第二章:記録という名のメス──主観を削ぎ落とした先に残るもの
上司や人事に相談する。その方針が決まったものの、私の前に新たな壁が立ちはだかりました。「何が起きているか、具体的に書き出してほしい」と求められたのです。
いざノートを開くと、ペンが止まります。「指導してもフリーズする」「マニュアル通りにやらず嘘をつく」「いつも見当違いな対応をする」。書き殴った言葉を見つめ直すと、それはまるで一生懸命に生きている彼をただ告発し、責め立てるための「罪状認否」のように思えて心が痛むのです。
隣の席では同僚が、またボサボサの髪のままぼんやりと画面を見つめています。時間はもうありません。私は彼の人間性を否定したいわけではないのに、このペンは彼を追い詰める刃になってしまうのでしょうか。
ケンゴ:
ノートを前に手が止まる理由、よく分かるよ。君は優しい人だ。だが、そこで筆を鈍らせてはならない。「フリーズする」「嘘をつく」という言葉が感情的に見えるなら、徹底的に『現象』へと書き換えるんだ。「Aの指示を出してから応答があるまで〇分〇秒」「マニュアルの工程〇番をスキップし、〇〇という結果が発生した」。客観的な事実のみに徹する。それが主観という名の刃から彼を守る、唯一の方法でもあるんだ。
アキ:
ケンゴさんの言うことはわかるよ。冷たく数字にする方が、責めてる感じは減るかもしれない。でも、それを書いてる相談者さんの心には、やっぱり「チクチクする罪悪感」が残るんだよね。だってどれだけ客観的に書いたって、結果的にその人を「使えない人」として差し出す書類を作ってる事実には変わりないじゃん。その心の痛みを『正論』だけで無視しないでほしいな。
ケンゴ:
それも一理ある。だがアキ、罪悪感を恐れて記録を曖昧にすれば、人事や産業医は動けない。結果として現場の同僚たちが、不眠や涙を流し続ける日々が長引くだけだ。5年後、10年後の組織の生存戦略、そして何よりそのスタッフ本人の適性を長い目で見直すためにも、今この瞬間の痛みを引き受けてメスを入れるのが、リーダーたる者の姿勢だと私は思う。
シオン:
お二人の言葉を聴いていると、記録という行為がまるで冬の冷たい雨のようにも、あるいは春を迎えるための厳格な剪定(せんてい)のようにも感じられます。書き出された数字や事実は、その人の人格のすべてではありません。ただ「今の業務との距離」を測るための、ひとつの物差しに過ぎないのです。相談者さん、あなたが流すその静かな葛藤の涙もまた、いつか場を潤す大切な雫になるのかもしれないですね。
気づきのセクション
- 「事象」と「人格」の分離:「嘘をつく」のではなく「事実と異なる報告が〇回あった」。「聞けない」のではなく「確認の問いかけに対して沈黙が〇分続いた」と、カメラで撮影できる映像レベルまで具体化する。
- 記録は「救済」のデータ:この記録は彼を解雇するためのものではなく、彼がパニックを起こさずに済む「適切な業務(適性)」を見つけるための、医療機関や人事への貴重なインプットデータであると認識を書き換える。
- タイムリミットの設定:ダラダラと悩みながら記録するのではなく、「今週の金曜日までに提出する」と区切りをつけ、感情が引きずられる時間を最小限に抑える。
あなたが今書いているのは彼を裁くための起訴状ではありません。現場の崩壊を食い止め、彼自身にも「合わない服」を脱がせてあげるための、命綱となるデータです。罪悪感に足を止めず、淡々と、静かにペンを動かしてください。
また、限界を迎えている周囲の同僚の皆さんも、自らの心身を守るため早めの専門機関への受診や休息を優先してください。



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