると、頭の中で混ざって「全部嫌だ」になりやすい。記録することで、そこを分けて見る。
二つ目は、退職を選ぶにしても残留を選ぶにしても、「過去の退職歴の延長線上ではない、独立した一つの判断」を下すための証拠を揃えることだ。
サキ:記録するって聞くと堅く感じるかもしれませんが、寝る前の五分でいいんですよ。完璧に書こうとしないで、断片で十分です。
四つのログ(記録)――形式と中身を切り分ける
ケンゴ:ノートを一冊用意してほしい。四つの欄を作る。
①身体ログ(毎日)
睡眠時間、寝つきの良し悪し、起床時の身体の重さを三段階(軽い/普通/重い)。食欲、通勤時の胃の状態も添える。身体は嘘をつかない。頭で「慣れてきた」と思っていても、ログには別の線が出ることがある。
②形式ログ(気づいた日だけ)
朗読、社歌、社訓唱和、「ありがとうございます!」の強制、お茶出し、PC不使用。この六項目のうち、その日どれに対して身体がどう反応したかを一行で書く。「嫌だった」ではなく「何が起きて、自分の身体がどう反応したか」だ。
例:「朗読中、咳払いに上司が目を向けた。肩が縮んだ」。
③業務ログ(週一)
これが今回、最も大事な欄だ。形式の話は一切書かない。今週、仕事そのものとしてやった内容を五行で書き出す。
手書きで書類を作ったこと、上司や先輩から教わった仕事の型、取引先とのやり取りで学んだこと。
形式を取り除いた後に残る「仕事の手応え」を、自分の目で確認する作業だ。
④回復ログ(週一)
週末、月曜の朝までにどれだけ回復できたか。土曜午前で回復するのか、日曜夜まで引きずるのか、月曜朝に既に疲れているのか。回復速度は、環境適性の最も正直な指標だ。
サキ:③の業務ログ、本当に大事ですよね。形式が強烈な会社にいると、どうしても違和感で頭がいっぱいになって、仕事そのものを評価する目が曇ってしまう。でも、もしかしたら手書きで書類を作る過程で、デジタル全盛の会社では得られなかった「書類の構造を身体で覚える」経験をしているかもしれない。逆に何も残らないなら、それも重要なデータです。
ケンゴ:前回言った「本当に価値のある古き良き」要素が、この会社にも一部残っている可能性をフェアに評価するための欄でもある。形式は空虚でも、上司や先輩が仕事の型を丁寧に教えてくれるということが起きているなら、それは別の価値として計上する。逆に、形式ばかりで仕事の中身もスカスカなら、両面でこの会社に残る理由がないということだ。
三ヶ月後に自分に問う、四つの問い
ケンゴ:三ヶ月後、ログを最初から最後まで読み返して、自分に四つ問う。
問い①:身体ログの「重い」は、減ったか、増えたか、横ばいか。
減っていれば適応が進んでいる。増えているか横ばいなら、慣れではなく摩耗が起きている可能性が高い。
問い②:形式ログの違和感は特定項目に集中しているか、全項目に散っているか。
特定項目(たとえば朗読だけ、社歌だけ)に集中しているなら、部分的距離の取り方で対処できる余地がある。全項目に散っているなら、会社の文化そのものとの不整合で、部分対処では解決しない。
問い③:業務ログに、自分の将来に繋がる手応えがあるか。
あるなら、形式に目をつぶってでも一定期間残る価値がある。ないなら、滞在の理由は「辞めたくないという感情」だけになっている。
問い④:この三ヶ月で、仕事の型として一つでも「次の職場に持っていけるもの」を得たか。
この問いが、過去の退職と今回の違いを決める。何一つ得ずに辞めるのと、一つでも型を身につけて辞めるのでは、次の職場での立ち位置が根本的に違う。
サキ:四つ目の問い、すごく大事ですね。仮に辞めることになっても、「あの三ヶ月で私はこれを身につけた」と言える何かを持って出る。それがあるかないかで、履歴書の一行の重さが変わる。
判断軸を、感情の外に置く
ケンゴ:感情で決めない、というのは冷たいことじゃない。むしろ感情を信じるために、感情の外に物差しを置いておく。そうしないと、追い詰められた時の自分の判断を後で自分が疑ってしまうからだ。俺たちが失敗してきたのは、感情を抑え込んで我慢したことじゃない。感情を証拠として扱う訓練をしないまま、感情に振り回されたり、感情を無視したりを繰り返したことだ。
サキ:過去の退職を「失敗」にしないための三ヶ月、とも言えますよね。たとえ最終的に辞めるという結論になっても、「なぜ辞めるのかを自分の言葉で説明できる初めての退職」になります。それは次の職場選びの精度を根本から変えます。
ケンゴ:次の面接で「前職はなぜ辞めたのか」と聞かれた時、「合わなかった」ではなく、「業務の中身と形式が接続していない構造の会社で、自分の判断軸の中ではこの要素が不整合と確認できたため」と答えられる人間は、採用側から見ても別物だ。退職回数より、退職の解像度。そして退職の解像度は、在職中にログを取った人間にしか持てない。
本質的な結論:三ヶ月の観察者期間は、耐えるための猶予ではない。「形式だけの部分」と「仕事そのものの中身」を、自分の手で分離して評価するための作業期間だ。
四つのログ(身体・形式・業務・回復)を淡々と記録し、三ヶ月後に四つの問いで自分に答えを出す。この手続きを踏めば、残るにせよ去るにせよ、それは過去の退職歴の延長線上の決断ではなく、独立した一つの意思決定になる。
さらに重要なのは、業務ログを残すという行為そのものが、本当に「古き良き」と呼ぶに値する要素(長期的な人材育成、丁寧な仕事の型)がこの会社にどの程度残っているかを、フェアに評価する作業でもあるということだ。形式の違和感で全部を捨てる前に、仕事の中身だけは真っ直ぐに見る。その眼差しは次の会社でも、あなたを守ってくれる。



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