第三章 眠れない朝を、これからどう渡っていくか
救いの一瞬を、暮らしに根づかせる
第二章までで、あの鳩がくれた笑いが決して小さなものではなかったことを確かめてきました。最終章ではその一瞬を、これからの日々にどう置いていくかをみんなで考えていきます。
サキ:私、この最後の章で少しだけ現実的な話をさせてください。鳩に笑った朝、それはかけがえのないものでした。でも、明日も明後日も鳩が来るとは限らない。だからこそ、私は相談者さんにあの朝の「笑えた自分」を、なるべく手元に残しておいてほしいんです。
たとえば小さな手帳に、一行だけ書いておく。「今日、鳩が布団に居座って笑った」って。そういう記録が眠れない夜の底で、ふっと支えになることがあるんです。
アキ:それいいね。私もスマホのメモに、「今日よかったこと」を一個だけ書くようにしてた時期があって。ほんとに一個でいいの。「コーヒーがおいしかった」とかでも。眠れない夜って、悪いことばっかり頭の中でぐるぐるするじゃない。だからいいことを一個、物理的に外に出しておくと、少しだけ楽になるんだよね。
サキ:ええ。頭の中だけに置いておくと、いいことって流れて消えてしまいますから。
それでも、眠れない夜が続くなら
ここでアキが、少し声のトーンを変えます。
アキ:……でもね、これは言っておきたいんだけど。手帳に書くとか、いいこと数えるとか、それは眠れなさそのものを治すものじゃないよね。あくまで気持ちのお守り。私、そこは正直に言っておきたい。相談者さん、もう何か月も夜中に目が覚めてるわけでしょ。それを「気の持ちよう」で片づけたくないんだ。
サキ:……アキさん。その通りです。私もそこは、同じ気持ちです。手帳もメモも、あくまで支えのひとつ。眠れない状態が何か月も続いているなら、それはもう、心の持ちようだけでどうにかするものではないと思います。私が育児で疲れきっていたとき、まわりに「気の持ちようよ」と言われるたびかえって追い詰められました。だから相談者さんにはどうか一度、お医者さんに体のこととして話してみてほしいんです。恥ずかしいことでも、大げさなことでもありません。
アキ:うん。眠れないって、それだけでちゃんとした相談ごとだからね。
シオン:ふたりの言葉を聞きながら、私は少し別のことを思っていた。眠れない夜を、無理に消そうとしなくてもいいのかもしれない。もちろん体のつらさは、しかるべき人に相談したほうがいい。それは前提として。
ただ、眠れない時刻にあなたは布団を干し、鳩と出会った。眠りが奪ったものではなく、眠らない時間があなたに差し出したものも、確かにあった。夜と朝の境目は、多くの人が眠っていて、誰も見ていない。その静かな時間に、あなたは一羽の鳥と束の間の縁を結んだ。それは眠れる人にはけっして訪れなかった出会いだ。
サキ:……シオンさんの言葉で少し肩の力が抜けました。眠れないことを、まるごと敵だと思わなくてもいいんですね。
シオン:敵か味方か。それもまた、私たちが引く線にすぎない。
自分に問いかけるロードマップ
- 今日一日のなかで、あとで手帳に一行だけ残すとしたら、どんな出来事を書きますか。
- 「気の持ちよう」で自分を片づけようとして、かえって苦しくなったことはありませんか。
- 眠れない時間を、消すべきものとしてだけでなく、何かを差し出してくれるものとして見ることはできそうですか。
- 眠れない状態についてこれまで一度でも、誰か(家族・かかりつけ医など)に打ち明けたことがありますか。
本日の羅針盤
三章にわたって、布団の上の鳩から始まった話をみんなで巡ってきました。最後に残しておきたいのは、二つのことです。
ひとつ。あの朝あなたが笑えたことは、確かな救いでした。その一瞬を、手帳の一行として手元に残してみてください。眠れない夜の底で、それが小さな明かりになることがあります。
もうひとつ。笑えることと眠れることは、別の話です。アキとサキが声をそろえたように、何か月も続く眠れなさは気の持ちようで片づけるものではありません。どうか一度、体のこととしてお医者さんや地域の相談窓口に話してみてください。それは弱さではなく、自分の暮らしを立て直すためのまっとうな一歩です。
そしてシオンが差し出したもうひとつの視座——眠れない時間があなたに一羽の鳩との出会いを与えたこと。それをどう受け取るかは、あなた自身にゆだねます。無理にひとつの答えにまとめなくていい。救いもつらさも、両方をあなたの手のひらに乗せたまま、明日の朝を迎えてください。
窓の外に、また誰かが座っていますように。そしてあなたの夜が、少しずつ深く眠れる夜へと変わっていきますように。




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