手取り18万・毎月2万の積立。「何のために貯めているんだろう」と立ち止まった53歳の私へ

第一章:二万円の行き先が、わからない

私は五十三歳、山あいの町の製材所で事務をしています。朝いちばんに事務所へ入って、石油ストーブに給油して、芯を出して、火をつける。それが十九年間、毎日の最初の仕事です。冬になると事務室は木の粉の匂いとストーブの匂いが混ざって、その匂いを吸い込むと、ああまた一日が始まったなと思います。

三十歳になる少し前に離婚して、子どもはいません。それから母と二人で暮らして、七年ほど介護をしたあと、二年前に看取りました。畳には介護ベッドの脚の跡が四つ、今もくぼんだままです。掃除機をかけるたび、そこで少しだけ引っかかる。

手取りは十八万円ほど。母の入院や介護の途中でまとまったお金は削れて、残ったのは心細い額です。それでも私は、毎月二万円を積立に入れています。給料日の翌日、いつも同じ窓口で、いつも同じように記帳する。機械が通帳を吸い込んでカタカタと印字して吐き出す音を聞いたとき、去年の秋にふと思ってしまったんです。

——オレは何のために貯めているんだろう。

その日はスーパーで、半額になった鶏の惣菜を一度かごに入れて、それから棚に戻しました。二百八十円が惜しかったわけではありません。惜しんだ自分が、何のために惜しんだのかが分からなかった。
私の人生は、いつ終わるかも分かりません。母のように七年もかけて終わっていくのかもしれない。それなのに、いつ来るかも分からない「そのとき」のために、今日の夕飯を薄くしている。この優先順位は、本当に正しいのでしょうか。

もうひとつ、怖いことがあります。先月、同僚の男性の還暦のお祝いがありました。私はお祝いの席で笑っていたのに、帰り道の暗い県道を歩きながら、自分の六十歳、七十歳を思い浮かべようとして何も浮かばなかった。
若さも、体力も、人とのつながりも、少しずつ手からこぼれていく。それらが全部なくなったあと、人は何を頼りに「生きていてよかった」と思えばいいのでしょうか。私にはその頼るものの名前が分かりません。

よりみちナビゲーターの対話

ケンゴ: はじめに、ひとつ確認しておきたいことがある。あなたの二つの問いは別々の悩みのように見えて、実は同じ一本の柱でつながっている。「先の見通しが立たないのに、なぜ先のために我慢するのか」という構造だ。
私はこれを、意志の弱さの話だとは思わない。目的が失われた積立を、十九年分の律義さだけで回し続けている状態だと思う。エンジンは正常だ。ただ、行き先の表示が消えている。

アキ: うん、私はまずその通帳の音のところで胸が詰まったよ。カタカタって音を聞いた瞬間に「何のために」って思っちゃう感じ、わかる。あれって、疑いが湧いたっていうより疲れがやっと声になったんだと思う。
だから最初にやるのは計算じゃなくて、鶏の惣菜を戻した手を責めないことだね。あのとき二百八十円をあきらめた自分を、まだ足りないって叱ってる人が一番しんどいから。

ケンゴ: アキの言うことは分かる。ただ、私は違う順番を勧めたい。気持ちを認めるだけで済ませると、来月の給料日にまた同じ窓口で同じ音を聞いて、同じ疑問がぶり返す。感情は繰り返されるが、構造は一度直せば残る。
だから私は、数字の話を先にする。二万円という額が、あなたの手取りに対して適正なのか。それは誰の判断で決まったのか。十九年前のあなたの判断が、五十三歳の今のあなたを縛っているだけではないのか。ここを点検しないまま気持ちを慰めても、優しさが持続しない。

アキ: それは……ケンゴさんの言うことも一理あると思う。ただね、私が言いたいのは順番の話じゃなくて、この人がもう十九年、点検されずに走り続けてるってことなんだよ。
数字から入ると、たぶんこの人はまた「正解の額」を探して、それを守ることを新しい仕事にしちゃう。律義な人ってそうなる。だからまず、今日の夕飯を薄くしなくていい理由を先に渡してあげたい。

サキ: お二人の話、どちらも大事ですね。そのうえで私が気になったのは、畳のくぼみのことなんです。二年前に介護が終わって、その跡がまだ残っている。ということは、この方はまだ「お母さんのいた七年」の家計のまま暮らしていらっしゃるのかもしれません。介護をしていた頃の家計って、いつ何が起こるか分からないから、とにかく崩さないように、崩さないようにと身構えるしかないんですね。その構えが、体に染みついたまま残っている。ですから私は、これは動機がなくなった積立ではなくて、終わった戦いの装備を外し忘れている状態だと感じました。

ケンゴ: ……なるほど。それは私の見方より精度が高い。私は「行き先の表示が消えた」と言ったが、サキさんの見立てだと表示は消えたのではなく、古い行き先がまだ点いたままだということになる。目的地が「母の急変に耐えること」で固定されている。だとすれば直すべきは金額ではなく、まず設定の書き換えだ。訂正しよう。

サキ: 訂正というほどのことではありませんよ。ケンゴさんが構造の話をしてくださったから、私はその中に生活の手触りを置けたんです。ひとつだけ申し添えると、二万円をすぐ減らすのも私はおすすめしません。十九年続けたものを止めると、月末に妙な不安が来ます。生活が回らなくなる選択は、誰も幸せにしないので。

シオン: 皆の話を聞いていて、私は別のことを思っていた。あなたは「いつ終わるかも分からない人生のために」と書かれた。けれど、終わりの時期が分かっている人生というものが、この世にかつて存在しただろうか。人はみな、期限を知らされないまま準備をしている。それでも準備という行為を数千年やめられなかったのなら、準備の目的は「そのとき」に間に合わせることではないのかもしれない。準備をしている今日という時間の側に、何かの意味があるのかもしれない。答えは急がなくていい。

自分に問いかけるロードマップ

  • あの二万円を最初に決めたとき、私は何を怖がっていたか。その怖いものは、まだ同じ形で目の前にあるだろうか。
  • もし来月、二万円のうち三千円だけを「今日の私」に使うと決めたら、私は誰に怒られると想像するだろうか。その人は本当に怒るだろうか。
  • 母を見送ったあと、私はどの習慣を終わらせて、どの習慣を終わらせないまま持ってきたか。
  • 私は「生きていてよかった」と思える瞬間を、これまでの人生で一度も持たなかったのか。それとも、持っていたのに数えていないのか。

本日の羅針盤

第一章の段階で、私たちは結論を一本にしない。今日の時点で言えることは三つある。

ケンゴの視座では、これは目的の失われた積立ではなく、設定を更新していない積立である。金額の是非より先に、行き先の書き換えが必要だ。

サキの視座では、これは介護という七年の非常態勢が、平時になっても解除されていない状態である。装備を外すのは、少しずつでよい。

アキの視座では、まず二百八十円を棚に戻した手を責めないことが出発点になる。疑問が湧いたのは壊れたからではなく、限界まで律義だったからだ。

そしてシオンが置いた問いは、第二章以降の柱になる。準備とは、いつか来る日に間に合わせる行為なのか。それとも、準備している今日を成り立たせる行為なのか。

なお、母上を七年介護され、二年前に見送られた経験は、それ自体が大きな消耗をともなうものです。眠りが浅い、食事の味が薄く感じる、休日に体が動かないといった状態が続く場合は、気力の問題として抱え込まず、地域包括支援センターやお住まいの自治体の健康相談窓口など、専門機関への相談もご検討ください。

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