第二章 答えの出ない問いと、明日の朝食のあいだで
あの夜から、何度か同じ時間に台所に立った。麦茶ではなく、温かいほうじ茶を淹れることが増えた。父が好きだった銘柄だ。スーパーで見かけて、なんとなく買ってしまった。
「ある」とも「ない」とも言えないと聞いて、不思議と少し肩の力が抜けた。白黒つけてもらえると思っていたわけではない。でも、「わからないままでいい」と言われたのは、初めてだったかもしれない。
ただ、わからないままでは、私はこれからどう過ごせばいいのだろう。仏壇に手を合わせる意味はあるのだろうか。お盆に「帰ってくる」と言われても、信じきれない自分が手を合わせるのは、嘘くさくないだろうか。
朝の光のなかで、別の声が加わる
アキ:「それ、めちゃくちゃわかるよ。『信じてないのに形だけやるのって、なんか失礼じゃない?』って思っちゃうんだよね。私もおばあちゃんが亡くなったとき、同じこと考えた」
相談者:「そう、まさにそれです。母は自然に手を合わせているのに、私はどこか『やっているふり』をしている気がして」
サキ:「そう感じるのは、おかしなことじゃないですよ。むしろ、それだけ真剣に向き合ってきた証拠ですよね。私も以前、同じようなことで悩んだことがあって。そのとき気づいたのは、手を合わせる行為って亡くなった人のためだけじゃないんだなってことでした」
相談者:「私のため、ということですか」
サキ:「うまく言えないんですけど、台所で湯気の立つお茶を見ながら『お父さん、これ好きだったな』って思うその一瞬のために、仏壇という場所があるのかもしれない、って。信じる、信じないの前に、思い出すための装置みたいなものとして」
アキ:「あ、それわかる。スマホのホーム画面に推しの写真置いとくみたいな感じかも。別にそこに本人がいるわけじゃないけど、目に入るたびに『いるな』って感じるみたいな」
ケンゴ:「比喩としては軽く聞こえるかもしれないが、本質は外していないと思う。儀礼や習慣には、合理性とは別の機能がある。心理学では『行動が感情を呼び起こす』ことが知られている。手を合わせるという身体動作が先にあり、追悼の感情があとから整っていく、そういう順序もありうるだろう」
シオンが、湯気の向こうから問いかける
シオン:「あなたは『信じきれない自分が手を合わせるのは嘘くさい』と言った。でも、それは本当に嘘なのだろうか。信じきれないまま、それでも手を合わせたいと思うあなたの心の動きは何かを偽っているのではなく、むしろ、何かを大切にしようとしているのではないだろうか」
相談者:「……大切にしようと、している」
シオン:「信仰というのは、『百パーセント信じている状態』のことではないのかもしれない。信じたい気持ちと疑う気持ちの両方を抱えながら、それでも何かに向かって手を合わせる ― その行為そのものを、昔の人は『祈り』と呼んだのではないだろうか」
気づきのセクション――「信じる」の解像度を上げてみる
私たちはつい、「信じる/信じない」を二択で考えてしまう。けれど、日常の中の「信じる」はもっと曖昧で、もっと柔らかい。
あなたは天気予報を「信じて」傘を持って出かけるけれど、外れることもあると知っている。友人を「信じて」秘密を打ち明けるけれど、絶対に裏切られないという保証はない。それでも私たちは、不完全な確信のうえで日々を組み立てている。
死後の世界についても、同じ姿勢で良いのではないだろうか。「あるかもしれないし、ないかもしれない。でも、父が私の中で生き続けている感じは、確かにある」 ― その程度の曖昧な確信のままで。
科学が答えを出せない領域では、答えを急ぐより問いと共に暮らす技術のほうが、たぶん役に立つ。
ほうじ茶を淹れる。仏壇の埃を拭く。父の好きだった曲を、たまに流してみる。
それらは「死後の世界がある」という命題の証明ではない。けれど、あなたが父との関係をこれからも更新し続けているという、事実そのものではある。
本質的な結論
仏壇に手を合わせることも、お盆に故人を迎えることも、「百パーセント信じているかどうか」を問う必要はありません。儀礼は信じている人のためだけにあるのではなく、迷いながら生きている人のためにこそ用意されてきた知恵です。
信じきれない自分を責めず、疑いきれない自分も否定せず、その両方を抱えたまま手を合わせる。そのあり方こそが、おそらく最も人間らしい祈りの形ではないでしょうか。
もし、心の重さが続くようなら
大切な方を亡くしたあとの感情の波は、季節をまたいで何度もやってきます。半年、一年、三年と、節目ごとに違う形で立ち上がることもあります。
もし、日常生活に支障が出るほどの状態が続く場合は、グリーフケアの専門窓口やお住まいの自治体の相談窓口、心療内科などに相談することも選択肢の一つです。「これくらいで相談していいのだろうか」と感じる段階で、相談していい場所です。
参考情報
儀礼行為と感情の関係については、社会心理学・文化人類学の領域で複数の議論が積み重ねられていますが、本章では特定の研究を断定的に引用することは控えました。関心のある方はグリーフケアや喪の作業に関する一般書からたどっていただくと、無理のない入り口になるかと思います。




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