ああ、また来たな
明け方の四時半、いつもの時間に目が覚めた──はずだった。
カーテンの隙間から、まだ夜の色をした空がうっすら見えている。布団の重みも、枕に押し付けられた左頬の感触も、はっきりわかる。隣で妻が寝返りを打った気配まで届く。なのに、体が動かない。指先一本、瞼の縁一ミリも、私の意志に応えてくれないんです。
「ああ、また来たな」と思いました。五十を過ぎたあたりから年に数回、こういう朝がある。耳鳴りも不気味な影も、何もない。ただ、体だけが私を置いてけぼりにして、まだ眠っている。
声を出そうとしました。妻を呼びたかったわけじゃない。ただ、「ここにいる」と自分で確かめたかった。でも喉も動かない。心の中だけで「起きるぞ、起きるぞ」と繰り返しているうちに、また意識が遠のいて、次に目を開けたときには七時を回っていました。
勤務先である図書館の開館準備に間に合わせるため、コーヒーも飲まずに家を出ました。自転車のサドルが冷たくて、現実に戻ってきた気がしました。
──こういうとき、抵抗すべきなんでしょうか。それとも、諦めて身を委ねたほうがいいんでしょうか。たいした悩みじゃないとわかっています。でも、自分の体なのに自分のものじゃない時間があるって、なんだか落ち着かないんです。
四時半の天井を見つめながら
サキ:その感覚、わかりますよ。「たいしたことじゃない」と頭ではわかっているのになんとなく気になって、でも人に話すほどでもなくて、心の隅に小さく引っかかったままになるんですよね。
シオン:体が動かない数分間というのは、時計で測ればごく短いものだろう。けれどその人にとっては、ずいぶん長い「途中」の時間ではないだろうか。眠りでもなく目覚めでもない、名前のついていない場所にいる感じ。
サキ:そうですね。しかもご相談者さんが書いてくださった「自分の体なのに自分のものじゃない時間」という言葉、すごく丁寧だなと感じました。怖いとか嫌だとか、そういう強い言葉じゃなくて、ただ「落ち着かない」。この距離感の取り方そのものに、長く生きてこられた方の落ち着きを感じます。
シオン:なるほど。怯えてもいないし、ロマンチックに飾ってもいない。淡々と自分の体に起きていることを観察している。その姿勢が、すでにひとつの答えに近いのかもしれない。
「抵抗か、諦めか」という二択の窮屈さ
サキ:ご相談を読んでいて、ひとつ気になったところがあるんです。「抵抗するか、諦めるか」という二択になっていますよね。これって金縛りに限らず、私たちが体や心の不調と向き合うときに、つい陥りがちな構図だなと思って。
シオン:闘うか、降伏するか。勝つか、負けるか。けれど体の声に対して、勝ち負けという物差しはそもそも合っているのだろうか。
サキ:たとえば洗い物のあとで腰が痛くなったとき、「痛みに抵抗するか、諦めるか」とは考えないですよね。「ちょっと座ろう」とか「明日は無理しないでおこう」とか、もっと別の選択肢が自然に出てくるはずです。
シオン:そうだ。金縛りという現象も、本来は同じ位相にあるものなのかもしれない。「観察する」「やり過ごす」「次回までに体調を整えておく」──選択肢は二つより、ずっと多いのではないだろうか。
サキ:ちなみに、医学的に金縛りは「睡眠麻痺」と呼ばれていて、レム睡眠と覚醒のタイミングがほんの少しずれたときに起こる、ごくありふれた現象だとされています。心霊的な意味づけは必要ないと、多くの睡眠研究者が説明していますね。疲労や睡眠不足、不規則な生活リズムが引き金になりやすいとも言われています。
シオン:つまり、体が「少し休ませてくれ」と、いつもと違うかたちで声を上げているのかもしれない。敵ではなく、訪問者として迎えるという見方もできるだろう。
気づきのために──体に問いかけてみる
ご相談者さんに、ひとつだけ問いを置いておきたいと思います。
金縛りが起きるとき、その前後の数日、生活はどんなふうでしたか。眠る時間が遅くなっていなかったか。ずっと気を張る用事が続いていなかったか。お酒や、いつもと違うリズムの食事はなかったか。
シオン:答えを出すためではない。ただ自分の体が、どんな前触れでその「途中の時間」に入っていくのか、観察するためのメモのようなものだ。
サキ:抵抗するでも諦めるでもなく、「記録する」。それだけで、次に来たときの感じ方が少し変わるかもしれません。
本日の羅針盤
金縛りは闘う相手でも、屈服する相手でもありません。体が発する少し変わったかたちの便りです。「抵抗か、諦めか」という二択を脇に置き、「今、自分の体は何を伝えようとしているのか」と耳を澄ますこと。それが動かない数分間を自分の人生の中に静かに迎え入れるための、いちばん穏やかな作法ではないでしょうか。
なお、頻度が増えたり、日中の強い眠気や生活への支障を感じたりする場合は、睡眠外来などの医療機関へのご相談もご検討ください。体の便りを、専門家と一緒に読み解くという選択肢もあります。
参考情報
本記事の睡眠麻痺に関する一般的な記述は、睡眠生理学の入門書や公的医療機関の一般向け解説で広く共有されている内容に基づいています。個別の症状について、医療機関でのご相談をおすすめします。




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