第二章 「何もしなかった日曜日」の手触り
日曜日の朝は、いつも少し遅く目が覚める。カーテンの隙間から差す光が、布団の上に細い線をひいている。時計を見ると、九時半。早すぎず、遅すぎず、半端な時刻。
起きてコーヒーを淹れる。豆を挽く音だけが台所に響く。マグカップを両手で包むと、てのひらにじんわり熱が伝わってきて、ああ、休みだと思う。ここまではいい。
問題はそのあとだ。テレビをつける。スポーツ中継をやっている。少し見る。点が入る。会場が沸く。でも、私の心はそんなに沸かない。十五分でリモコンに手が伸びる。スマホを開く。誰かの旅行の写真、誰かの手作りの料理、誰かの「充実した休日」。指でスクロールするたびに、自分のがらんとした午後が少しずつ重くなっていく。
昼を過ぎて、思い立って小麦粉とバターを出した。クッキーでも焼こうか。生地をまとめて、型を抜いて、オーブンに入れる。十分もすると台所にバターの甘い匂いが満ちてくる。焼き上がりを待つあいだ、私はなぜか少しだけ機嫌がよかった。
でも、焼けたクッキーを一枚つまみながらまた思ってしまう。これって趣味って言えるの。誰に見せるわけでもないし、上手くなりたいわけでもない。ただ、なんとなく焼いただけ。意味、あったのかな。
夕方、窓の外が紫がかってくる頃、私はまだ自分の一日に点数をつけようとしている。
サキ:私はこの日曜日の描写を読んで、ひとつはっきり言いたいことがあるんです。クッキーを焼いているあいだ、この方は「少しだけ機嫌がよかった」と書いていらっしゃる。これ、すごく大事な記録だと思うんです。本人は「意味、あったのかな」と打ち消してしまうけれど、機嫌がよかったという事実はもう起きてしまった。取り消せないんですよ。
ケンゴ:私もそこに目が止まった。興味深いのはこの方が、「楽しかった瞬間」そのものより「あとから点数をつける癖」に苦しめられているという構造だ。クッキーを焼く十分は、評価から自由だった。苦しいのは焼き上がったあと、採点が始まる時間のほうだ。
サキ:そうなんです。匂いを吸い込んでいる十分間は、この方、何も探していないんですよ。ただ待っていた。その「ただ待っている時間」を私はこの方に、もっと信じてほしい。
本日の小さな羅針盤
楽しさはあとから採点されるものではなく、起きてしまった事実です。「意味があったか」と問う前に、「機嫌がよかった瞬間が今日、確かにあった」とだけ書き留めておく。それが第三章への入口になります。




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