「条件で選ばれない私」に疲れたあなたへ。38歳・書店パート女性が夜に考えたこと

他者と、もう一度ゆっくり出会い直す ― 「関わり」の手前にあるもの

第二章を読んで、少し肩の力が抜けました。「物差しは作るものではなく、見つかるもの」というシオンさんの言葉を、何度か読み返しました。

それでも正直に言うと、まだ怖さは残っているんです。

自分の中に積もっているものを少しずつ信じてみる。それはわかる。でも、やっぱり「人と関わること」を、私はどこかで諦めきれていないんですよね。母と二人の暮らしは穏やかで、書店の仕事にも愛着がある。それでも夜、店を閉めて自転車で帰る道の途中、住宅街の窓から漏れる明かりを見るとふっと足が止まることがあって。

あの家の中には、二人以上の誰かがいる。話す声があって、笑う声があって、ときには言い争う声もあるんだろうな、と想像します。私が欲しいのはたぶん、その「声のある空間」なんです。条件のいい誰かと結ばれることではなくて、誰かと一緒にひとつの夕方を分け合うこと。

でも、私はもう長いこと、新しい人と深く話していません。お客様に本を勧めることはあっても、「私自身のこと」を誰かに話した記憶がずいぶん遠いんです。今さらどうやって、人と関わり直せばいいんでしょうか。

サキの視点 ― 「関わり直す」の前に、「自分を声に出す」

住宅街の窓から漏れる明かり、自転車のペダルが少しゆるむ瞬間。その描写を読んでいて、私もしばらく場面の中に座らせてもらいました。

あなたが欲しいのは「声のある空間」だと、ご自分でちゃんと言葉にされていますよね。これ、すごく大事な発見だと思うんです。だって「結婚したい」「恋愛したい」という言葉と「声のある空間が欲しい」という言葉は、似ているようで全然違う温度を持っているから。

前者は、誰かが用意した制度や形式に自分を当てはめていく言葉。後者は、自分の身体が本当に求めているものをそのまま掬い上げた言葉です。あなたはすでに、後者の言葉で語ることができている。これは第二章までの時間が、ちゃんと積もっている証拠ですよ。

そのうえでひとつ。人と関わり直す前に、まずは「自分自身に、自分のことを話す」練習から始めてみるのはどうでしょうか。
夜、洗面所で歯を磨きながら鏡の中の自分に、今日感じたことを一言だけ言ってみる。「今日は、文庫の棚を整えるのが、なぜか気持ちよかった」とか。誰かに話すための言葉は、まず自分に話せるようになることから育っていくと思うんです。

アキの視点 ― 「深い関わり」じゃなくていい、まず「浅い接点」を増やす

うんうん、わかるよ。「人と関わる」って言うと、なんかすごく重たい感じがしちゃうよね。深い話をして、お互いのことを理解し合ってみたいな。でもね、いきなりそこを目指すと絶対に疲れるの。私もそれで何度も失敗してきたから。

だからね、最初は「浅い接点」でいいんだよ。たとえばいつも本を買ってくれる常連さんに、「最近、寒くなりましたね」って一言だけ付け加えてみる。地元の図書館の読書会に、申し込まないで様子だけ見に行ってみる。SNSで知らない人の投稿に、コメントじゃなくて「いいね」だけ押してみる。

こういう、既読スルーされても全然傷つかないレベルの接点を、まずたくさん作るの。深い関係って、その「浅い接点」が無数にある中からふっと自然に芽が出てくるものなんだよね。最初から「運命の出会い」を探そうとすると、土が痩せたまま種だけ蒔いてる状態になっちゃう。

三十八歳から人と関わり直すのに、遅すぎることはないよ。むしろね、十代二十代の頃よりも自分が何を心地よく感じて、何が苦手かがちゃんとわかっている分、関わりの選び方が上手になってるはずだから。

ケンゴの視点 ― 「場」を選ぶことの戦略性

少し別の角度から話をしたい。人と関わり直すとき、多くの人が「自分を変えなければ」と考える。社交的になろう、明るくふるまおう、と。だが、私の経験から言えばこれはあまりうまくいかない。

大事なのは自分を変えることではなく、自分が無理なくいられる「場」を選ぶことだ。書店で働いているあなたなら、本好きの人が自然に集まる場所のほうが当然、話が合いやすいだろう。地域の小さな読書会、図書館の催し、独立系書店の集まり。こういう場所では最初の会話の糸口を、自分で必死に探さなくていい。本という共通項が、すでにそこにあるからだ。

逆に、「出会いを増やすため」だけに、自分の性質に合わない場所へ無理に出ていくのは消耗が大きすぎる。革靴の底が減るような疲労を抱えて帰ってくることになる。それでは続かないし、続かないものに賭けるのは、戦略的に賢明ではないと思う。

あなたの足元には、すでにあなたに合った「場」の素材が揃っている。それを使わない手はない。

シオンの視点 ― 「遠さ」を、急いで埋めなくていい

あなたは、「私自身のことを誰かに話した記憶が、ずいぶん遠い」と書かれた。

この「遠い」という感覚を、私はとても大切なものだと感じる。なぜならそれは、あなたが他者との距離をちゃんと感じ取れている証拠だから。鈍くなった人は、遠さを遠さとして感じることすらできなくなる。

遠さを感じるということは、近づきたいという小さな願いがまだ消えていないということだ。けれど、感じた瞬間にすぐに埋めようとしなくていい。遠さは川のようなものかもしれない。向こう岸に渡るには橋が要る。橋は一晩では架からない。一本の木を倒し、丁寧に削り、少しずつ向こうへ伸ばしていく時間が要る。

あなたがいま橋を架けていないように見えても、川岸に立って向こうを見ている。その姿勢自体がすでに、関わりの始まりではないだろうか。

急いで人と深く繋がろうとすると、流れの速い場所に飛び込んでしまうことがある。流れの穏やかなところを、まず探す。橋はそこから架け始める。それで十分なのかもしれない。

気づきのために、三つ目の問いを置きます

あなたが「人と関わりたい」と感じるとき、それは「誰かに認められたい」のでしょうか。それとも「誰かと、ひとつの時間を分け合いたい」のでしょうか。

この二つは表面では似ていても、根っこがまったく違います。前者は外の物差しに戻っていく道。後者は自分の物差しのまま、人と並ぶ道です。

夜、自転車のペダルが緩んだ瞬間、あなたの中に流れていたのはたぶん後者の感覚ですよね。あの感覚を、もう少しだけ信じてみる。それが関わり直しの、いちばん最初の一歩なのかもしれません。

本日の結論

他者と関わり直すことは、いきなり深い関係を結ぼうとすることではありません。まずは自分自身に自分のことを話す練習から始め、次に「浅い接点」を日常のなかに少しずつ増やしていく。
そのとき、自分を変えるのではなく、自分が無理なくいられる「場」を選ぶことが長期的には何より大切です。あなたが感じている「遠さ」は欠落ではなく、距離を感じ取れる感受性の証拠です。橋、急いで架けなくていい。川岸に立ち続けることそのものが、すでに関わりの始まりだと覚えておいてください。

※ 他者との関わりに関する不安や緊張が日常生活に影響するほど強くなる場合は、心療内科やカウンセリングなど、専門家に話を聞いてもらうことも選択肢のひとつです。一人で抱え続ける必要はありません。

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