パパが死んじゃったら、どうしよう
夕暮れの台所で、味噌汁の湯気が窓を曇らせていた。私は50代の半ば、北関東の小さな町で夫と二人、古い一軒家に暮らしている。役場の窓口を長く勤めて、いまはパートで地域の図書室に週四日通っている。
娘は十年前に結婚して、車で四十分ほど離れた団地に住んでいる。三年前に離婚してからは、もうすぐ六歳になる孫娘と二人暮らしだ。娘の元夫――「いいお父さん」だった人は、同じ町内のアパートに移って、いまもひとりで暮らしている。仕事は配送の仕事で、朝が早い。離婚したあとも孫とは月に二、三度、公園や回転寿司で会っているらしい。
その孫が、最近よく言うのだ。
「おばあちゃん、パパ、ひとりで寂しくないかな」
先日も娘の家に泊まりに行ったとき、夜の歯みがきの最中にふいに鏡越しに目が合って、孫が言った。「ねえ、パパ、ごはんちゃんと食べてるかな」。歯ブラシをくわえたまま、眉が下がっていた。
その翌週、元お父さんが孫を私の家まで車で送ってくれる約束だった。けれど孫は玄関先で泣き出して「パパ、お仕事で疲れてるから、お休みさせてあげて。おばあちゃんが迎えに来て」と言うのだ。
結局、私が軽自動車を出して迎えに行った。帰りの車の中で、孫はチャイルドシートに沈み込んで外の田んぼをじっと見ていた。
「パパが死んじゃったら、どうしよう」。それも、最近よく口にする言葉だ。私が「ママもおばあちゃんもいるから大丈夫よ」と言えば孫は小さく頷くけれど、納得した顔ではない。
娘から聞いた話では、元お父さんは再婚相手を探しているらしい。優しい人だから、それは構わない。孫が幸せでいてくれるなら、私はどんな形でも応援したい。ただ――あの子の小さな胸の奥に何が沈んでいるのか。私にはそれが、うまく見えないでいる。
四人の声に、耳を傾けてみる
サキ「読ませていただいて、私、台所の場面が頭から離れないんですよね。歯ブラシをくわえたまま『パパ、ごはん、ちゃんと食べてるかな』って言ったお孫さんの顔。あれは心配というより、もう少し違うものに思えて」
アキ「うんうん、わかる気がする。五歳とか六歳って、まだ自分の不安を『不安』って名前で呼べないんだよね。だから、誰かのことを心配する形でしか出せない。本当は自分が寂しいのに」
サキ「そうなんですよね。『パパが疲れている』って言葉、たぶんあの子自身がいちばん疲れているんじゃないかと思うんです。週末ごとに違う家に泊まって、二人の大人の顔色を見て、どちらも傷つけないように小さな身体で気を張っている。お味噌汁の湯気が窓を曇らせる、そういうゆっくりした時間がこの子には、まだ足りていないのかもしれません」
ケンゴ「気持ちはわかる。だが、少し整理させてほしい。月二回の面会から始まって、いまは平日も含めて毎週会っている。元のお父さんの再婚活動の都合で預けられることもある――これは当初の取り決めから、相当に運用が広がっている状態だろう。子どもにとって『生活の拠点はどこか』が曖昧になっている可能性は、まず冷静に見たほうがいい」
アキ「ケンゴさんの言ってること、正しいのはわかるよ。でも、その正しさで、いま現に頑張ってる娘さんと元旦那さんを追い詰めちゃったら本末転倒じゃない? 二人とも、たぶん精一杯やってるんだよ」
ケンゴ「アキさんの言うことも一理ある。ただ、精一杯やっていることと、子どもにとって最適であることは別の話だ。五歳の子が『パパが死んじゃったら』と口にするのは、相当のシグナルだと思うが」
サキ「お二人とも、少し待っていただいていいですか。ご相談者さんは、娘さんでも元義理の息子さんでもなく、おばあちゃんなんですよね。私、ここがこのご相談のいちばん大事なところに思えて」
サキ「おばあちゃんの立場って、近すぎず、遠すぎず――孫の不安を真ん中で受け止めながら、娘夫婦の決断には踏み込みすぎないという、すごく繊細な距離なんです。だからこそ、できることがあると思うんですよね。たとえばお孫さんが『パパが心配』と言ったとき、『大丈夫よ』ですぐに蓋をしないこと。『そっか、心配なんだね』って、その言葉をまず台所の椅子の上に一度置いてあげる。それだけで、この子はずいぶん楽になる気がします」
気づきのセクション――「大丈夫よ」の前に、置けるもの
子どもが大人を気づかう言葉を口にするとき、私たちはついその気づかいを早く取り除いてあげたくなる。「心配しなくていいよ」「ママもいるから大丈夫」――それは紛れもなく愛情の言葉だ。けれど子どもにとっては、自分の感じたものがふっと宙に浮いたまま行き場をなくすこともある。
お孫さんが「パパ、疲れてるから休ませてあげて」と泣いたとき、その言葉の下にはおそらく、いくつもの層がある。パパが大事という気持ち。パパに迷惑をかけたら、もう来てもらえなくなるかもしれないという小さな怖さ。そして、自分が二つの家のあいだを行き来していることへの、まだ言葉にならない疲れ。
シオン「五歳の子が誰かの疲れを気にかけるとき、その子はもう、自分の中に小さな天秤を持っているのだろう。片方に大人の顔色、もう片方に自分の願い。その天秤を、急いで外してあげる必要はない。ただ、片方の皿におばあちゃんの手が一度、そっと触れていることをその子が知っていればいい。それだけで、天秤は少し軽くなるのではないだろうか」
本質的な結論――三つの視座を、そのまま残して
サキの視座から:お孫さんが口にする「パパが心配」という言葉は、お孫さん自身の不安の翻訳である可能性が高いです。否定も肯定もせず、「そっか、心配なんだね」と一度受け止めてから、「おばあちゃん家(ち)はいつでも来れるからね」と、揺るがない場所が一つあることを繰り返し伝えてあげてください。生活の手触りのある安心――同じ椅子、同じ味噌汁の匂い、同じ毛布――が、いまのお孫さんに必要なものだと思います。
ケンゴの視座から:同時に、娘さんとは一度、冷静に話す機会を持ってもよいだろう。責めるためではなく、「面会の頻度や預かりの運用が、いまの形でお孫さんに合っているかどうか」を、大人同士で点検する場としてだ。元のお父さんの再婚活動の都合で預かることが続くのであれば、その都度の判断ではなく、ある程度のルールに戻すことを娘さんから提案してもらうのが筋だと思う。
アキの視座から:そして、おばあちゃん自身の気持ちもどこかで誰かに話してほしい。孫の不安を受け止める器は、その器自身がちゃんと支えられていないといつか欠けちゃうから。図書室の同僚でも昔からの友人でも、「最近ね、孫がこんなこと言うんだよ」って、こぼせる相手を持っていてほしい。
そして――三つの声のどれが正解か、無理に決めなくていいのです。お孫さんの様子を見ながら、その日その日でどの声に耳を傾けるかを選んでいけばいい。それが生活というものの、実際の姿だと思うのです。
※ お孫さんが「パパが死んじゃったら」という言葉を頻繁に口にする状態が長く続くようでしたら、自治体の子育て相談窓口や保育園・幼稚園の先生にも、一度様子を共有してみてください。多くの自治体では、未就学児の心のケアについて無料で相談できる窓口を設けています。専門の方の目を借りることは、決して大げさなことではなく、子どもの心を守るための、ごく自然な選択肢の一つです。




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