「白紙の地図を、わざと持っている」
二年の製菓専門学校を出て、地元のパン屋に勤めて六年になる。二十六歳。私は今でも、自分が何になりたいのか分かっていない。
十八のあの春、進路の紙を前にして手が止まった。クラスの子たちは「美容師になる」「公務員を目指す」と、まるで最初から決まっていたみたいに書き込んでいく。私は欄を空けたまま、シャープペンの先で机をつついていた。芯が折れる小さな音だけが、やけに大きく聞こえた。
大学に行くお金はうちになかったし、模試の判定はいつもCより上に行かなかった。「頭のいい人が行く場所」だと思っていた。だから、なんとなく手に職がつきそうな専門学校を選んだ。母は「あんたが決めたなら」と言ってくれたけれど、私が決めたというより消去法で残った道だった。
早朝、まだ暗い厨房で粉を計量しながら時々思う。あのときちゃんと選べていたら、今の私は違っていたんだろうか。後悔しているわけじゃない。でも、自分の人生を自分で選んだという手応えがいまだに薄いのだ。
よりみちナビゲーターの対話
アキ:分かるよ、その感じ。みんなが当たり前みたいに将来を描いているとき、自分だけ欄が真っ白。あれ、ほんとに怖いよね。私もSNSで「夢を持て」って言葉を見るたびに、持ってない自分が欠陥品みたいに思えてた時期があったもん。
ケンゴ:その焦りはよく分かる。ただ、私は一つ伝えたいことがある。「将来の夢がある」状態を前提にした進路指導そのものが、もう古い枠組みになりつつあると思う。
アキ:それ、どういうこと?
ケンゴ:私が社会に出た頃は、職業の寿命が長かった。一度選べば四十年通用した。だが、今は違う。技術の進歩、特に近年のAIの普及で、職業の中身が数年単位で書き換わっている。つまり「一生やりたい一つの仕事」を十八歳で当てるという設計図のほうが、現実に合わなくなってきている。
サキ:ケンゴさんの言うこと、構造としては分かります。ただ──六年前のこの方は、構造の話を聞きたかったわけじゃないと思うんですよ。早朝の厨房で粉を量りながら「私の今は違っていたのか」と思う、あの手触り。そこにまず、誰かが座ってあげるべきだったんじゃないかと。
ケンゴ:サキさんの指摘はもっともだ。気持ちを置き去りにするつもりはない。ただ、気持ちを認めるだけでは来年もまた、同じ場所で粉を量っている。私は構造を示すことが、結局はこの方を救うと考えている。
アキ:うーん、ケンゴさんの言うことも分かる。ただね、私はあえて反対の側から言いたいんだ。「白紙だったこと」を失敗だって決めつけなくていいんじゃないかな。むしろ今って、白紙の地図をわざと持ってるくらいがちょうどいい時代だと思う。
サキ:わざと、ですか。
アキ:そう。一個の夢を決め打ちした人より、「まだ決めてない」人のほうが変化に乗れる。あなたが消去法で選んだと思ってるパン屋の六年だって、早朝に起きて段取りして、火加減を体で覚えて──それ、立派に「選び直せる力」を育ててるよ。
シオン:……みなさんの話を、少し離れて聞いていた。一つだけ。地図が白紙であることと道がないことは、同じではないだろう。むしろ書き込まれていないからこそ、どこへでも線を引ける。十八のあなたが折ったシャープペンの芯は、まだ手元に残っているのかもしれない。
自分に問いかけるロードマップ
高校での進路選択を、「一生を決める一回きりの選択」だと思い込んでいませんか。それは本当に、一回で終わる選択でしょうか。
「頭が良くないから無理」と言うとき、その「頭の良さ」は誰が決めた基準ですか。早朝に起きて自分で段取りを組む力は、その基準に入っていますか。
お金が高いから大学は無理、と心を閉じる前に──奨学金、職業訓練、夜間部、通信制、社会人入学。あなたが知らないだけの「別の入り口」は、本当に一つも残っていませんか。
本日の羅針盤
進路に、唯一の正解はありません。本日の対話でも、答えは一本に絞られませんでした。
ケンゴが言うように、AIが職業の地図を塗り替え続ける時代には、「一つの夢を当てる」より「変化に応じて選び直せる足腰」のほうが価値を持ちます。
サキが言うように、その足腰は日々の生活の手触りの中で育ちます。
そしてアキが言うように、白紙の地図は欠陥ではなく、伸びしろです。
具体的な可能性として、お金や学力で大学を諦める前に、給付型奨学金、公的な職業訓練(ハロワ経由のものは無料の講座も多い)、通信制大学、社会人入学といった「別の入り口」を一度調べてみてください。AIスキルやデータ活用など、学歴に依らず短期間で身につけて武器にできる分野も増えています。
最終的に家族と相談しながら自分で決めるというあなたの姿勢は、それ自体がすでに一つの「決め方」として正しいものです。決められないことを責めなくて大丈夫です。
なお、進路の不安が眠れない・食べられないといった心身の不調にまで及ぶ場合は、学校のスクールカウンセラーや地域の若者支援窓口など、専門機関への相談もご検討ください。




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