「わからなかったら聞いて」が一番キツい。工場勤務で2年苦しんだ僕が気づいた”教え方”の正体

「わからなかったら聞いて」

工場の朝は早い。始業のチャイムが鳴る前に、もう機械の暖機音がフロアに響いている。僕はロッカーで作業着に着替えながら、今日もまた同じことを考えていた。

──今日こそ、ミスなくやれるだろうか。

入社してもう数年になる。なのに、いまだに上司から指摘される。やり方を変えろと言われる。手順を覚えたつもりでも、どこかがズレているらしい。そのズレがどこなのか、自分ではわからない。わからないから聞きに行く。すると上司はこう言う。

「わからなかったら聞いて」

聞いているんです。今まさに聞いているんです。でもその答えは、いつも短い。「こうすればいい」の「こう」が、僕の頭の中で形にならない。前の工程との繋がりが見えない。なぜその順番なのか、なぜこの力加減なのか、そこが抜けたまま「わかった?」と聞かれて、頷くしかない。頷いたら、もう質問の余地はなくなる。

前の職場は正直ひどかった。社長はワンマンで、怒鳴り声は日常だった。パワハラという言葉がぴったりの場所だった。
でも、そこにいた先輩は違った。僕の横に立って、同じ動作を一つずつ見せてくれた。「ここ、力入れすぎると歪むから、このくらい」と、僕の手に自分の手を添えるようにして教えてくれた。
一日で体が覚えた。翌日にはもう一人で回せた。あれは僕の思い込みなんかじゃない。実際にできていた。ラインを止めずに回せていた。

そのことを今の上司に話した。「前の職場では一日で覚えられたんです。教え方次第で、僕はちゃんとできるんです」と。返ってきた言葉は、「本当に? それって自分ができると勘違いしていたんじゃないの?」だった。

あの瞬間、喉の奥が詰まった。反論しようとして、言葉が出なかった。汗で湿った作業着の襟が、やけに首に貼りついていた。

結局、今の職場でまともに仕事ができるようになるまで二年かかった。二年だ。前の職場の一日と、今の職場の二年。この差は何なんだろう。僕が悪いのか。上司が悪いのか。誰にもわからないまま、時間だけが過ぎた。

同僚が一人いた。僕と同じように苦しんでいた人だ。ある日、その人は上司に向かって言った。「すみませんけど、ちゃんと教えてください!」と。かなり大きな声だった。周りの機械音にも負けないくらいの声だった。上司はキレた。その同僚は、数日後にはもういなかった。

僕はあの日、何も言えなかった。同僚の背中を見送りながら、自分のラインに戻った。機械の振動が手のひらに伝わっていた。いつもと同じ振動のはずなのに、その日だけはやけに冷たく感じた。

教えてくれない上司が悪いのか、聞き方が足りない僕が悪いのか。その答えは、まだ出ていない。

ナビゲーターの対話

ケンゴ:まず一つ、はっきりさせておくべきことがある。「わからなかったら聞いて」は、指導ではない。それは指導を放棄した側が、自分の責任を相手に転嫁するための言葉だ。聞いてこなかったお前が悪い、という逃げ道を最初から作っている。
工場のライン作業というのは、手順の意味と身体の動きが噛み合って初めて定着する。口頭で「こうやって」と言うだけでは、その噛み合わせは生まれない。
前職の先輩がやっていたことは、教育の基本中の基本だ。横に立ち、同じ動作を見せ、相手の手の動きを見ながら修正する。それは特別なことじゃない。当たり前のことだ。当たり前のことを当たり前にやれない人間が、管理側にいる。それだけの話だろう。

アキ:ケンゴの言う通りだと思う。そしてね、「それって勘違いじゃないの?」って言われた時の気持ち、すごくわかるよ。自分の成功体験を否定されるって、過去の自分ごと消されるみたいな感覚だよね。
でも、実際に一日でできたんでしょう? ラインを止めずに回せていたんでしょう? それは事実だよ。誰かの評価じゃなくて、あなたの体が覚えていることだよ。上司がそれを認めないのは、認めてしまうと自分の教え方に問題があると認めることになるからだと思う。

サキ:二年かかったこと、ご自身ではすごく不本意だったと思うんです。でも、私はこう思いますよ。教わる環境が整っていない中で、二年かけてでもできるようになった。それはあなたの粘り強さの証拠ですよね。
前の職場で一日でできたことと、今の職場で二年かかったこと、この二つは矛盾しないんです。条件が違うんですから。同じ人間でも、30℃の10℃の部屋では体の動きが変わりますよね。学びも同じで、環境の温度が違えば吸収の速度は変わるんです。あなたの能力が落ちたわけではないですよ。

シオン:一つ、問いを置いておきたい。あなたは「教えてくれない上司が悪いのか、聞き方が足りない僕が悪いのか」と言った。しかし、その問いの立て方自体が、あなたをずっと縛っているのではないだろうか。
善悪の二択に押し込めると、どちらに転んでも誰かが傷つく。本当に必要なのは「どちらが悪いか」ではなく、「自分はどういう条件が揃えば力を発揮できる人間なのか」を、自分自身が正確に知っておくことかもしれない。
それは弱さではない。道具に取扱説明書があるように、人にも最適な扱い方がある。自分の説明書を持っている人間は次の環境を選ぶとき、もっと精度の高い判断ができるはずだ。

診断:認知の罠

この相談の奥には、二つの認知の罠が絡み合っている。

一つ目は「学習スタイルの自己否定」だ。人間の学習には複数のタイプがある。耳で聞いて理解する人、文字を読んで理解する人、そして体を動かしながら覚える人。
工場作業のように身体動作が核になる仕事では、「見て、真似て、横で修正してもらう」という身体的学習が最も効率的であることは、職業訓練の現場では広く知られている。
相談者が前職で一日で習得できたのは、先輩の指導法が相談者の学習スタイルに合致していたからだ。これは「勘違い」でも「甘え」でもない。しかし、現在の上司にそれを否定されたことで、相談者は自分自身の学習能力そのものを疑い始めている。

二つ目は「指導義務の不可視化」だ。「わからなかったら聞いて」という言葉は、一見すると親切に聞こえる。しかしその実態は、教える側の負担を教わる側に丸投げする構造になっている。何がわからないかがわからない段階の人間に「聞いて」と言っても、的確な質問は生まれない。これは指導する側が、自分の説明能力や教育設計の不足を、相手の「聞く力」の問題にすり替えている状態だ。
同僚が声を上げた結果キレられ退職に至ったというエピソードは、この構造がすでに個人の努力で変えられる範囲を超えていることを示している。

結論:あなたは「教わり方が下手な人間」ではない。前職での経験が証明しているように、適切な指導があれば短時間で習得できる力を持っている。
問題の所在はあなたの能力ではなく、現在の職場における指導設計の不在にある。「わからなかったら聞いて」は指導ではなく、責任の移転だ。
まず自分の学習スタイルを正確に把握すること。「自分は実演と反復で覚えるタイプだ」という自己理解は、今後どの職場に行っても使える判断材料になる。そしてもし今の環境がその条件を満たせないのであれば、環境を変えるという選択肢は逃げではなく、戦略だ。
声を上げた同僚は負けたのではない。合わない場所に自分を押し込めることをやめただけだ。

Pythonのコメントアウト解説 複数行やVSCode、エラー対策と運用ルールをまるごとガイド
Pythonのコメントアウトを、その場しのぎの「コード無効化」にだけ使っていると、あとで必ず時間と信頼を失います。複数行を一括でコメントアウトしたデバッグ用コードが残り続ける、VSCodeでショートカットが効かず原因が分からない、トリプルクRadMore…

コメント

タイトルとURLをコピーしました