制度の隙間で、私の名前はどう呼ばれるのか
五十歳を過ぎてから、私は自分が「境界知能」という言葉の内側にいたことを知った。
若い頃はみんなが二回で覚えることを、私は五回繰り返した。工場のライン作業でも、手順が三つ以上重なると頭の中が白くなる。それでも「ちょっと不器用なだけ」で済まされて、四十年以上働いていた。
最近妻が亡くなり、一人になった私は自分の症状を役所に相談する。そのとき渡されたのは精神障害の手帳ではなく、療育手帳だった。
窓口の人は淡々と説明してくれたが、どうしても腑に落ちない。私は生まれつき何かが少し足りない。それは病気なのか、性質なのか。
なぜ「療育」という、子どもを育てるような言葉のついた紙が、七十を過ぎた私に手渡されるのか。同じ「わかりにくさ」を抱えているのに、なぜ人によって受け取る紙が違うのか。制度の線引きの、その細い一本の線の上に、私はずっと立っている気がする。
よりみちナビゲーターの対話
ケンゴ: まず、制度の骨組みから話したいと思う。療育手帳と精神障害者保健福祉手帳は、根拠になっている考え方が違うんだ。療育手帳は「知的障害」、つまり発達期──おおむね十八歳より前に現れた知的機能の状態を対象にしている。
一方の精神保健手帳は、統合失調症やうつ病、あるいは発達障害といった「精神の疾患」による生活の困難を対象にしている。境界知能が療育手帳の側で扱われることが多いのは、それが「発達期からの知的な状態」として理解されているからだ。病気が後から発症したのではなく、育ってきた過程の特性として捉えられている。だから「療育」という言葉がつく。
サキ: ケンゴさんの説明、制度の理屈としてはよくわかります。ですよね。ただ、私が気になるのはこの方が、「療育という言葉が腑に落ちない」とおっしゃっているところなんです。七十を過ぎた人が、子どもを育てるような響きの紙を手渡される。その言葉の温度とご自身の人生の長さが、まるで噛み合っていない。制度上は正しくても受け取る側の実感としては、自分の過去がなかったことにされたような、そんな寂しさがあるんじゃないでしょうか。
ケンゴ: サキの言うことも分かる。言葉の手触りが人を傷つけることは、私も否定しない。ただ──ここははっきり言っておきたいんだが、腑に落ちなさを「制度が冷たいから」で終わらせると、この方が本当に使える支援にたどり着けなくなる。
療育手帳であれ精神保健手帳であれ、受けられる福祉サービスや税の控除、就労支援には重なる部分が多い。名前の違いに立ち止まるより、その紙で何ができるかを一つずつ確認していく方が、生活は前に進む。
それに境界知能をめぐる認定基準が、自治体によってばらつくのは事実だ。財源の問題も地域格差も、根っこには構造がある。感情で線を引き直すことはできないが、構造は変えられる。だからこそ、この方には制度の中で声を上げる側に回ってほしいと私は思う。
サキ: ……ところで、この方が本当に知りたかったのは制度の分類そのものより、「なぜ私だけ違う扱いなのか」という、その孤独の理由だった気がするんです。長く見落とされてきた層だからこそ、名前のつき方一つに敏感になる。それはわがままじゃないと思うんです。
シオン: 名前とは面白いものだ。制度が人に名前を与えるとき、それは分類のためであってその人を理解するためではない。療育という二文字が、あなたの七十年を要約できるはずもない。
かつて名前を持たなかった人々が、ようやく一枚の紙を受け取った。それを不完全だと嘆くこともできる。だが、名前がついたということは、少なくとも制度があなたの存在に気づき始めた、その最初の一歩でもあるのかもしれない。
紙の名前とあなた自身は別のものだ。それを混ぜずにいられるかどうか──そこにこれからの生き方があるのではないだろうか。
自分に問いかけるロードマップ
- 私が本当に納得できないのは「制度の分類」なのか、それとも「見落とされてきた四十年」への感情なのか。この二つを一度、切り分けて眺めてみる。
- この手帳で「できること」を、まだ全部は知らないのではないか。窓口や支援センターで具体的に何が使えるのか、一つずつ確認したか。
- 「療育」という言葉に傷ついた気持ちは、否定しなくていい。ただ、その言葉と私自身の価値を同じ天秤に乗せていないか。
- もし制度の線引きに疑問があるなら、それを個人の諦めで終わらせるのか、当事者の声として誰かに届ける道があるのか。
本日の羅針盤
制度が人に手渡す名前は、その人の人生を語るためのものではなく、支援の入口を整理するための記号にすぎません。
ケンゴが示したように、療育手帳と精神保健手帳の違いは「発達期からの状態か、後から生じた疾患か」という考え方の違いに根ざしており、境界知能が前者で扱われることには一定の理屈があります。同時に、自治体ごとの基準のばらつきや、長く福祉から見落とされてきた歴史は、決してあなたの側の問題ではありません。
サキが掬い上げたように、言葉の手触りに傷つく気持ちは正当なものです。
そしてシオンが投げかけたように、紙に書かれた名前とあなた自身の存在は、切り離して抱えることができます。納得のいかなさを消す必要はありません。ただ、その紙で今日から何ができるのか──そこに一歩ずつ足をかけていくことが、四十年を無駄にしないための確かな道のりになるはずです。
制度の分類や認定基準について具体的な不安が残る場合は、お住まいの自治体の障害福祉窓口や、基幹相談支援センターなどの専門機関にご相談ください。制度の運用は地域差があるため、実際の窓口で確認することが最も確かな一歩になります。





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