「醜い」と名づけたその感情に、まだ名前がついていなかった頃の話
息子のスパイクを玄関で揃えながら、私はいつも考えてしまうんです。今日の試合、あの子はどう見られただろうって。
うちの子は後から始めたのに、何人も抜いてレギュラーになりました。コーチの言うことをちゃんと覚えて、家でも黙々と素振りをしています。それなのにチームの評価は「もう少し頑張ってほしい」。あの言葉を聞くたびに、胸の奥がきゅっとなるんです。これ以上、何をどうしろっていうんだろうって。
いちばん苦しいのは仲のいいお母さんに、「うちの子、最近すごく伸びてて」と言われたとき。笑顔で「すごいね」と返しながら、心の中では真っ黒なものが渦を巻いている。その子の上達が羨ましくて悔しくて、たまらない。
自分の子じゃなくて、他人の子に嫉妬している。そんな母親、いるでしょうか。これは醜い感情です。だから誰にも言えない。夫にも友達にも。ましてや息子にこの気持ちを悟られたら――そう思うと私は毎日、必死で蓋をしているんです。
よりみちナビゲーターの対話
サキ: 読ませていただいて、まず思ったんです。「醜い感情」って、ご自分でそう名づけてしまったんですよね。でも、私はそうは感じませんでした。それはお子さんのことを本気で見ているからこそ出てくる熱で、冷めた親にはそもそも嫉妬する余地すらないんですよ。
干したばかりのタオルを畳むみたいに、感情も一度ちゃんと広げてあげないとシワのまま固まってしまう。あなたは今、丸めたまま引き出しの奥に押し込んでいるだけなんだと思います。
ケンゴ: サキの言うことには共感する。ただ、私は一つ構造の話をさせてほしい。「もう少し頑張ってほしい」というコーチの言葉だ。あれは多くの場合、子ども本人の能力評価ではなく指導者側のテンプレートな常套句であることが多い。伸びている子にも停滞している子にも、同じ言葉をかけている可能性が高いんだ。
つまりその一言を、「うちの子が足りない」というメッセージとして受け取る必要は必ずしもない。
サキ: ケンゴさんの言うこと、わかります。構造として見ればそうなのかもしれない。ただ、私は少し違って感じていて――この方が苦しいのは、評価の正確さの問題じゃないと思うんです。「ちゃんとやっているのに認められない」という、あの理不尽さ。それは数字や仕組みで腑に落ちるものじゃなくて、玄関にスパイクを揃えるたびに、体の内側からじわっと滲んでくるものなんですよ。
ケンゴ: ……それも一理ある。たしかに構造を理解したところで、夜中に思い出してしまう感情は消えない。私もそういう種類の悔しさは知っているつもりだ。革靴の底がすり減るくらい、答えの出ない道を歩いた夜がある。
ただ、だからこそ言いたい。長期で見れば、子どもの成長は直線じゃない。小学校高学年の評価が五年後を決めるわけじゃないんだ。
サキ: そこは本当にそう思います。ところで――少しご本人の話に戻りますね。この方がいちばん蓋をしているのは、嫉妬そのものじゃない気がするんです。「この感情を息子に悟られてはいけない」という、その緊張のほうじゃないでしょうか。毎日、必死でと書いていらっしゃる。その「必死さ」のほうが、ずっと消耗するんですよ。
シオン: ……少し、いいだろうか。
あなたは「醜い」と言った。けれど醜いと感じられるということは、あなたの中に「美しさ」の基準がきちんと残っているということではないだろうか。その感情を恥じているあなた自身が、もう答えの半分を持っている気がするのです。
嫉妬は隣の子に向いているように見えて、本当はあなた自身の中の「もっとこの子を守りたい」という願いの裏返しなのかもしれない。それを醜いと切り捨ててしまうのは、少しもったいない。
自分に問いかけるロードマップ
- 「もう少し頑張ってほしい」という言葉を、私は誰の評価として受け取っているだろう。息子本人の評価か、それとも「親としての私」への採点として聞いていないだろうか。
- 他人の子への嫉妬を感じた瞬間、私は本当はその子に怒っているのか。それとも認められない我が子を見ていられない、自分に苛立っているのか。
- もし親友が同じことを打ち明けてくれたら、私はその人を「醜い母親だ」と責めるだろうか。それとも、「わかるよ」と隣に座るだろうか。
- 「悟られないように必死」な私の表情を、息子は本当に見抜けていないだろうか。子どもは言葉より空気を読むものではないだろうか。
本日の羅針盤
今日、メンバーの言葉は一つにまとまりませんでした。それでいい、と私は思います。
ケンゴは「評価の言葉に振り回されず、長期で見ること」を説きました。
サキは「感情に蓋をする必死さこそが消耗の源であり、まず自分の熱を認めてあげること」を語りました。
シオンは「醜いと感じる感性そのものが、あなたの愛情の証である」と差し入れました。
どれが正解ということはありません。ただ一つ、三人が共通して感じていたのは、あなたが向き合うべき相手は隣の子でもコーチの一言でもなく、「これ以上どうすればいいのか」と一人で抱え込んでいる、あなた自身だということです。
その感情は押し込めるほど発酵して、別の形であふれ出します。せめてこの記事を読んでいる今だけは「私は、悔しいんだ。羨ましいんだ」と、声に出さずとも認めてあげてください。名づけて認めた感情は、不思議と少しだけ軽くなるものです。
もし、この気持ちが日々の睡眠や食事に影響するほど重く感じられる場合は、スクールカウンセラーやお住まいの自治体の子育て相談窓口など、専門機関への相談もご検討ください。第三者に話すだけで、蓋がほんの少し緩むこともあります。





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