「いい母親」の制服を、洗濯機に放り込む夜
第一章を読み返してくださった方なら、もうお気づきかもしれません。私がいちばん怖いのは嫉妬がバレることじゃない。「ちゃんとしていない母親」だと、自分で自分を裁いてしまうことなんです。
試合のたびに、私は「応援する母」の顔をします。他のお母さんと笑って話す顔。コーチに頭を下げる顔。家に帰れば息子に「よく頑張ったね」と言う顔。どれも本当の私だけど、どれも少し、制服みたいに窮屈なんです。
よりみちナビゲーターの対話
サキ: 第二章で、私はいちばん具体的な話をしたいと思っていました。感情って、頭の中だけでこねくり回していると、どんどん黒く煮詰まるんですよ。だから手を動かして、外に出してあげるんです。
私がおすすめしたいのは、夜、誰もいない台所で、ノートでもスマホのメモでもいいから、敬語をやめて書くこと。「羨ましい」「悔しい」「あの子なんか」――そう、あの子「なんか」でいいんです。誰にも見せない場所でくらい、いい母親の制服を脱いでいい。書いた紙は丸めて捨てればいいんですから。
ケンゴ: その「書く」という行為には、私も賛成だ。ただ、構造の側からもう一段、補助線を引かせてほしい。
サキの言う「制服」をもう少し分解すると、あなたは複数の役割を一人で着込んでいる。送迎係、メンタルコーチ、栄養管理、保護者会の調整役、そして評価を受け止める緩衝材だ。会社なら五人分の業務だよ。それを一人でやって「これ以上どうすれば」と焦るのは、能力の問題じゃない。単純に業務過多なんだ。
サキ: ……ケンゴさんのその言い方、私は好きです。「能力じゃなくて業務過多」。そう言われるとふっと肩の力が抜けますよね。自分を責めていた人ほど効くと思います。
ケンゴ: だろう。だから私の提案は明確だ。降りられる役割を一つ降りる。たとえば自主練の効率を管理するのをやめる。それはコーチの仕事だ。親が肩代わりしているから、コーチの「もう少し」があなたへの宿題に聞こえてしまう。線を引き直すんだ。
サキ: そうですね。ただ、私は少し違って感じる部分もあって――。役割を降りるって頭ではできても、体がついてこないことがあるんですよ。スパイクが汚れていれば洗ってしまうし、栄養が偏れば献立を考えてしまう。それは「やらされている」んじゃなくて、愛情が手より先に動いてしまうから。
だから私は「降りる」よりも、「これは私の好きでやっていること」と「これは恐怖でやっていること」を、台所で仕分けするところから始めてほしいんです。スパイクを洗うのが好きならやればいい。でも「評価されないと怖いから」素振りを見張るなら、それは一度、手放していい。
ケンゴ: ……なるほど。「降りる」じゃなく「仕分ける」か。それは私の盲点だった。構造で切ると、好きでやっていることまで「非効率」と切り捨ててしまいかねない。たしかにそこに、この方の生活の手触りがある。
サキ: ところで――少しご本人に話を戻しますね。仕分けてみると、たぶん気づくと思うんです。「あの子への嫉妬」の大半は、好きでやっていることからは生まれていない。恐怖から動いている時間にだけ嫉妬は湧いてくる。だとしたら敵は隣の子じゃなくて、その「恐怖の時間」のほうなんですよ。
シオン: ……ひとつ、いいだろうか。
あなたは「制服」と言った。けれど、制服を着替えられる人というのはその下に、「素肌の自分」がちゃんと在る人だけだ。素肌がなければ、人は制服のまま固まってしまう。
あなたが「窮屈だ」と感じられること自体が、まだ素肌が呼吸している証ではないだろうか。息子さんの試合の結果は常に移ろう。順位も、評価も、来年には別の風景になっているだろう。けれど夜の台所でひとり、自分の感情に敬語をやめて向き合うあなたの背中――それだけは何位だろうと、変わらず尊い気がするのだ。
自分に問いかけるロードマップ
- 私がいま息子のためにしている行為を一つずつ並べたとき、それは「好きでやっていること」か、「やらないと評価が下がるのが怖いこと」か。
- もし、息子のスポーツの結果が一切誰にも評価されない世界だったら、私はそれでもこの子を応援するだろうか。その答えの中に、本当の私の願いはないだろうか。
- 「あの子なんか」と書き殴った紙を捨てたあと、私の胸は少し軽くなるだろうか、それとも罪悪感が増すだろうか。その反応こそ、私が次に向き合うべき場所ではないか。
- 私が今日降ろせる「役割」は何だろう。たった一つでいい。
本日の羅針盤
第二章で、サキは「感情を台所で書き出し、好きと恐怖を仕分けること」を、ケンゴは「役割を一つ降ろし、評価の線を引き直すこと」を提案しました。二人は途中で交わり、「降りる」と「仕分ける」という、違うようでいて補い合う答えにたどり着きました。
ここでも無理に、一つにはまとめません。ある日のあなたには、ケンゴの「線を引く」が効くでしょう。別の疲れた夜には、サキの「敬語をやめて書く」が効くでしょう。道具は二つ持っていていいのです。
そしてシオンが差し入れたように、結果も評価も移ろっていきます。変わらないのは自分の感情を「醜い」と切り捨てず、夜の台所でそっと広げ直そうとする、あなたのまなざしの誠実さです。それはいつか息子さんが大きな挫折に出会ったとき、「お母さんも、悔しかったことがあるんだよ」と差し出せる、本物の言葉になります。蓋をして消した感情からは、その言葉は生まれません。
もし、書き出しても気持ちが晴れず、眠れない夜が続くようでしたら、それは心が「一人では重すぎる」と教えてくれているサインです。スクールカウンセラーや自治体の子育て相談、あるいは保護者向けのカウンセリングなど、専門機関への相談もご検討ください。



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