「昔のように感動できない」は心が麻痺したから?手間と時間を買い戻す新習慣

第二章 なくなったのは感動ではなく、手間だった

あのころ、写真を見るには面倒な手順がありました。

床屋の雑誌は自分では選べません。父の順番が終わるまでの三十分、そこにある一冊をめくるしかない。写真屋に現像を出せば、仕上がるまで一週間かかりました。取りに行って、袋を破って、二十四枚のうち十八枚が失敗だと知る。あの封を切るときの手の感じは、今でも指が覚えています。

今は面倒なことが一つもありません。バスの座席で親指を動かすだけで、世界じゅうの上手な人が撮った写真が途切れることなく出てきます。ありがたいことのはずなのに、私はそれをペットボトルのお茶を飲むみたいに消費しています。

よりみちナビゲーターの対話

ケンゴ:本題に入る。私の見立てでは、原因は三つある。順に説明したい。

一つめは、手間がなくなったことだ。かつて写真を見るには金を払い、店まで行き、紙の束を持ち帰る必要があった。この面倒は、無駄ではなかった。人は自分が払った手間の分だけ、その相手をよく見ようとする。七百円と往復三十分をかけて手に入れたページには、じっくり見る理由が最初から付いてくる。ところがただで無限に出てくるものに、人はその理由を持てない。飽きたら次があると、体が知っているからだ。

二つめは、入れ物がすべて同じになったこと。雑誌の見開きは紙の厚みも余白の広さも、その一枚のために選ばれていた。今あなたが見ている写真は大きさも形も同じ、光る長方形の中に押し込まれている。入れ物が全部同じなら、中身の差は伝わりにくくなる。滝も、猫も、他人の朝食も、同じ縦横比で流れていく。

三つめは、選んだ人間がいなくなったこと。雑誌には編集者がいた。何万枚から数十枚を選び、順番を決め、どの写真の隣に何を置くかを考える人間がいた。並び順そのものが、一つの主張だった。
今のあなたに写真を見せているのは、あなたに何かを伝えたい人間ではない。あなたが画面を見ている時間を長くするための仕組みだ。目的が違えば、届くものも違う。

アキ:言ってることは分かる。分かるけどケンゴさんの結論っていつも「仕組みを変えろ」でしょう。この人、朝から晩まで目を使い切って、帰りのバスでようやく指が動く状態だよ。その人に「手間を取り戻せ」って、また新しい宿題を出すことにならない。

ケンゴ:アキが言いたいことは分かる。休めば戻る、という話にしたいんだろう。

アキ:うん。だって鳥肌って体の反応だもん。寝不足で肩が石みたいに固まってて、目の奥が熱くなってる日、私は何を見ても何も感じない。でも三日ちゃんと眠ったあと、洗濯物を干してるときに空を見上げて泣きそうになったりする。写真の見方を直すより先に、体の状態だと思う。

ケンゴ:そこは譲る。順番として体が先だという主張には、根拠があると思う。ただ、私が気にしているのは五年後だ。体を休めて元気になっても、同じ環境に同じ姿勢で向き合えば、また同じ夜が戻ってくる。休息は今日を救う。しかし仕組みを放っておけば、この方は五年後に「自分はもう何も感じない人間になった」と結論を出してしまう。それは事実ではないのに、そう信じ込むことのほうが怖い。

アキ:……今日の自分を救わないと、五年後は来ないよ。

ケンゴ:来る。だから両方やる。それが私の答えだ。順番はアキに譲る。体が先だ。ただ、体が戻ったあとに何をするかまで決めておかないと、また同じところへ落ちる。

アキ:それなら、うん。乗る。

シオン:押し入れの上段に、お父様のカメラが七年入ったままだと書かれていた。捨てられてもいないし、売られてもいない。何も感じなくなったと言う人の家に、使われないまま置かれ続けているものがある。これは鈍った人のふるまいだろうか。

ケンゴ:……たしかに。私の三つの理屈で、その一行は説明できない。

アキ:ね。そういうところだよ。

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