「普通」という行方不明の物差し。母の一言と、手帳から消えない「あと7キロ」

第四章 台所の湯気の向こうで

その晩、私は母と二人で夕食の卓を囲んだ。煮物、白いご飯、味噌汁。母は自分の茶碗によそったあと、私の茶碗に迷った手つきでご飯を盛った。子どもの頃より、ずっと少ない量だった。「これくらいでいい?」と聞かれて、私は喉の奥が詰まった。

昔、母は私の茶碗に山盛りのご飯を、「食べ過ぎ」と言いながらよそっていた。矛盾していると、子ども心に思っていた。デブと言いながら、食べさせる人だった。今、その同じ人が私の顔色をうかがいながら、控えめにご飯をよそっている。

私は箸を取った。里芋を口に運んだ。二年間、頭の中で計算しながら食べてきた私が、その夜だけは、味を味として感じた。少し甘くて、出汁が濃くて、子どもの頃のままだった。涙が出そうになって、私はうつむいてご飯を噛んだ。母は何も言わず、テレビの音だけが部屋に流れていた。

食べ終えたあと、母がぽつりと言った。「あんたが小さい頃、私が言ったこと。あれ、間違ってた」。それだけだった。母はすぐに立ち上がって、食器を下げ始めた。私は動けなかった。

よりみちナビゲーターの対話

アキ:「あれ、間違ってた」。……この一言、二十年分の重さだよね。この人がずっと欲しかったのは「あと七キロ」の先じゃなくて、この一言だったんだ。手帳の数字なんかじゃ、絶対に手に入らなかった言葉。

ケンゴ:私は母上が謝罪のあと、すぐ立ち上がって食器を下げたという描写に注目したい。人はいちばん大事なことを言うとき、正面から向き合えないものだ。背中を向けて、手を動かしながらしか言えない。この不器用さこそ、謝罪が本物である証拠だと私は思う。

サキ:この方がその夜だけ、「味を味として感じた」というのがいちばんの回復のサインだと思うんです。ずっと数字とカロリーの計算で食べてきた人が、出汁の濃さを感じられた。これは体が「食べてもいい」と、ほんの少し思えた瞬間なんですよね。ただ――ここが大事なんですが、これで治ったわけではないんです。一晩の里芋は、二年間の習慣を消しはしません。

アキ:サキさんの言う通りだね。私も浮かれちゃいけないって思う。明日の朝、この人はまた手帳を開いて体重を量るかもしれない。「あと七キロ」の数字を、まだ消せないかもしれない。でも――昨日までと違うのは、母さんの「間違ってた」を心のどこかに一個、持てたってこと。それは消えないよ。

シオン:あなたは二年かけて三十キロを削り、そのうえでさらに七キロを削ろうとしていた。だが母上のたった一言で、追いかけていた数字の意味が変わってしまった。私はここに、人の心の不思議を見る。命がけで積み上げた数字よりも、不器用な五文字のほうが深く効くことがある。あなたが本当に減らすべきだったのは体重ではなく、あの玄関に置き去りにされた十歳の重さだったのかもしれない。

摂食をめぐる、ひとりの物語を超えて

ケンゴ:ここでこの物語を少し離れて、社会の話をしておきたい。摂食障害――拒食や過食はけっして本人の意志の弱さやわがままではない。れっきとした精神疾患であり、身体的にも命に関わりうる病だ。とりわけ拒食は、精神疾患のなかでも死亡率が高いことが知られている。「痩せたい」という願望の問題ではなく、心と体の調整機能そのものが壊れる病だと、私は強調しておく。

サキ:その背景には社会の問題があるんですよね。「痩せていることが美しい」という価値観、SNSに流れ続ける加工された体、ダイエット情報の洪水。それから――この物語のように、幼い頃に家族から言われた体型の言葉。こうしたものが積み重なって、自分の体を自分のものとして感じられなくなっていく。個人の心の弱さの話にしてはいけないと思うんです。

アキ:私、SNSで発信してる側の人間として、これは本当に他人事じゃない。「これ食べたら太る」「痩せて可愛くなった」――そういう言葉が、無自覚に誰かの手帳の数字を増やしてる。私たちが軽く投げる一言が、誰かの玄関の三秒をもっと苦しくしてるかもしれない。

シオン:体は本来、誰のものでもない。あなたのものだ。だが私たちは、いつのまにか他人の物差しを体の内側に住まわせてしまう。母上の視線、SNSの数字、社会の「美しさ」。この物語の主人公が始めた回復とは、その住人たちに静かに退去を願うことなのかもしれない。

自分に問いかけるロードマップ

私が本当に欲しかったのは、体重計の数字だろうか。それとも誰かの「間違ってた」だろうか。 追いかけているゴールの正体を、もう一度確かめてみる。数字が減っても埋まらないものが、そこにあるかもしれない。

味を味として感じた食事を、私は最後にいつ取っただろう。 計算ではなく、感覚として食べられた瞬間。それを思い出せるなら、体はまだ回復の道を覚えている。

私の体の中に、いま何人の「他人の目」が住んでいるだろう。 母の視線、SNSの数字、社会の基準。そのうちどれが、本当に自分の声だろうか。

本日の羅針盤

第四章までを書き終えて、編集チームがたどり着いたのはひとつの明確な答えではなく、いくつかの視座でした。

アキとサキは、あの夜の里芋が「回復の始まり」であって「回復の完了」ではないと、口をそろえました。母の「間違ってた」は、二十年分の重さを持つ言葉です。けれどその一言で、手帳の数字が消えるわけではない。回復とは一晩の奇跡ではなく、明日の朝もう一度体重計に乗ってしまう自分を、それでも責めず少しずつ計算を手放していく、長い時間の営みです。

ケンゴが構造の側から示したのは、感覚が壊れているときには外部の目盛り――信頼できる医療者の目を一本、置いておくことの大切さでした。鏡も体重計も信じられないとき、専門家の存在は裁くためではなく、あなたを支えるための物差しになります。

そしてシオンが最後まで問い続けたのは、減らすべきだったのは体重ではなく、玄関に置き去りにされた十歳の重さだったのではないか、ということでした。

無理に一本の結論に畳みません。ただ、この物語の主人公があの夜、味を味として感じられたこと。その小さな一口を、編集チームは確かな希望として受け取っています。

専門機関への案内

食事を極端に制限してしまう、食べたあとに強い罪悪感がある、体重が減っても不安が止まらない――こうした状態が続いている場合は、意志や性格の問題ではなく、専門的な支援が必要なサインです。

心療内科・精神科のほか、各地の精神保健福祉センターや保健所では、摂食障害に関する相談を受け付けています。「摂食障害 相談窓口」で、お住まいの地域の公的な支援先を調べることができます。ひとりで、あるいは家族だけで抱え込まず、外の物差しを一本頼ってください。それは回復への確かな一歩です。

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