条件を満たさない人間は土俵にすら上がれない
三十八歳になりました。地方都市の、駅から少し離れた場所にある小さな書店でパートとして働いています。母と二人暮らしで、結婚はしていません。
夕方の棚卸しの時間、文庫の背を一冊ずつ揃えながらふと考えてしまうんです。私には、いわゆる「条件」と呼ばれるものが、ほとんどないなあと。年収は手取りで月十二万ほど。資格もなく、これといった特技もなく、車も持っていません。
スマートフォンで婚活アプリの記事を読むと、「女性の希望年収は最低四百万」「三十代後半は市場価値が下がる」といった言葉が並んでいます。マッチングアプリのコラム、結婚相談所のブログ、SNSの匿名の投稿。どこを見ても、人間が表になって、点数がついている。
頭ではわかっているつもりなんです。経済的な安定が大切なこと。お互いの将来を考えれば、条件を見るのは当然だということ。それでも夜、母が寝静まったあとに台所で麦茶を飲んでいると、胸の奥がぎゅっと縮こまる感じがするんです。
私みたいな人間は、誰かと並んで暮らす資格が最初からないんでしょうか。話していて楽しいとか、一緒にいて安心するとか、そういうものはもう、誰も求めていないんでしょうか。
条件を満たさない人間は、土俵にすら上がれない。そう思うと、誰かを好きになることすら贅沢な気がしてしまうんです。
サキの視点 ― 「条件」という言葉に押し潰される前に
お手紙、ゆっくり読みました。文庫の背を揃えている夕方の時間、なんだか目に浮かぶようでしたよ。
先にひとつだけ言わせてください。あなたが感じている息苦しさは、おかしなことじゃないです。むしろ、当然の反応だと思うんです。だって毎日のように「人間の価値を、数字で並べ替える言葉」を浴び続けていたら、誰だって自分の存在が薄くなっていく感覚に襲われますから。
私自身、フリーランスとして働きながら子育てをしていた時期、求人サイトの「想定年収」の欄を見ては、自分の市場価値というものを勝手に値踏みして勝手に落ち込んでいた頃がありました。干したばかりのタオルを畳みながら、「私はこのタオルを畳むことしかできない人間なのかもしれない」なんて、極端なことを考えたりして。
でもね、あとから振り返って思うんです。あのとき私は、「数字」で測れるものだけを「価値」と呼んでいた。それ以外のものを見えないことにしていたんですよね。
ケンゴの視点 ― 情報の偏りを、構造として見る
少し冷静な話をしたい。あなたが目にしている言葉の多くは、何かを「売るため」に書かれている文章だ。婚活サービス、年収アップを謳う転職媒体、再生数を稼ぐ動画。これらは読者の不安を刺激しなければ、収益が立たない構造になっている。だから極端な数字や断定的な物言いが選ばれやすい。
つまり、あなたが浴びている「条件」の言説は現実の平均値ではなく、不安を煽るために選別された情報だと思っていい。実際、国の調査を見ても、結婚した夫婦の出会いのきっかけや決め手は想像以上に多様だ。年収が単独の決定要因になっているケースは統計上、それほど多くない。
もちろん、経済的な見通しは大事だ。それは否定しない。だが「条件を満たさない人間は土俵に上がれない」というのは市場の言葉であって、人生の言葉ではないだろう。土俵というのは誰かが勝手に作った仮設のものだ。あなたが本当に立つべき場所は、そこじゃないと思う。
気づきのために、ひとつ問いを置きます
あなたが「条件がない」と感じるとき、その物差しは誰が作ったものでしょうか。
書店の棚を一冊ずつ整えるとき、文庫の背の高さを揃えるとき、母と並んで麦茶を飲むとき。その時間のなかにあるものは、年収という単位では決して測れません。けれどそれは「価値がない」のではなく、「その物差しでは測れない」だけなんですよね。
誰かと並んで暮らすということは、相手の物差しに合格することではなくて、二人の間に新しい物差しを少しずつ作っていくことなのかもしれません。
本日の結論
「条件で選ばれない」という不安の正体は、多くの場合、他人が売るために作った物差しを自分の人生に当てはめてしまうことから生まれます。あなたの価値は市場で値付けされるものではなく、誰かと過ごす日常のなかで、ゆっくりと立ち上がっていくものです。
まずは外から流れてくる「条件」の言葉から、少しだけ距離を置いてみませんか。スマートフォンを置いて、書店の棚を整える自分の手をただ眺めてみる。そこから始めて、いいと思うんです。
※ 気持ちの落ち込みが続いたり、眠れない日々が重なるようなときは、お住まいの地域の相談窓口やこころの健康に関する専門機関にご相談されることも、選択肢のひとつとしてご検討ください。




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