朝礼で社歌、PC不使用、社訓12個。「古き良き社風」の正体を見抜く三ヶ月

ノートを閉じた、その後で――九月のはじめに

九月のはじめ、少し反ったあのノートを、私は本棚の一番下に立てかけている。背表紙の色褪せ方が、自分でも意外なほどに気に入っている。
三ヶ月、毎晩五分だけ開いて、身体のこと、朝の朗読のこと、手書きで作った書類のこと、週末の回復のことを書き続けた。ページは薄く膨らんで、もう閉じきらない。

あの三ヶ月が終わった七月のはじめ、私は一つの判断を下した。その判断の中身は、ここでは書かない。書かないことにした、という方が正確かもしれない。
残ったのか、辞めたのか、もう少し見ると決めたのか――それは、同じようなノートを開いている誰かにとっては、自分で書き込むべき空欄だろうと思うからだ。

ただ一つ、はっきりしていることがある。
今回の判断を、私は過去の退職歴の延長線上に置かなかった。履歴書の行数と、いま目の前の会社と、未来の私。三つを混ぜずに計算できた、初めての判断だった。それだけで私は自分のことを、少し信じられるようになった。

朝の駅のホームに立つ時、以前ほど足は重くない。
重い日もある。けれど重さの理由を「自分がまた弱いからだ」と即座に決めつけることは、もうなくなった。
身体が重いのは、その日の気圧のせいかもしれないし、昨夜の寝つきのせいかもしれないし、本当に今日の仕事に何か引っかかりがあるのかもしれない。理由を、身体に聞く癖がついた
三ヶ月のログが、私にくれたのは、判断そのものよりも、この癖のほうだったのかもしれない。

お茶を淹れる時、急須の重さをもう震える指で確かめることはない。湯気の立ち方を、少しだけ面白いと思う瞬間すらある。お茶そのものが変わったのではない。お茶を淹れる自分が、「何のためにこれをしているか」を自分の言葉で持てるようになったから、手の感触が変わったのだと思う。

ケンゴさんとサキさんとは、あれから直接は会っていない。けれど迷いかけた朝に、二人の声が頭の中で小さく響くことがある。
ケンゴさんは「事実同士を混ぜて計算するな」と、少し不機嫌そうに言う。
サキさんは「身体が先に答えを出しているんですよね」と、静かに笑う。
二人が隣にいなくても、二人の言葉が私の中の物差しになっている

ノートはもう、新しいページには進んでいない。でも、半年後にまた一週間だけ開くようケンゴさんに言われた。定点観測、と呼んでいた。カレンダーの来年一月のページに、小さな丸印がひとつ、鉛筆で書いてある。その日が来たらまたこのノートを膝に乗せて、五分だけ身体の声を聞く。それまでの半年は、ノートを閉じたまま日常を生きていいということだ。

面接で「古き良き社風です」と言われたあの日、私は言葉の輪郭を見誤った、と思っていた。
いまは少し違う。見誤ったのではなく、見分ける物差しをまだ持っていなかっただけだ。物差しは三ヶ月のノートの中で、少しずつ自分の手で削り出されていった。削り方が不格好でも、自分で削ったものは自分で使える。

九月の夕方、家に帰る道で、近所の小学校から子どもたちの声が聞こえてくる。誰かの母親が「もう帰るよ」と呼んでいる。その声の普通さに、私はなぜか足を止めた。普通の夕方が、普通に過ぎていく
三ヶ月前の私には、この普通さが遠い場所にある風景のように見えていた。いまは自分もその風景の一部として、ちゃんと歩いている気がする。

どの道を選んだかは、もう大きな問題ではない。どの道を、どう選んだか。そこに私は自分の居場所を見つけた。社歌の二番を覚えているか、もう覚えていないかも、自分ではよく分からない。それくらいの距離であの三ヶ月は、私の中に静かに畳まれている。

編集長より

全三章とエピローグ、お読みいただきありがとうございました。この相談の出発点は、「慣れるまで努めるしかないでしょうか」という、ご本人も答えを半ば決めかけた問いでした。
私たちが差し出したのは、慣れるか辞めるかの二択を、「形式と実利の接続という眼で、自分の判断を自分のログで下す」という第三の動きに組み替える枠組みでした。

エピローグで、相談者がどの分岐を選んだかを特定しなかったのは、読者それぞれに自分の空欄を残すためです。同じ相談文を読んでも、読者が置かれた状況によって残るが正解の方もいれば、去るが正解の方もいる。どちらもあっていい。ただ、選び方には自分の物差しがあってほしい。それだけです。

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