「妻がいちばん」と言えない夜に──十年来の幼なじみと、結婚三年目のあいだで揺れる心の整理術

第三章 包丁の音を、もう一度「妻の音」として聞くために

第二章の四人を対話を通して、私は少しずつ自分の中の三つの層を紙に書き出してみるようになった。事務所のデスクの引き出しにA4のコピー用紙を一枚しのばせて、夜、誰もいない時間に書く。書いては破り、また書く。

書き出してみて、わかったことがある。私はずっと幼なじみの彼女に「自分の十代を覚えていてほしい」と願っていたが、それは彼女にしか頼めないことではなかった。たとえば中学の同級生で、いまも年賀状だけ続いている男がいる。あいつだって私の十代を覚えている。同じ部活だった先輩も、隣町の本屋の店主も、覚えている人は思ったよりたくさんいる。

「証人は一人ではない」。そのことに気づいた夜、私は少しだけ肩の荷が軽くなる感覚があった。

けれど軽くなった分、別のことが見えてきた。妻のことだ。妻は私の十代を知らない。それは妻の落ち度ではなく、出会った時期が遅かっただけのことだ。なのに私は、知らないことをどこかで責めていたのかもしれない。「妻には、わかってもらえない」と思っていたとき、私は妻にわかりようのないことを背負わせていた。

包丁の音は、まだ「妻の音」としては聞こえない。でも、「誰かの妻の音」だった先週よりはほんの少しだけ、近い場所から聞こえるようになった気がする。

四人の対話──「妻に、何を、どう話すか」

アキ:この方、本当に少しずつ進んでるね。「証人は一人ではない」って気づきは、すごく大きいと思う。これ、自分でたどり着いた言葉だよね。誰かに言われた言葉じゃなくて、自分の中から出てきた言葉。こういう言葉は、強いんだよ。

サキ:そうですね。それと「知らないことを責めていた」という一文も、すごく重要だと思いました。これは夫婦関係でよく起こることなんです。相手がわかってくれないと感じるとき、本当はわかりようのないことを相手に求めている、という構図が隠れていることがあるんですよね。

ケンゴ:その指摘は的確だ。さて、ここからが本題だと思うが──妻との対話を具体的にどう持つか、という話に進みたい。第二章で私たちは「過去の揺れをすべて打ち明けることが正解とは限らない」と整理した。では、何をどう話せばいいのか。ここを具体化しないと、また現状維持に戻ってしまう。

アキ:うーん、私はね、いきなり「話そう」って構えるとたぶんうまくいかないと思ってて。夫婦の対話ってテーブルの向こうに座って「話があるんだ」って始めると、それだけで相手を身構えさせちゃうんだよね。それより生活の中の、何気ない時間に滲ませていくほうがたぶん届く。

サキ:アキさんの感覚、私も同意します。たとえば、休日の朝、コーヒーを淹れながら「最近さ、自分が何を大事にしたいのか、ちょっと考えてるんだよね」って切り出すくらいでいいんですよね。最初は結論を出すための対話ではなく、自分の輪郭を妻に見せる対話。

ケンゴ:……その入り方は私のやり方ではないが、理解はできる。私なら、もう少し正面から話す方が誠実だと思うが、それはおそらく私の世代と性格の問題だ。この方の妻がどういうタイプの人かによる、ということだろうな。

アキ:あ、ケンゴさん、自分のスタイルが万能じゃないって認めてるの、いいね。

ケンゴ:当たり前だろう。私は私のやり方が好きなだけで、それが正しいと言ったことは一度もない。

サキ:ふふ。ただ、ケンゴさんのおっしゃる「妻がどういうタイプの人か」という視点は、本当に大事だと思うんです。この方の妻は、第一章の描写によれば「異性と食事に行くことを一度も咎めたことがない」「私の図面の話をよくわからないけど好きだよと笑って聞いてくれる」人ですよね。これはたぶん、芯のところで穏やかで、相手を信頼するタイプの方なんです。

アキ:あー、そうそう。だからこそ怖いんだよね。穏やかで信頼してくれてる人を、自分の揺れで動揺させたくない。その気持ち、すごくわかる。

ケンゴ:だが、ここに一つ見落とされやすい論点がある。「穏やかで信頼してくれている人」が、実は最も傷つきやすいということだ。咎めない人ほど、咎めるべきタイミングを逃して、ある日限界が来る。私は会社で、そういう人を何人も見てきた。

サキ:……ケンゴさん、それは私が言いたかったことを、別の角度から言ってくださった気がします。妻が咎めないのは信頼しているからかもしれませんが、同時に「咎めるという選択肢を、自分には許していない」のかもしれない。それは危うい均衡なんですよね。

アキ:……あ、それちょっと、胸が痛い。

気づきの場所──「妻の側にも、ほどくべきものがあるかもしれない」という想像

三人の対話を聞きながら、ひとつ見落とされていた視点が浮かび上がってくる。

この方の妻は、本当に「何も揺れていない」のだろうか。

夫が異性と食事に行くことを快諾してきた人。図面の話を「よくわからないけど」と笑って聞いてくれる人。穏やかで、咎めない人。この描写の裏側に、もしかすると妻自身が抱えてきた別の物語があるのではないだろうか。

「咎めない」という選択を何年も続けてきたということは、それなりの理由とそれなりのエネルギーがかかっている。それは信頼の証であると同時に、もしかすると妻なりの、「踏み込まないことで関係を守る」戦略でもあったかもしれない。妻にもまた自分の十代があり、二十代があり、選ばなかった道があったはずだ。

夫婦の対話を「自分の揺れを伝える場」としてだけ設計すると、構造として一方通行になる。そうではなく、「お互いにいま、自分が何を大事にしたいか、何が見えていないか」を、二人で並べていく対話として組み立てることはできないだろうか。

アキ:あー、これね、めちゃくちゃ大事な視点だと思う。私たち、ずっとこの方の揺れの話をしてきたけど、妻の側にもたぶん、妻なりに抱えてるものがあるんだよね。それを「ないこと」にして対話を始めると、結局揺れを背負わせる構造になっちゃう。

サキ:そうなんです。「私はこう揺れています、あなたはどうですか」と聞ける夫婦は、揺れに強いんですよね。逆に「私だけが揺れている、あなたは安定している」という前提で組み立てると、揺れている側が安定している側を加害する関係になってしまう。

ケンゴ:……それは私も、思い当たることがある。私自身、家庭では「自分は揺れていない側」だと長く思い込んできた。だが、それは妻が私の揺れを引き受けてくれていたから成立していた均衡だったと気づいたのは、ずいぶん経ってからだ。

アキ:ケンゴさん、それ、自分のこととして話してくれて、ありがとう。なんかすごく、説得力ある。

幼なじみとの関係を、どう再定義するか

もうひとつの問い──幼なじみとの関係を、友人として再定義することは可能か。

サキ:これは私はね、可能だと思っているんです。ただし、条件があります。

アキ:条件、聞きたい。

サキ:一つ目は、「二人だけで会う」のを当面やめること。三人目、四人目の存在を介して会うかたちにしばらく切り替える。相手を疑っているのでも自分を疑っているのでもなく、関係の温度をもう一度、常温に戻す作業なんです。二人きりの空間は、どうしても温度が上がりますから。

サキ:二つ目は、「打ち明けてしまった気持ちの話を、もう蒸し返さない」ということ。あの夜の告白はなかったことにはできません。けれどそれを何度も持ち出して、お互いの傷を確かめあう関係にしてしまうと、友人には戻れなくなる。

サキ:三つ目は、相手の人生を自分の物差しで採点しないこと。彼女がこれから別の人と結婚するかもしれない、子どもを持つかもしれない。そのとき、「自分が選ばれなかった」という物語に回収せず、一人の友人としてちゃんと祝える場所に、自分を置いておくこと。

ケンゴ:……サキさんの三条件は、的確だと思う。私から付け加えるなら、四つ目として「期限を切らない」ことだ。「半年で友人関係に戻す」「一年で完全に乗り越える」というような期限を切ると、必ず焦りが生じる。関係の再定義は、時間がかかる作業だ。三年かかるかもしれない、五年かかるかもしれない。それでいいと覚悟しておくほうが、結果的に早く落ち着く。

アキ:うん、それも大事だね。あと、私からも一つ足していい? 五つ目、「相手の気持ちを、自分の責任で抱え込まない」ってこと。彼女のほうも「あんたみたいな人、たぶんこれから先も出てこない」って言葉を残したまま半年間、宙吊りになってる。彼女には彼女の整理がある。それをこちらが代わりにやってあげることはできないし、やろうとしないほうがいい。

シオン:三人の言葉を聞きながら、思っていた。「友人に戻る」という表現が、もしかするとすでに正確ではないのかもしれない。
かつての友人関係は、お互いの気持ちを知らないまま成立していた均衡だった。その均衡はもう戻らない。戻るのではなく、新しく作るのだ。お互いの気持ちを知ったうえでそれでも友人でいるという、前よりも少しだけ難しく、少しだけ深い関係を。
それは「戻る」ことではなく、「新しい場所に二人で行く」ことなのではないだろうか。

第三章の小さな結論──二つの関係を、同時に「描き直す」

この方が向き合っているのはひとつの関係ではなく、ふたつの関係だ。妻との関係と、幼なじみとの関係。ふたつは別々に処理できるように見えて、実は深いところでつながっている。

妻との関係においては、「自分の揺れを打ち明ける場」としての対話ではなく、「お互いの見えていなかった部分を並べていく場」としての対話を、生活の何気ない時間に滲ませていくこと。妻もまた、何かを抱えているかもしれないという想像力を持つこと。

幼なじみとの関係においては、「戻る」のではなく「新しく作る」こと。二人きりで会うのを当面やめる、告白の話を蒸し返さない、相手の人生を採点しない、期限を切らない、相手の気持ちを代わりに抱え込まない──この五つを、ゆっくり自分に課していくこと。

このふたつを同時に進めるには、たぶん一人では限界がくる場面がある。そのときは、夫婦カウンセリングでも個人カウンセリングでも、利用できる場所の力を借りていい。一人で背負い続けることが誠実なのではなく、適切に分散させることが長く関係を続けるための実用的な方法だ。

もし、この記事を読んでいる方の中に似たような揺れを抱えている方がいたら──揺れている自分を、まず責めないでほしい。揺れているということは、関係のどこかが見直しを必要としているサインだ。サインそのものに、罪はない。サインを無視することとサインに振り回されること、その両方を避ける道が、たぶんいちばん健やかな道だ。

三章を終えて──四人からの、短い言葉

アキ:三章にわたってこの方の物語に付き合わせてもらってさ、私は最後にこう言いたい。「揺れていい。揺れながら、考えていい。揺れているあいだに、誰かを傷つけないための工夫だけはしよう」。それがこの方への、私からの言葉です。

ケンゴ:私からはこう言いたい。「揺れることと、動かないことは別だ。揺れながらでいい、ほどく作業を進めること。ほどけた順に、小さく動くこと。それを半年で終わらせる必要はないが、一生先送りにすることもできない。今日、紙に一行書くことから始めてくれ」。

サキ:私からは──「ご自分をもう少し信頼してあげてください。半年悩んだということは、それだけ誰のことも軽く扱いたくなかったということです。その誠実さはちゃんと、これからの選択を支えてくれます」。

シオン:私からはひとつだけ。「人生は選ぶことの連続のように見えて、実は選ばなかったものとともにどう生きていくかの連続なのではないだろうか。選ばなかった道は、なかった道ではない。そこに小さな目印を残しながら、いまの道を丁寧に歩いていくこと。それで十分ではないだろうか」。

アキ:──以上、四人からの言葉でした。この方の半年が、これからの時間のなかで少しずつほどけていくことを心から願っています。

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