仕事はお金を得るための場所だ
夜の十時を過ぎると、病院の廊下は別の顔になる。昼間あれほど慌ただしかったナースステーションの灯りも半分に落ち、リノリウムの床に自分のスニーカーの音だけが響く。私はモップを握り直して、外来待合のベンチの下を拭く。四十八歳、夜間清掃の仕事を始めて六年になる。
更衣室で「お疲れさまです」と言う。エレベーターで一緒になった同僚に「お疲れさまです」と言う。仕事が終わって「お先に失礼します」と言う。それで足りる。たぶん、足りているはずだ。
若い頃は違った。前の職場 —— スーパーのバックヤードにいた頃は、休憩室でお茶を回し、誰かの誕生日にケーキを買い、長く話せば話すほど人間関係は深まると信じていた。けれど、信じていたぶんだけ、こぼれ落ちたときの音は大きかった。陰口、派閥、信じた相手からの裏切り。気がつけば、職場へ向かう電車の中で胃が固くなる癖がついていた。
だからここでは、もう決めている。仕事はお金を得るための場所だ。友達を作る場所ではない。一度親しくなって、何かのきっかけでこじれて、シフトを組むのも気まずくなる —— そんなふうに崩れるくらいなら、最初から線を引いておいた方がいい。挨拶は丁寧に。表情は柔らかく。けれど、それ以上は踏み込まない。踏み込ませない。
休憩時間、自販機の前のベンチで一人、缶のミルクティーを飲む。同じ時間にやってくる若い清掃員の女性が、何度か話しかけてくれたことがある。私は短く笑って、当たり障りのない返事をした。彼女はやがて、別のグループのところへ行くようになった。それでよかった、と思っている。たぶん、それでよかったのだ。
この考え方は、間違っているのでしょうか。守りに入りすぎているのでしょうか。それともこれも一つの、大人の働き方として認められるものでしょうか。
合理的な選択を、責める者はいない
ケンゴ:その判断は、間違っていないと思う。むしろ過去の経験から学んで自分なりのルールを設計したという意味では、十分に合理的だ。職場は労働の対価を得る場所であって、友情を強制される場所ではない。これは原則論として、はっきり言っておきたい。
俺も管理職という立場上、職場の人間関係というものを長く観察してきた。仲が良かった同僚が部署異動で疎遠になり、距離を置いていた相手と十年後に共同プロジェクトを組むこともある。
組織の中の関係は、思っているほど永続的ではない。だからそこに過剰な期待をかけない人間の方が、長く働き続けられるケースは多いと思う。
シオン:ただし、扉を閉めることと鍵をかけることは、似ているようでまるで違う。閉めた扉は、いつかまた開く余地を残している。鍵をかけてしまうと、開けるための手間そのものが、こちらの心の負担になっていく —— そんな違いを、あなたは認識しているだろうか。
ケンゴ:シオンの言うことには一理ある。ただ、俺はあえて相談者の選択を支持する側に立ちたい。世の中には「職場でも友達を作るべきだ」「コミュニケーションが豊かなチームこそ良い職場だ」という言説が溢れている。だが、そのプレッシャーに応えようとして消耗している人間がどれだけいることか。挨拶を欠かさず、業務上の連携を丁寧に行う —— それだけで、職業人としての責任は十分に果たしている。
ただし、「閉じた」のか「閉じざるを得なかった」のか
ケンゴ:その上で、一つだけ確認しておきたいことがある。今のスタイルは、自分で選び取ったものだろうか。それとも、過去に傷ついた経験が選ばせているものだろうか。この二つは、外から見れば同じ「距離を置く働き方」に見えるが、内側にあるものはまったく違う。
前者なら、何の問題もない。胸を張っていい。後者の場合は、少し注意が要る。傷の記憶が判断軸になっていると、本当は無害な相手やあなたを大切にしようとしてくれる相手まで、自動的に遠ざけてしまうことがある。それは「選択」ではなく「反応」だ。
シオン:自分の決めたルールが自分を守る盾なのか、それとも自分を閉じ込める檻なのか。同じ形をしていても、役割は時とともに入れ替わるものだ。
ケンゴ:休憩室で話しかけてくれた若い同僚のくだりが、少し気になっている。「それでよかった」と二度書いていることが、引っかかるんだ。一度で済まなかったということは、本当はどこかでもう一度、言葉を交わしてみたかったのかもしれない。それを責めているわけじゃない。ただ、そういう揺らぎが自分の中にあると気づいておくことは、後々、自分を楽にすると思う。
結論:職場で深い人間関係を築かないという選択は、立派に成立する大人の働き方だ。それを「冷たい」「閉鎖的だ」と断じる権利は誰にもない。ただし、その選択が「自分の意志による設計」なのか、「過去の痛みによる回避」なのかは、ときどき自分自身に問い直してみる価値がある。
前者であれば、その姿勢を貫けばいい。後者であれば、すべての扉を閉ざす必要はなく、半分だけ開けておく扉が一枚あってもいい —— その判断は誰かに従うものではなく、自分の手の中にある。
※過去の対人関係による傷つきが今も日常生活に強く影響していると感じる場合は、産業医や地域の心理相談窓口など、専門機関への相談もご検討ください。一人で抱え続ける必要はありません。




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