「普通」という行方不明の物差し。母の一言と、手帳から消えない「あと7キロ」

「普通」という名前の、行方不明の物差し

台所の換気扇が低く唸る夜、私は炊飯器の内釜に一合の米を量りながら、指先が少しだけ震えているのに気づいた。三十四歳、専門学校で栄養学を教えている私が、いまだに自分の食べる量を怖がっている。この矛盾を、生徒には一生言えないだろうと思う。

私は昔、九十キロ近くあった。母の口癖は決まっていた。玄関で靴を履くたび、「そんな体で外に出るの」。運動会の朝、体操服のゴムがきつくて笑われた記憶より、その一言のほうがずっと深く残っている。
二年かけて三十キロ近く落とした今も、鏡の前に立つと最初に目がいくのは、丸いままの二の腕だ。もっと削れる。まだ足りない。「あと五キロ」と手帳の隅に書いた数字を、私は誰にも見せていない。

来月、久しぶりに実家へ帰る。母に会う。これだけやっても「まだ太ってる」と言われたら、私はきっと玄関で、また十歳の自分に戻ってしまう。せっかく積み上げたものがたった一言で崩れる予感がして、それが怖くて仕方がない。

よりみちナビゲーターの対話

アキ:読んでて、胸の奥がぎゅっとした。あのね、まず言わせて。三十キロ近く落としたって、それ本当にすごいことだよ。数字の話じゃなくて、毎晩お米を量る指先が震えるくらい、あなたは自分の体とずっと向き合ってきたんだよね。その積み重ねを、私はちゃんと見てるよ。

サキ:ですよね。私も栄養学を教えていらっしゃるという一文で、少し立ち止まりました。人に「適正」を教える立場でありながら、ご自分の適正は他人に決められたまま。その苦しさは、生半可なものではないと思うんです。

アキ:そうなの。私がずっと引っかかってるのはさ、「あと五キロ」って手帳に書いた数字。あれ、たぶん体重の話じゃないよね。お母さんに「もういいよ」って言ってもらうための数字なんじゃないかな。でも──ここが苦しいんだけど──その言葉って、たぶん何キロになってももらえない。

サキ:アキさんの言うこと、痛いほど分かります。ただ、私は生活の側からもう一つ気になっていて。手帳の数字を追う暮らしって、毎朝続けられるものでしょうか。教える仕事は体力も要ります。栄養が足りない状態で立ち続けて、いつか朝起き上がれなくなったとき、いちばん困るのはご本人なんです。心の物差しの話と同じくらい、明日の朝ごはんの話も私はしたいんです。

アキ:……サキさんの言うこと、分かる。分かるよ。ただね、今この人に必要なのは「体を大事に」って正論より先に、「怖がってていいんだよ」って一回抱きしめてもらうことだと思う。だって栄養のことは、この人がいちばん知ってるはずだもん。知ってるのにできない。そのねじれごと、認めてあげたいの。

サキ:……そうですね。順番を急ぎすぎました。まず、怖い気持ちが真ん中にある。それを置き去りにしたら意味がないですね。

シオン:ひとつ、気になっていることがある。あなたは「普通が分からない」と書いた。けれど普通というものは、そもそも誰かの家の物差しにすぎないのではないだろうか。あなたの母上の「普通」と、教壇に立つあなたが生徒に伝える「適正」は、違う言葉のはずだ。同じ人の中に、二つの物差しが同居している。壊れているのではなく、あなたはもう新しい物差しを手にしかけているのかもしれない。

自分に問いかけるロードマップ

「あと五キロ」の先に、私は誰の声を待っているのだろう。 その数字に届いたとき、本当に安心できるのか。それともまた、次の数字が現れるのか。追っているのは体重なのか、それとも「もういいよ」という許しの言葉なのか。

私が生徒に「適正」を教えるとき、使っている物差しは誰のものだろう。 教壇の上で信じている基準を、なぜ自分自身にだけは適用できないのか。その差はどこから来ているのか。

母の一言で崩れるのは、体重計の数字だろうか。それともまだ整理されていない、十歳の記憶だろうか。 崩れるのが怖いものの正体を、体の話と心の話にいちど分けてみる。

本日の羅針盤

まず、はっきりとお伝えしたいことがあります。身長百四十八センチ・体重五十キロ台という数字は、医学的な基準(BMI)で見れば、痩せすぎ寄りの標準の範囲内にあり、「デブ」という言葉が当てはまる状態ではありません。ここは感情でなく、事実として受け取ってください。

そのうえで、アキとサキが最後にたどり着いたのはこういうことでした。あなたの体はもう十分、あなたの努力に応えている。だから次の課題は体重計の上ではなく、あなたの中にある「物差し」そのものにあるのかもしれません。

シオンの言葉を借りれば、あなたはすでに二つ目の物差し——教壇の上の健やかさを測る物差しを持っています。帰省の日、母上の言葉が飛んできても、それは古い物差しの音にすぎない。その一言をあなたの価値を決める判決としてではなく、「ああ、母はまだあの物差しを使っているんだな」と、少し離れて眺められたら。それだけで、玄関で十歳に戻らず済むかもしれません。

無理に一つの答えに畳む必要はありません。ただ、これ以上体を削る前に一度だけ立ち止まってほしいのです。

なお、ご自身の食事量への恐怖や、体重が減っても止まらない不安が日常に影を落としている場合は、心療内科や摂食に関する専門の相談窓口を頼ることも選択肢のひとつとしてご検討ください。それは弱さではなく、自分の物差しを取り戻すための確かな一歩です。

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