第一章 褒め言葉の相場が、下がっている
「その『さすがですね』は、誰の口座に振り込まれているのか」
瀬戸内の港町で、船の部品の在庫を数えて二十年になります。四十三歳、独身、築四十年のアパートで一人暮らし。親戚付き合いはほとんどありませんが、そのぶん職場と町内の顔は濃い。回覧板を持って隣に行けば三十分は帰してもらえないし、月に一度は中学の同級生と、揚げ物ばかり出てくる店で飲みます。
それで最近、どうにも落ち着かないことがあるんです。褒められる回数が明らかに増えた。倉庫にフォークリフトの点検に来る若い担当者は、伝票を渡しただけで「いつも字がきれいで助かります、本当にすごいです」と言う。町内会の集まりで椅子を並べていたら、初めて会う人に「その気配り、ちょっと真似できないですよ」と言われる。
悪い気はしません。しないんですが、家に帰って冷蔵庫の前に立ったとき、ふっと味がしなくなる感じがある。昔はこういう言い方をするのは車を売りに来る人か、保険の人くらいだったように思うんです。私は世の中のことをよく知りません。この歳で恥ずかしいんですが、これは私の勘違いでしょうか。それとも、本当に何かが変わったんでしょうか。
よりみちナビゲーターの対話
サキ:まず、その「冷蔵庫の前で味がしなくなる感じ」。すごく正確な言い方をされていますね。褒められて嬉しかったはずなのに、家に帰ると何も残っていない。それは、受け取ったはずのものが手のひらになかった感覚だと思うんです。私も経験があります。ですよね、と言われ続けた打ち合わせのあと、何が決まったのか思い出せない。
アキ:わかるよ、それ。しかもさ、ご相談者さんが感じてるの、たぶん勘違いじゃないよ。私の周りだと、褒めるのって挨拶と同じ扱いになってる。「おはよう」の代わりに「今日の服いいですね」って言う。悪気はゼロなの。ただ、そこに中身があるかっていうと、正直ない日もある。
ケンゴ:私も勘違いだとは思わない。ただ、増えたのは褒め言葉そのものではなく、褒め言葉を使わざるを得ない場面だ。評価の目が増えたということだ。
アンケート、レビュー、面談記録。人と接するほぼすべての場面に、後から誰かが読む記録が付いて回るようになった。その環境では、まず相手を持ち上げるのが最も安全な手になる。
アキ:ケンゴさんの言うこともわかる。ただ私は、「安全だから褒めてる」って言い切られるとちょっと悲しいな。若い子が「字がきれいですね」って言うとき、本当にそう思ってる瞬間もあるんだよ。全部を戦略にしないでほしい。
ケンゴ:アキの指摘はもっともだ。私も本心が混じっていないとは言っていない。問題は、本心と処世術が同じ形の言葉で出てくることだ。だから受け取る側が、区別できなくなる。ご相談者が疲れているのは言葉の内容ではなく、その区別に毎回コストを払っている点にあると私は見ている。
サキ:ご相談者さんは「世間知らずだから」とご自身を責めておられますが、私はむしろ逆だと思っています。回覧板で三十分捕まる関係、二十年同じ倉庫で数を合わせてきた時間。
そういう場所では、言葉を使い捨てにできないんですよね。明日も明後日も顔を合わせるから。その耳で今の褒め言葉を聞けば、軽さに気づくのは当たり前です。世間を知らないのではなくて、別の相場を知っているということです。
シオン:相場、という言葉が出た。かつて塩や米が通貨だった土地があると聞いたことがある。価値は量ではなく、手に入れるまでの手間で決まっていたのかもしれない。二十年かけて誰かに認められた「すごい」と、三秒で差し出される「すごい」。同じ音でも、渡ってきた距離が違うのだろうか。





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