第四章:半年後の朝 ― 問いは、消えずに、かたちを変えていく
半年が経った。ハナは、まだ、いる。
春先に一度立ち上がれなくなった朝があって、私は仕事を休んで獣医に連れて行った。点滴を打ってもらい、夕方には少し回復した。それから一ヶ月、ハナは少しずつ、また歩けるようになった。獣医さんは「驚きました」と笑った。私も笑ったが、家に帰る車の中でなぜか泣いた。安心したのか、覚悟が一度空振りに終わったことが悲しかったのか、自分でもよくわからなかった。
あの頃と今と、私の暮らしはほとんど変わっていない。朝六時に起きて、ハナに餌をやり、コーヒーを淹れて自転車に乗る。出席簿を確認し、業者への支払いを処理する。
違うのは、夜の感触が少しだけ柔らかくなったことだ。「私は何のためにこの暮らしを続けているのだろう」という問いは、相変わらず訪れる。けれど訪れたあとに、すぐに眠れるようになった。
先日、職場の同僚に思いがけないことを頼まれた。校内に小さな花壇を作りたいので、放課後に手伝ってくれないか、と。私は反射的に「私、植物は得意じゃなくて」と断りかけて、口を閉じた。トマトを育てた一夏のことを、思い出したからだ。あれは「得意ではなかった」のではなく、「ひと夏、やった」ことだったと、サキさんという人が言っていた気がする。──いや、サキさんなんて人は私の知り合いにはいない。けれど、誰かにそう言われた気がした。
私は、「少しだけなら」と答えた。「少しだけ」という言葉が自分の口から出たことに、自分でも驚いていた。
四人の声 ― 半年後の景色を、どう読むか
アキ:これ、いい知らせだよね。ハナがまだいるっていうことも、そうなんだけど、それ以上に「少しだけなら」って言えたこと。これ、すごく大きいと思う。半年前のこの方なら、たぶん「私には無理です」で終わってた。
ケンゴ:同意する。ただし、私はここで安易に「成長した」とは言いたくない。この方は成長したのではなく、少し、自分の輪郭を見つけ直しただけだ。「植物が得意ではない」と「ひと夏、トマトを育てた」は、同じ事実の別の名前だ。同じ事実を別の名前で呼ぶようになっただけで、人はこれだけ動ける。
サキ:私、この方の文章でもう一つ気になったところがあるんですよ。「安心したのか、覚悟が空振りに終わったことが悲しかったのか、自分でもよくわからなかった」って。──これ、すごく正直な記述だと思って。普通なら「安心して泣いた」って書いて終わりにしちゃうじゃないですか。でもこの方は、自分の涙の理由を断定しなかった。
アキ:あー、それね。わかる。覚悟しちゃってた自分がちょっとはぐらかされたみたいな感覚、あるんだろうな。それを「悲しい」って言葉で表現できる人、少ないと思う。
ケンゴ:……ここは、慎重に話したい。「覚悟が空振りに終わったことが悲しい」という感情は、聞きようによっては、ハナの回復を喜んでいないように響く。だが、私はそうではないと思う。人は自分の心をある形に向けて、準備してしまう生き物だ。準備した形と現実の形が一致しないとき、安堵と同時にある種の喪失が訪れる。それは矛盾でも冷淡でもなく、ただ、人間の心の仕組みだ。
サキ:ケンゴさん、そう言ってもらえると私も少し、ほっとします。私自身母を看取ったときに、似たような感情を抱いてずっと自分を責めていた時期があったので。「悲しいはずなのに、どこかで終わったことに安堵している自分」を、許せなかったんですよ。
アキ:……サキさん、それ、初めて聞いた。
サキ:ええ。あまり人に話す機会のないことなので。でも、この方の文章を読んで思い出したんです。覚悟と現実のあいだに生まれる、あの名前のつかない感情のことを。
気づきのセクション ― 「少しだけなら」という、小さな扉
シオン:「少しだけなら」という言葉は、面白い言葉だ。それは引き受けでもあり、断りでもある。全面的に飛び込むのでもなく、完全に閉じるのでもなく、扉を少しだけ開けておくという動作。
この方が半年前にできなかったのは、たぶん扉の開け方を、極端にしか持っていなかったことだろう。閉めるか、全開にするか。全開にすれば、また「飽きる自分」「続かない自分」と向き合わなければならない。だから、最初から閉めていた。
「少しだけ」という開け方を覚えると、扉の向こうの景色が少しずつ入ってくる。全部入って来なくていい。少し風が通るくらいで、十分なのではないだろうか。
ケンゴ:シオンの「少しだけ」という観察は、的を射ている。私からもう一つ加えたい。「少しだけなら」という言葉は、自分への保険でもある。「少しだけだから、続かなくてもいい」「少しだけだから、飽きてもいい」。この保険があるからこそ、人は新しいものに手を伸ばせる。「ずっと続ける」を前提にすると、扉は重くなりすぎる。
アキ:うん、それすごくわかる。「ちゃんとやらなきゃ」って思った瞬間に、もう動けなくなるんだよね。「少しだけ」「とりあえず」「お試しで」――そういう軽い言葉のほうが、案外長く付き合える気がする。
本人に戻って ― 半年後の、この方へ
サキ:校内の花壇、楽しみですね。きっとトマトのときとは違うかたちで、植物との時間が流れると思いますよ。誰かと一緒に手を動かすって、一人で育てるのとはまた違う感触がありますから。
アキ:もし、また三ヶ月くらいで「もういいかな」って思っても、それでいいからね。三ヶ月分土に触ったこと、誰かと並んで作業したこと、それは消えないから。
ケンゴ:そしてもし、花壇の作業が思いのほか長く続いたとしても、それを「やりたいこと」と呼ぶ必要はない。「いま、やっていること」と呼べばいい。名前をつけずに、ただ続いている。それで十分だ。
シオン:ハナが、まだいる。それは明日も同じであるとは限らない。けれど今朝、爪を立てる音が聞こえたなら、それが今日のあなたが受け取ったいちばん確かなものだ。「やりたいことがない」という問いは、たぶんこれからも訪れる。訪れたらコーヒーを淹れて、しばらく一緒に座ればよい。問いも永遠に居座るほどには、無遠慮ではない。
本章の結論 ― 変化は、劇的ではなく、夜の感触のなかにある
ケンゴから:この方は半年で人生を変えたのではない。同じ事実を、別の名前で呼べるようになっただけだ。だが、それで十分に人は動き出す。劇的な変化を目指す必要はない。「呼び方を変える」という、内側の小さな作業から始めればよい。
アキから:「少しだけなら」って言える自分を、ちゃんと褒めてあげてほしい。これ、半年前のあなたなら口にできなかった言葉だよ。小さく見えるけど、ぜんぜん小さくない。
サキから:覚悟と現実のあいだに生まれる、名前のつかない感情を無理に整理しなくていいんですよ。「よくわからなかった」と書けたあなたはもう、自分の心と正直に付き合えています。
シオンから:問いは消えない。けれど問いとの距離は変えられる。半年前は、問いに追われていた。今は問いと並んで座れる。それが変化の正体だ。
編集長より ― 全四章を閉じるにあたって
本作は、「やりたいことがない」というご相談から出発し、第一章で問いの輪郭を描き、第二章で「続かない自分」という自己評価を語り直し、第三章で「やってきたこと」の重さに触れ、そして第四章で半年後の小さな変化にたどり着きました。
大きな解決は、ありません。この方は半年経っても、同じ職場で、同じ犬と、同じコーヒーを飲んでいます。変わったのは夜の感触と、「少しだけなら」と言えるようになった口元の動き、その二つだけです。けれど私たちは、それで十分だと考えています。人生は劇的に変わるためにあるのではなく、夜の感触が少しだけ柔らかくなるために続いていくものだから。
四人の声が読者のどなたかの夜に少しだけ届いていたなら、編集部としてこれ以上の喜びはありません。



コメント