「パパが死んじゃったら」5歳の孫がくり返す言葉の正体――別居する父と母のあいだで、祖母にできること

「優しいおばあちゃん」でいようとするほど、置き去りになっていくもの

夜、孫娘を寝かしつけたあと、私は台所の椅子に座って冷めかけた麦茶を飲んでいた。流しの蛍光灯だけをつけた、薄暗い台所だ。夫はもう寝室に上がっている。

私はずっと、「孫の前では笑顔でいよう」と思ってきた。娘の前でも元義理の息子さんの前でも、できるだけ穏やかな顔をしているつもりだった。三人と一緒に、近くのファミレスでハンバーグを食べる夜もある。元義理の息子さんが「お義母さん、いつもすみません」と頭を下げると、私は「いいのよ、孫の顔が見られて嬉しいから」と笑う。本当に嬉しい。それは嘘ではない。

ただ、こうして一人で台所に座っていると、自分が何を感じているのか、ふと分からなくなる瞬間がある。麦茶のグラスの底には、蛍光灯の光がにじんでいた。

「いいおばあちゃん」の輪郭を、少しだけ崩してみる

サキ「第一章で、お孫さんの言葉の下にある層についてお話ししました。今夜はおばあちゃんご自身のことを、少し聞かせていただきたいんですよね」

サキ「ご相談を読んでいて私、一か所ひっかかったところがあるんです。『母として会う時はいつも笑顔でいようと思っています』って書かれていたんですが――これ、もしかしてもうずいぶん長いあいだ、続けてこられたことじゃないですか」

アキ「それ、私も気になってた。『笑顔でいよう』ってすごく愛のある言葉なんだけど、同時に、自分の感情に蓋をする号令にもなっちゃうんだよね。週末ごとに孫が来て、平日も預かって、元旦那さんの再婚活動の都合でも預かって――その全部を笑顔でやってたら、どこかで電池切れるよ絶対」

ケンゴ「その通りだ。そしてこれは厳しい言い方になるが――ご相談者さんが疲弊することは巡り巡って、お孫さんの不安の源にもなる。子どもは大人が無理をしていることを、言葉ではなく空気で察知する。『おばあちゃん、パパ、ひとりで寂しくないかな』という孫の言葉は、お父さんに向けられたものであると同時に、おばあちゃん自身にも向けられているんじゃないだろうか」

サキ「ケンゴさん、それは私も同じことを感じていました。お孫さんはたぶん、家じゅうの大人の表情を全部見ているんですよね。パパの固い表情、ママの忙しそうな顔、そしておばあちゃんの『いつも笑顔』。子どもにとって、大人の『無理してる笑顔』ほど不思議で、少し怖いものはないんです」

アキ「あー、それわかる。子どもの頃、私も思ってた。大人が笑ってるのに、んか変だなって。空気の温度が合ってないっていうか」

サキ「だから、提案というほどでもないんですが――『いつも笑顔』を少し緩めてみてもいいんじゃないかと思うんですよね。たとえばお孫さんが、『パパ、ごはん食べてるかな』と言ったときに、『おばあちゃんもね、ちょっと心配な日があるんだよ。でも、心配なときは麦茶を飲むの』って、自分のささやかな弱さをちょっとだけ見せてあげる。大人が完璧じゃないことを知ったほうが、子どもは安心するんです」

娘さんと、どう話すか――「責める会話」と「点検する会話」

ケンゴ「もう一つ、避けて通れない話がある。娘さんとの話し合いだ。第一章でも触れたが、面会の運用が当初の月二回から、いまや平日も含めて週に何度もという状態になっている。これを娘さん自身がどう捉えているのか、ご相談者さんはご存じだろうか」

アキ「ケンゴさん、それを直接おばあちゃんが娘さんに切り出すのって、けっこうハードル高くない? 娘さんだって自分なりに考えて、いまの形に落ち着いてるはずだよ。下手に踏み込むと、『お母さんに口出しされたくない』って空気になりかねない」

ケンゴ「だからこそ『責める会話』ではなく、『点検する会話』にする必要がある。たとえば『最近、あの子がパパのことを心配する言葉をよく口にするんだけど、家ではどう?』と、孫の様子を入り口にする。これなら娘さんも、構えずに話せるはずだ。判断するのは娘さん本人で、おばあちゃんは観察を共有するだけ。役割を越境しないことが、長期的には信頼を保つ」

サキ「ケンゴさんのその切り出し方、私もとてもいいと思います。一つだけ付け加えるとすれば、話すタイミングと場所は選んだほうがいいですよね。送り迎えの玄関先とか、孫がそばにいる時間は避けて。たとえば、娘さんと二人でスーパーに買い物に行った帰りの車中とか。横並びで話すほうが、向き合うよりもこういう話はしやすいんです」

アキ「あー、それすごくわかる。正面から座って『話があるんだけど』って始まると、もう身構えちゃうもんね」

サキ「あと、元義理の息子さんへの気づかいも、忘れずに添えてほしいんですよね。『パパも頑張ってくれているのは、お母さんもよく分かってるよ』って一言を最初に置く。そうすると娘さんも、『お母さんは元夫を責めたいわけじゃないんだ』と分かって、本題に集中できるので」

「再婚するかもしれない」という未来を、どう受け止めるか

アキ「もう一個、ちょっとデリケートな話していい? 元旦那さんが再婚相手を探してるっていう件。おばあちゃん、『娘が幸せになるなら再婚してもいい』って書いてたけど――これ、本当に、心の底からそう思えてる?」

サキ「アキさん、今日はずいぶん踏み込みますね」

アキ「ごめん、でも気になって。だって、新しいお母さんが来たら孫が泊まりに来る頻度も変わるかもしれないし、おばあちゃんと孫の関係も何かしら変化するわけじゃない? それを『娘の幸せのためなら』って一言で飲み込もうとしてるなら――それ、また『笑顔でいよう』と同じ構図なんじゃないかなって」

ケンゴ「アキさんの指摘は、的を射ていると思う。本当に納得していることと、納得しようとしていることは別物だ。前者なら問題ない。後者なら、いずれ無理が来る」

サキ「お二人の言うことはよく分かります。ただ私は、おばあちゃんが『娘の幸せになるなら』とおっしゃった、その気持ち自体は本物だと感じているんですよね。本物だけれど、そこに整理しきれていない気持ちも同居している、というだけのことで。両方あって、いいと思うんです。一つに決めなくて」

サキ「再婚相手の方が現れたとき、おばあちゃんと孫の関係がどう変わるかは、いまから決まっていることじゃありません。新しい家族が増えても、お孫さんにとって『おばあちゃんち』が安心できる場所であり続けることは十分にできます。ただ、その未来を迎えるためにも、いまのうちにご自身の気持ちを少し棚卸ししておくのは、悪くないことだと思うんですよね」

シオン「人は他人の幸せを願うとき、自分の中に小さな影が落ちることがある。それを『欲が深い』と責める必要はないだろう。光が当たれば、影は必ずできる。影があることは、その人がそこに確かに立っている証でもある。影を消そうとせず、影ごと自分を抱えていけばいいのではないだろうか」

第二章の結論――「いいおばあちゃん」を、少しだけ降りる

一つ目。「いつも笑顔」という構えを、ほんの少し緩めること。お孫さんに、おばあちゃんの完璧じゃない部分――心配な日があること、麦茶で気持ちを整えること――を、小さく見せてあげる。子どもは大人の隙間から、本当の安心を吸い込みます。

二つ目。娘さんとの会話は、責める形ではなく孫の様子を共有する「点検する会話」として持つこと。場所は玄関先や食卓ではなく、横並びで話せる場所を選ぶ。「パパも頑張ってくれている」という一言を、必ず最初に置く。判断するのは娘さん自身で、おばあちゃんの役割は観察を渡すところまでです。

三つ目。元義理の息子さんの再婚という未来について、「娘の幸せのためなら」という気持ちと、整理しきれない気持ちの両方を自分の中に置いておいていいということ。一つに決める必要はありません。両方あることを認めることが、未来の変化に対するいちばん柔らかい備えになります。

そしておばあちゃん自身が、誰かに「最近ね」とこぼせる場所を、一つでいいから持っていてほしいのです。図書室の同僚でも、古い友人でも、夫でも。器を支える誰かがいて、はじめて孫の不安を受け止める器でいられる。それはわがままなことではなく、孫のためにも必要なことです。

※ 相談者さんご自身が眠れない夜が続いたり、気持ちが沈んで日常の楽しみが感じられなくなったりすることがあれば、お住まいの地域の保健センターやかかりつけの内科でも構いませんので、一度ご相談ください。「孫のことで」と前置きしても、「自分のことで」とおっしゃっても、どちらでも大丈夫です。話を聞いてくれる場所は、思っているよりも近くにあります。

「ふつうの家族」じゃないことを、子どもの不利益にしないために

あの夜から、何日かが経った。孫娘はいつものように週末を私の家で過ごし、月曜の朝、娘の運転する軽自動車で団地に帰っていった。後部座席のチャイルドシートで、孫はまだ眠そうな目をして小さく手を振っていた。

私は玄関の戸を閉めて、しばらくそこに立っていた。庭の梅の木に、まだ堅いつぼみが見えていた。

娘たちが帰ったあと、家の中は急に静かになる。冷蔵庫の音と柱時計の音だけが、はっきり聞こえる。私はこの静けさが嫌いではない。ただ、この静けさの中にふと「これでよかったのかな」という小さな声が混ざることがある。

離婚して、お互いに別の家に住んで、孫が二つの家を行き来する。私たちの世代ではあまり見なかった形だ。私の母ならたぶん、「かわいそうに」と言うだろう。でも、私は孫が「かわいそう」だとは思っていない。ただ、「これがふつう」ともまだ言い切れない自分がいる。

この曖昧さの中で、これから何年も孫の成長を見ていくことになる。小学校に上がり、思春期を迎え、いつか自分の道を選んでいく。そのとき孫が振り返って、いまの時間をどう思うのか――私にはまだ、分からないのだ。

「ふつうじゃない」という言葉の重さを、誰が引き受けるのか

サキ「この章の入り口に記された『これがふつう、とも言い切れない自分がいる』という一文。私、ここにご相談の本当の重みが宿っている気がするんです」

アキ「うん、わかる。たぶんおばあちゃん、ご自分の世代の『家族の形』と、孫が生きていく『家族の形』のあいだで、ちょっと宙ぶらりんになってるんだよね。どちらかに立てれば楽なんだけど、誠実な人ほどどちらにも立ち切れない」

ケンゴ「データで言えば、日本の離婚件数は年間およそ十八万件前後で推移している(注:厚生労働省の人口動態統計による近年の傾向)。両親が別々に暮らす中で育つ子どもを、もはや少数派とは言い切れない規模になっている。『ふつう』という言葉の中身が、世代によって違ってきているのは事実だ」

サキ「ケンゴさんがおっしゃるように、統計的にはそうなんですよね。ただ私、思うんです。『ふつう』であるかどうかを大人が気にしすぎることが、かえって子どもに『うちはふつうじゃないんだ』と思わせてしまうこともあるって」

アキ「あー、それすごくわかる。たとえば保育園におばあちゃんがお迎えに行く日があって、ママが行く日があって、たまにパパが行く日もある――それを大人が『うちは複雑で』って前置きして説明すると、子どもは『そっか、うちは複雑なんだ』って学んじゃうんだよね」

サキ「そうなんです。子どもにとっての『ふつう』は、頻度なんですよね。週に何度も繰り返されることが、その子の『ふつう』になる。だからお孫さんにとっては、おばあちゃんちで麦茶を飲むことも、ママの団地で寝ることも、パパの部屋で過ごすことも、全部すでに『ふつう』なんです。問題はその『ふつう』を、大人が後ろめたく扱っていないかということで」

ケンゴ「同意する。大人が気を遣いすぎることが、結果として子どもに『気を遣わせる空気』を作る。これは職場でも同じ構造だ。上司が部下に『悪いね、悪いね』と繰り返すと、部下は『自分は迷惑な存在なのか』と感じ始める。気遣いの過剰は、しばしば相手の自尊心を削る」

「パパが死んじゃったら」――この言葉の奥にあるもの

アキ「ここでもう一回、孫の言葉に戻りたいんだけど。『パパが死んじゃったらどうしよう』ってセリフ、第一章でも触れたけど、私ずっと考えてた」

アキ「五歳の子が『死』を口にするのって、けっこう驚くよね。でも、この年齢で死を意識し始めること自体は、発達の自然な過程として知られていることでもあるんだよね。だからその言葉が出ること自体を、過剰に心配しすぎなくていいと思う」

サキ「そうですね。ただ、その言葉が『パパ』に向けて出ていることには、やはり意味があると思うんです。たとえば『ママが死んじゃったら』とは、お孫さんはあまり言わないようですよね。ママは毎日一緒にいるから、消えるイメージが湧きにくい。逆にパパは離れて暮らしているから、『会えなくなる』というイメージが『死』という言葉に翻訳されやすいんじゃないでしょうか」

ケンゴ「鋭い指摘だ。つまり『パパが死んじゃったら』は、字面(じづら)通りの死への恐怖というより『パパとの関係が、ある日ふっと途切れるかもしれない』という、関係の不確実性への不安の表現だ」

サキ「私はそう感じています。だからこの言葉に対する答えは、『大丈夫、パパは死なないよ』ではなく『パパは、ずっとあなたのパパだよ』のほうが、お孫さんには届くんじゃないかと思うんですよね。たとえパパが再婚しても、住む場所が変わっても、『パパ』であることは変わらない。その約束のほうが、子どもには必要な気がします」

アキ「うわ、それいい。『死なないよ』だと未来の保証になっちゃうから嘘になりかねないけど、『ずっとあなたのパパだよ』なら、関係性の約束だからちゃんと守れる」

ケンゴ「そしてそれを、元のお父さん自身の口から、繰り返し伝えてもらうのがいちばんいいだろう。おばあちゃんから娘さんに、『あの子、パパがいなくなるって心配してるみたい。よかったらパパからも声をかけてあげてほしい』と伝えておく。これは第二章で話した『点検する会話』の延長線上にある、具体的な提案だ」

五年後、十年後の孫が、振り返ったときに

シオン「ふと、思うことがある。いま五歳のあの子が十五歳になったとき、二十五歳になったとき、いまの時間をどう思い出すのだろう。『複雑な家族だった』と思うのか、『おばあちゃんちの台所にはいつも麦茶があった』と思うのか。それはいまの大人たちの言葉の温度が決めることなのかもしれない」

サキ「シオンさんが、いまとても大事なことを言ってくださいましたね。子どもは出来事そのものよりも、その出来事にまわりの大人がどんな顔をしていたかを覚えていくんですよね」

サキ「お孫さんが二十歳になって、『うちは、両親が離婚しててね』と誰かに話すとき。そのとき、その言葉に暗さや後ろめたさではなく、『でも、おばあちゃんちで麦茶飲むの、好きだったんだ』みたいな、小さな明るさが混ざっていたら――それこそいまのおばあちゃんが、本当にしてあげられる最大のことだと思うんです」

アキ「あー、それでちょっと泣きそう。子どもが大人になったときに、自分の生い立ちを悲劇としてではなく、ふつうの記憶として語れること。それってすごく大きなギフトだよね」

ケンゴ「同意する。そしてそのギフトは、ドラマチックな決断や感動的な言葉から生まれるものではない。むしろ日々の小さな繰り返し――同じ椅子、同じ味噌汁、同じ毛布、同じ『おかえり』――の積み重ねからしか生まれない。これは戦略の話ではなく、生活の話だ」

サキ「ケンゴさんがようやく、生活の側に降りてきてくださいましたね」

ケンゴ「最初から生活を軽んじていたつもりはないんだが」

アキ「ふふ、ケンゴさんもたまに、そういう顔するんだね」

最終章の結論――三章を通じて、おばあちゃんへ

第一章で見たこと。お孫さんが口にする「パパが心配」「パパが死んじゃったら」という言葉は、お孫さん自身の不安の翻訳である可能性が高いということ。否定せず、「そっか、心配なんだね」と一度受け止めてあげること。

第二章で見たこと。「いつも笑顔」を少し緩めて、おばあちゃん自身の小さな弱さも見せていいということ。娘さんとは「点検する会話」を、横並びで、孫の様子を入り口にして持つこと。元義理の息子さんの再婚という未来について、整理しきれない気持ちが自分の中にあることを認めていいということ。

第三章で見たこと。「ふつうじゃない」という重さを、大人が引き受けすぎないこと。子どもにとっての「ふつう」は頻度であり、すでにお孫さんは二つの家を行き来する暮らしを「ふつう」として生きているということ。そして「パパが死んじゃったら」への答えは、「死なないよ」ではなく「ずっとあなたのパパだよ」――関係性の約束として返すこと。

そしてもっとも大切なこと――お孫さんが大人になって自分の生い立ちを誰かに話すときに、その言葉に小さな明るさが混ざっているように。そのための材料はドラマチックな決断ではなく、おばあちゃんちの台所の麦茶の冷たさや、毛布の匂いや、「おかえり」のひと言の中にあるということ。

三章を通じて四人の声は、ときに食い違いました。アキの「いまの感情を大切に」と、ケンゴの「長期的な構造を」と、サキの「生活の手触りから」と、シオンの「視座をずらして」
そのどれか一つだけが、正解ではありません。日々の場面ごとに、おばあちゃんご自身がどの声に耳を傾けるかを選んでいけばいいのです。

梅のつぼみが、来月には開きます。来年の今ごろ、お孫さんはもう小学生になっています。その時間の流れの中で、おばあちゃんの台所が変わらずそこにあること。それがこの家族にとって、いちばん確かな羅針盤になるはずです。

※ 本記事は日常の悩みに対する読み物として、共感的な視点を提供することを目的としています。お孫さんの心の様子についてより専門的な視点を求められる場合は、お住まいの自治体の子育て世代包括支援センター、またはかかりつけの小児科でも相談に応じてもらえることがあります。「離婚家庭の子どもの心理」については、家庭裁判所の家事相談窓口や面会交流の支援団体でも、無料で相談できる場合があります。一人で抱え込まず、必要なときは専門の方の手を借りてください。

よりみちナビゲーター

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