第二章 助手席の匂いの正体──「選ぶ」前に、ほどいておくべきもの
あれから一週間ほど経った夜、私は事務所の二階で一人、図面の修正をしていた。窓の外で近所の犬がひと声だけ鳴いて、また静かになった。
妻は階下で、明日の朝に持っていく弁当の下ごしらえをしている。包丁がまな板に当たる、軽くて速いリズムが階段の途中まで上がってきて、また下に戻っていく。私はその音を聞きながら、なぜ自分は今この音を「妻の音」として聞けないのだろう、と思った。「誰かの妻の音」として、少し遠くから聞いている自分がいる。
幼なじみとは、まだ連絡を取っていない。半年前、最後に交わしたメッセージは「またね」だった。あの「またね」がいつまでの「また」を指していたのか、私にはもうわからない。
四人の対話──「選ぶ」という言葉の、手前にあるもの
アキ:第一章のあと、この方がね、すごく静かに自分のことを観察しはじめてる感じがして。「妻の音」として聞けないっていう一文、痛いよね。たぶん、この方はもう気づいてるんだと思う。問題は「妻か幼なじみか」じゃなくて、「自分がいま、誰の人生を生きてる感覚を持てていない」ほうなんだって。
サキ:そうですね。包丁の音が「誰かの妻の音」に聞こえてしまうのは、相手の問題ではなくて、自分の足が今いる場所にちゃんとついていない感覚なんですよね。私もね、子どもが生まれてしばらく、自分の家の台所が「他人の家」みたいに見えた時期があったんです。あれは相手が悪いんじゃなくて、自分の輪郭が一時的にぼやけているときに起こる現象だと思っています。
ケンゴ:その分析には同意する。だが、現象の説明だけで終わらせるべきではないだろう。この方には半年という時間がもう経過している。観察と内省を続けることは大事だが、それと並行して「動かさないこと」がもたらしている損失についても、見据える必要があると思うが。
アキ:損失、か。ケンゴさん、それ、もう少し聞かせてほしいな。何の損失?
ケンゴ:三つある。一つ目は、妻の時間だ。この方が揺れている半年のあいだ、妻はそれを知らずに二人の未来のための時間を積み上げている。知らされないまま積み上げた時間が、あとで「実は片方は揺れていた」と判明したとき、妻にとってその半年は、まるごと意味が変わってしまう。
二つ目は、幼なじみの時間だ。気まずいまま放置されている半年は、彼女にとっても宙吊りの半年だ。三つ目は、この方自身の時間。揺れたまま動かない時間は、決断の材料を増やしてはくれない。むしろ判断する筋力を削っていく。
サキ:ケンゴさんのおっしゃる「妻の時間」の話、わかるんです。わかるんですけれど、ただ──
サキ:──ただ、私が引っかかるのは、「妻に正直に話す」という選択肢が本当にこの方の状況で最善かどうか、なんですよね。妻に話せば、妻は確実に傷つきます。そして妻は、その情報をもらった瞬間から、夫の揺れを背負わされる側になる。「打ち明けることが誠実」という考え方は、ときどき自分の苦しさを相手に分け持ってもらう構造にすり替わることがあるんです。それを少し、怖いと思っていて。
ケンゴ:……それは、痛いところを突かれた。たしかに「話す」という行動が、誠実さの衣をまとった責任転嫁になることはある。私の言い方は、少し雑だったかもしれない。
アキ:あ、ケンゴさんが折れた。珍しい。
ケンゴ:折れたわけではない。サキさんの指摘が筋だったというだけだ。私の主張を訂正するならこうなる──「妻に話す」前に、自分の中で揺れの正体をある程度言語化しておくこと。それをしないまま打ち明ければ、妻に判断材料を渡しているように見えて、実は「あなたが決めてくれ」と丸投げしているのと同じになる。
サキ:そうです、そういうことなんです。「正直に話す」と「整理せずに吐き出す」は、似ているようでまったく別ですよね。
気づきの場所──「助手席の匂い」を、ほどいてみる
三人の議論を聞きながら、第一章でシオンが置いた一言が、また浮かんでくる。
「助手席の匂いとはその人の匂いではなく、まだ何者でもなかった頃の、自分自身の匂いなのかもしれない」
この方の中で幼なじみという存在は、おそらく三つの層が重なっている。
一つ目の層は、「十代の自分の証人」としての層だ。田んぼの脇の道を自転車で走った、あの頃の自分を覚えていてくれるほとんど唯一の他人。これを失うことは、過去の自分を失うことに近い感覚を生む。
二つ目の層は、「もう一つの人生のIF(イフ)」としての層だ。あのとき自分が動いていたら、いまここではない場所に自分は立っていたかもしれない。その「立っていたかもしれない場所」の象徴として、彼女がいる。これは彼女個人への気持ちというより、自分の選ばなかった道への執着に近い。
三つ目の層は、「心の深いところで通じ合える、稀有な他者」としての層だ。同じ業界、似た感性、長い時間。これは妻には代わりがきかない種類の関係性であり、ここだけは純粋な意味で「失いたくない人」としての気持ちが含まれている。
この三つは、本人のなかでひとつの塊になっている。だから「恋愛感情かどうか」という問いに答えが出ない。けれど、ほどいてみるとたぶんこういうことだ──三つ目の層は、友人として保持していい類のものだ。一つ目と二つ目の層は彼女から受け取るものではなく、自分の中で別の方法で扱っていくべきものだ。
アキ:……思ったんだけどさ、この方が幼なじみに「昔好きだった」って打ち明けたあの夜、本当に伝えたかったのは「好きだった」じゃなくて、「私の十代を覚えていてくれて、ありがとう」だったのかもしれないね。でも、それを言う言葉を私たちはあんまり持ってないんだよ。だから「好き」って言葉で代用しちゃう。
サキ:その読みは、すごく腑に落ちます。「ありがとう」と「好き」は、ときどき自分でも見分けがつかなくなりますよね。
ケンゴ:……そう整理されると、私が「動け」と急かしていたのが少し的外れに見えてくるな。動く前に、ほどく作業が要る。それは認める。ただし、ほどく作業にも期限はある。無期限の内省は結局、現状維持と同じ顔をしているから。
アキ:ケンゴさん、最後にちゃんと釘を刺してくるところ、好きだよ。
ケンゴ:からかうな。
シオン:三人の言葉を聴きながら思っていた。「選ぶ」という動詞は案外、暴力的なものだ。何かを選ぶというのは、選ばなかったほうをその瞬間「なかったこと」にする力を持つ。
だが、人の心はそのようにはできていない。選ばなかった道を「なかったこと」にするのではなく、「選ばなかったが、たしかにあった道」として、心の地図に小さく書き残しておく。そのほうが長く健やかに生きられるのではないだろうか。
この方が必要としているのは選択ではなく、地図の描き直しなのかもしれない。
動くとすれば、どの順序で
もしこの方が「動く」とすれば、ケンゴが言うように順序がある。四人の対話から浮かび上がってきた順序を、整理しておく。
第一段階:自分の中で、三つの層をほどく
幼なじみへの気持ちが過去の自分への執着なのか、選ばなかった道への執着なのか、稀有な他者への純粋な敬意なのか。三つを混ぜたまま「恋愛か否か」を判定しないこと。
紙に書き出してもいい。一人で難しければ、利害関係のない第三者(カウンセラーなど)の力を借りるのも、有効な選択肢になる。
第二段階:幼なじみとの関係を、自分のなかで再定義する
完全に縁を切る必要はない。ただし、「結婚後も二人で食事に行く」関係性が自分の心の安定にとって持続可能かは、正直に見直す。距離の取り方は、ゼロか百ではない。年に数回、共通の友人を交えて会うというような、中間の距離もある。
第三段階:妻との対話を、整理されたかたちで持つ
過去の揺れをすべて打ち明けることが正解とは限らない。ただ、「自分はいま、夫婦としてどんな関係を築いていきたいか」を妻と話す時間は、揺れの内容を伝えなくても持てる。包丁の音を「妻の音」として聞けるようになるためには、妻と自分の輪郭をもう一度、二人で描き直す作業がいる。
第二章の小さな結論──「選ぶ」の前に、「ほどく」を
この方が半年抱えてきた問いは、「妻か、幼なじみか」だった。けれど四人の対話を経て見えてきたのは、その問いの形そのものが自分を苦しめる構造になっていたということだ。
動くべきか、動かざるべきか。その前に、ほどくべきものがある。助手席の匂いは一つの匂いではない。十代の自分の匂い、選ばなかった道の匂い、稀有な他者への敬意の匂い。三つを丁寧にほどけば、そのうち二つは彼女から受け取るのではなく、自分の中で別の形にして持ち続けられるものだとわかってくるはずだ。
そのうえでもし「動く」のであれば、第一段階から順に。妻に打ち明けることを最初の一歩にしないこと。それは整理されていない揺れを、最も傷つきやすい人に渡してしまう順序だから。
もしこの「ほどく」作業を一人で進めるのが難しいと感じたら──実際これは、一人では難しい作業だ──夫婦カウンセリングや、個人カウンセリングを利用することを心の選択肢に置いておいてほしい。専門家に相談することは、結婚生活を諦めることでも誰かを裏切ることでもない。むしろ自分と、自分が大切にしたい人たちを長く守るための、実用的な方法のひとつだ。
第三章では、もし「ほどく」作業がある程度進んだあと、この方が妻とどんな対話を持ち得るのか。そして幼なじみとの関係を「友人」として再定義することは、本当に可能なのか。四人がさらに踏み込んで考えていく。



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