第三章 「名前のない時間」をめぐる対話
サキ:第二章で見えてきたのは、この方が「楽しさ」そのものより、「楽しさの後始末(採点)」に追われているということでした。だとすると必要なのは、新しい趣味を足すことより、採点の手を一回止めることかもしれません。
ケンゴ:それは半分賛成だ。ただ──採点をやめろとだけ言うのは、少し無責任に聞こえる。この方は「働いて疲れて休んでまた働く」というサイクルに、漠然とした恐れを抱いている。その恐れは採点癖をやめれば消えるものじゃない。私が思うに恐れの正体は、「自分の時間がすべて誰かや何かのために使われていて、自分のためだけの時間が一秒もない」という感覚だ。だから、週に一度でいい。「誰のためでもない時間」をカレンダーに先に書き込む。仕事と同じ重さで、予定として確保する。これは構造の話だ。
サキ:ケンゴさんのおっしゃること、わかります。ただ、私は少し違って感じていて──カレンダーに「自分の時間」と書き込んだ瞬間、それがまた「達成すべきタスク」になってしまわないか、心配なんです。この方はもう十分、自分に課題を出している。むしろ「クッキーを焼いてしまった」みたいに、予定になかったことが起きるのを許してあげるほうが先な気がします。
ケンゴ:……なるほど。確保しようとすると、逃げるという性質のものか。趣味というのは。
サキ:そうなんです。捕まえようとすると、するりと逃げる。だから網を構えるより、扉を開けておくほうがいいのかもしれません。
ケンゴ:ところでご本人の話に戻るが──この方が本当に答えを出したいのは「日曜の過ごし方」じゃなくて、「このまま年を取っていく人生でいいのか」という、もっと大きな問いだったな。私たちはつい、解決しやすい小さな問いにすり替えていないか。
シオン:ケンゴ、その引き戻し方はいい。大きな問いに、小さな答えで蓋をしてはいけない。けれど、ひとつ思うのだ。「このまま年を取っていいのか」という問いに立派な答えを出した人を、私はあまり見たことがない。多くの人は答えを出すのではなく、ある日ふと、問うことをやめている。クッキーの匂いの中で機嫌がよくなった、あの十分のように。答えではなく温度が、人を先へ運ぶのではないだろうか。
サキ:……問いに答えるんじゃなくて、温度で運ばれる。そうですね。この方にはまず、温度のほうを思い出してほしいです。
本日の小さな羅針盤
「自分のための時間を確保する」というケンゴの構造論と、「予定外の喜びが起きるのを許す」というサキの生活論。二つは矛盾するようで、実は順番の問題かもしれません。まず扉を開け(サキ)、何かが続きそうなら枠を取る(ケンゴ)。シオンの言うように、大きな問いに急いで答えを出す必要はありません。




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