「優しいおばあちゃん」でいようとするほど、置き去りになっていくもの
夜、孫娘を寝かしつけたあと、私は台所の椅子に座って冷めかけた麦茶を飲んでいた。流しの蛍光灯だけをつけた、薄暗い台所だ。夫はもう寝室に上がっている。
私はずっと、「孫の前では笑顔でいよう」と思ってきた。娘の前でも元義理の息子さんの前でも、できるだけ穏やかな顔をしているつもりだった。三人と一緒に、近くのファミレスでハンバーグを食べる夜もある。元義理の息子さんが「お義母さん、いつもすみません」と頭を下げると、私は「いいのよ、孫の顔が見られて嬉しいから」と笑う。本当に嬉しい。それは嘘ではない。
ただ、こうして一人で台所に座っていると、自分が何を感じているのか、ふと分からなくなる瞬間がある。麦茶のグラスの底には、蛍光灯の光がにじんでいた。
「いいおばあちゃん」の輪郭を、少しだけ崩してみる
サキ「第一章で、お孫さんの言葉の下にある層についてお話ししました。今夜はおばあちゃんご自身のことを、少し聞かせていただきたいんですよね」
サキ「ご相談を読んでいて私、一か所ひっかかったところがあるんです。『母として会う時はいつも笑顔でいようと思っています』って書かれていたんですが――これ、もしかしてもうずいぶん長いあいだ、続けてこられたことじゃないですか」
アキ「それ、私も気になってた。『笑顔でいよう』ってすごく愛のある言葉なんだけど、同時に、自分の感情に蓋をする号令にもなっちゃうんだよね。週末ごとに孫が来て、平日も預かって、元旦那さんの再婚活動の都合でも預かって――その全部を笑顔でやってたら、どこかで電池切れるよ絶対」
ケンゴ「その通りだ。そしてこれは厳しい言い方になるが――ご相談者さんが疲弊することは巡り巡って、お孫さんの不安の源にもなる。子どもは大人が無理をしていることを、言葉ではなく空気で察知する。『おばあちゃん、パパ、ひとりで寂しくないかな』という孫の言葉は、お父さんに向けられたものであると同時に、おばあちゃん自身にも向けられているんじゃないだろうか」
サキ「ケンゴさん、それは私も同じことを感じていました。お孫さんはたぶん、家じゅうの大人の表情を全部見ているんですよね。パパの固い表情、ママの忙しそうな顔、そしておばあちゃんの『いつも笑顔』。子どもにとって、大人の『無理してる笑顔』ほど不思議で、少し怖いものはないんです」
アキ「あー、それわかる。子どもの頃、私も思ってた。大人が笑ってるのに、んか変だなって。空気の温度が合ってないっていうか」
サキ「だから、提案というほどでもないんですが――『いつも笑顔』を少し緩めてみてもいいんじゃないかと思うんですよね。たとえばお孫さんが、『パパ、ごはん食べてるかな』と言ったときに、『おばあちゃんもね、ちょっと心配な日があるんだよ。でも、心配なときは麦茶を飲むの』って、自分のささやかな弱さをちょっとだけ見せてあげる。大人が完璧じゃないことを知ったほうが、子どもは安心するんです」
娘さんと、どう話すか――「責める会話」と「点検する会話」
ケンゴ「もう一つ、避けて通れない話がある。娘さんとの話し合いだ。第一章でも触れたが、面会の運用が当初の月二回から、いまや平日も含めて週に何度もという状態になっている。これを娘さん自身がどう捉えているのか、ご相談者さんはご存じだろうか」
アキ「ケンゴさん、それを直接おばあちゃんが娘さんに切り出すのって、けっこうハードル高くない? 娘さんだって自分なりに考えて、いまの形に落ち着いてるはずだよ。下手に踏み込むと、『お母さんに口出しされたくない』って空気になりかねない」
ケンゴ「だからこそ『責める会話』ではなく、『点検する会話』にする必要がある。たとえば『最近、あの子がパパのことを心配する言葉をよく口にするんだけど、家ではどう?』と、孫の様子を入り口にする。これなら娘さんも、構えずに話せるはずだ。判断するのは娘さん本人で、おばあちゃんは観察を共有するだけ。役割を越境しないことが、長期的には信頼を保つ」
サキ「ケンゴさんのその切り出し方、私もとてもいいと思います。一つだけ付け加えるとすれば、話すタイミングと場所は選んだほうがいいですよね。送り迎えの玄関先とか、孫がそばにいる時間は避けて。たとえば、娘さんと二人でスーパーに買い物に行った帰りの車中とか。横並びで話すほうが、向き合うよりもこういう話はしやすいんです」
アキ「あー、それすごくわかる。正面から座って『話があるんだけど』って始まると、もう身構えちゃうもんね」
サキ「あと、元義理の息子さんへの気づかいも、忘れずに添えてほしいんですよね。『パパも頑張ってくれているのは、お母さんもよく分かってるよ』って一言を最初に置く。そうすると娘さんも、『お母さんは元夫を責めたいわけじゃないんだ』と分かって、本題に集中できるので」
「再婚するかもしれない」という未来を、どう受け止めるか
アキ「もう一個、ちょっとデリケートな話していい? 元旦那さんが再婚相手を探してるっていう件。おばあちゃん、『娘が幸せになるなら再婚してもいい』って書いてたけど――これ、本当に、心の底からそう思えてる?」
サキ「アキさん、今日はずいぶん踏み込みますね」
アキ「ごめん、でも気になって。だって、新しいお母さんが来たら孫が泊まりに来る頻度も変わるかもしれないし、おばあちゃんと孫の関係も何かしら変化するわけじゃない? それを『娘の幸せのためなら』って一言で飲み込もうとしてるなら――それ、また『笑顔でいよう』と同じ構図なんじゃないかなって」
ケンゴ「アキさんの指摘は、的を射ていると思う。本当に納得していることと、納得しようとしていることは別物だ。前者なら問題ない。後者なら、いずれ無理が来る」
サキ「お二人の言うことはよく分かります。ただ私は、おばあちゃんが『娘の幸せになるなら』とおっしゃった、その気持ち自体は本物だと感じているんですよね。本物だけれど、そこに整理しきれていない気持ちも同居している、というだけのことで。両方あって、いいと思うんです。一つに決めなくて」
サキ「再婚相手の方が現れたとき、おばあちゃんと孫の関係がどう変わるかは、いまから決まっていることじゃありません。新しい家族が増えても、お孫さんにとって『おばあちゃんち』が安心できる場所であり続けることは十分にできます。ただ、その未来を迎えるためにも、いまのうちにご自身の気持ちを少し棚卸ししておくのは、悪くないことだと思うんですよね」
シオン「人は他人の幸せを願うとき、自分の中に小さな影が落ちることがある。それを『欲が深い』と責める必要はないだろう。光が当たれば、影は必ずできる。影があることは、その人がそこに確かに立っている証でもある。影を消そうとせず、影ごと自分を抱えていけばいいのではないだろうか」
第二章の結論――「いいおばあちゃん」を、少しだけ降りる
一つ目。「いつも笑顔」という構えを、ほんの少し緩めること。お孫さんに、おばあちゃんの完璧じゃない部分――心配な日があること、麦茶で気持ちを整えること――を、小さく見せてあげる。子どもは大人の隙間から、本当の安心を吸い込みます。
二つ目。娘さんとの会話は、責める形ではなく孫の様子を共有する「点検する会話」として持つこと。場所は玄関先や食卓ではなく、横並びで話せる場所を選ぶ。「パパも頑張ってくれている」という一言を、必ず最初に置く。判断するのは娘さん自身で、おばあちゃんの役割は観察を渡すところまでです。
三つ目。元義理の息子さんの再婚という未来について、「娘の幸せのためなら」という気持ちと、整理しきれない気持ちの両方を自分の中に置いておいていいということ。一つに決める必要はありません。両方あることを認めることが、未来の変化に対するいちばん柔らかい備えになります。
そしておばあちゃん自身が、誰かに「最近ね」とこぼせる場所を、一つでいいから持っていてほしいのです。図書室の同僚でも、古い友人でも、夫でも。器を支える誰かがいて、はじめて孫の不安を受け止める器でいられる。それはわがままなことではなく、孫のためにも必要なことです。
※ 相談者さんご自身が眠れない夜が続いたり、気持ちが沈んで日常の楽しみが感じられなくなったりすることがあれば、お住まいの地域の保健センターやかかりつけの内科でも構いませんので、一度ご相談ください。「孫のことで」と前置きしても、「自分のことで」とおっしゃっても、どちらでも大丈夫です。話を聞いてくれる場所は、思っているよりも近くにあります。




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