「あの子なんか」と思った私を、私が抱きしめる
ここまで読んでくださって、私の中で一つだけ、まだ溶けないものがあります。それは他人の子への嫉妬です。
役割は仕分けられるかもしれない。評価の言葉も、聞き流せるかもしれない。でも、あの子がぐんぐん上手くなっていくのを見たとき、胸の奥でぎゅっとねじれるあの黒いもの。あれだけはどうしても、「醜い」としか思えないんです。仲のいいお母さんの、悪気のない笑顔を見るたびに。
よりみちナビゲーターの対話
サキ:他人の子への嫉妬について、私はずっと考えていました。そして思うんです。嫉妬って、消そうとすると絶対に消えないんですよ。「こんなこと思っちゃダメ」と蓋をするほど、発酵して匂いがきつくなる。糠床(ぬかどこ)と同じです。放っておくと悪くなるけど、毎日ちゃんと手を入れてあげると、ちゃんと馴染んでいく。
だから私の提案は、消すことじゃありません。嫉妬を息子への期待と切り離すことです。
ケンゴ: その「切り離す」という言葉、構造的に補足したい。あなたの嫉妬は、本当はこう繋がっているはずだ。
「あの子が伸びる → うちの子の相対順位が下がる → 評価がさらに下がる → 親として失格」。
一本の鎖になっている。
だが、この鎖のどこか一か所を断てば、嫉妬は孤立する。たとえば「相対順位」と「親としての価値」を切り離す。他人の子の上達は、あなたの息子さんが昨日できなかったことを今日できるようになる事実を、一ミリも減らさない。これは比喩じゃなく、構造上、本当にそうなんだ。
サキ: ケンゴさんの言うこと、わかります。鎖を断つ、というのは強い言葉ですよね。ただ、私は少し違って感じていて――鎖って、頭で「ここを断とう」と思っても、夜になるとまた繋がってしまうものなんです。論理で切った傷口は、生活の中でまた癒着する。
だから私は、断つというより、嫉妬に「居場所」を作ってあげるほうがいいと思うんです。「はいはい、また来たね、悔しい気持ち」って。追い出さない。お茶でも出すくらいの気持ちで、台所の隅に座らせておく。
ケンゴ: ……それは、私には少し難しいな。感情に居場所を作るというのは、ともすれば飼い慣らせずに居座られるリスクもある。私ならやはり、構造で線を引きたい。
サキ: そうですね。そこはケンゴさんと私で、たぶん永遠に交わらない部分だと思います。でも、それでいいんですよね。この方も、どちらの道を歩く日があってもいい。
ところで、ご本人にいちばん伝えたいことを最後に言わせてください。あなたは「あの子なんか」と思った自分を、醜いと裁いている。でもね、その嫉妬はあなたが息子さんを、誰よりも本気で「この子は報われてほしい」と願っている証なんですよ。どうでもいい子のことなんて、人は妬みません。あなたの黒い感情の根っこには、痛いくらいの愛がある。それだけは忘れないでほしいんです。
シオン: ……最後に、ひとつだけ。
あなたは「家族にも他人にも相談できない」と書いた。けれどこうして三章にわたり、見えない私たちに向けてあなたはもう、語り終えているのではないだろうか。
嫉妬という感情は、隣を見ているときにだけ生まれる。前を見ているとき、人は妬まない。あなたの息子さんは隣の子を見て走っているだろうか。それとも、昨日の自分を抜くために走っているだろうか。
子は案外、親が思うより前を見ている。あなたが隣を見て苦しんでいる横で、あの子はただまっすぐ自分の道を走っているかもしれない。だとしたら――あなたもたまには隣から目を上げて、その背中だけを見てやってほしい。それがいちばん、嫉妬から遠い場所だから。
自分に問いかけるロードマップ
- 「あの子なんか」と思った自分を、私は今日「報われてほしいと願うほど、息子を愛している証」と言い換えてみられるだろうか。
- 私の嫉妬は、息子が「隣の子に負けたとき」に強いか、それとも「私が他のお母さんに何か言われたとき」に強いか。本当に妬いているのは子どもの順位か、私自身の立場か。
- 息子は、隣の子を見て走っているだろうか。それとも昨日の自分を抜こうとしているだろうか。
私はどちらを見ているだろうか。 - 三章を読み終えた今、最初に「醜い」と名づけたあの感情に、私は別の名前をつけてあげられるだろうか。
本日の羅針盤
三章を通しても、私たちは一つの答えにたどり着きませんでした。それは失敗ではなく、誠実さの形だと考えます。
ケンゴは「嫉妬を支える鎖を、構造として断つこと」を示しました。
サキは「嫉妬を消さず、糠床のように手を入れ、居場所を作ってやること」を語りました。
二人は最後まで交わりませんでしたが、それでいいのです。あなたには論理で線を引ける日もあれば、感情に椅子を出してやることしかできない夜もあるでしょう。どちらも、あなたを救う道です。
そしてシオンが最後に置いていったのは、視線の向きの話でした。嫉妬は、隣を見ているときにだけ生まれる。あなたが苦しいのはあなたが優しいからではなく、ほんの少し、隣を見すぎているからかもしれません。
①の焦りも、②の嫉妬も、その根は同じ一本の木でした。「この子に報われてほしい」という、痛いほどの愛情です。それを醜いと刈り取る必要はありません。ただ、その木があなた自身の心の養分まで吸い尽くさないように、ときどき台所で、夜の静けさの中で、自分の感情に水をやってください。
「あの子なんか」と思った自分を、もう責めないでください。その人をいちばん最初に抱きしめてあげられるのは、あなた自身です。
最後にもう一度だけ。この感情が眠りや食事を妨げるほど重く感じられる日が続くようでしたら、どうか一人で抱え込まないでください。スクールカウンセラー、自治体の子育て相談窓口、保護者向けのカウンセリングなど、専門機関への相談もご検討ください。語る相手がいるだけで、糠床はずいぶん馴染みやすくなります。
ここまで、三章にわたってお付き合いいただきありがとうございました。あなたの夜の台所にほんの少しだけ、灯りが増えていますように。



コメント