あの子が最後に教えてくれた、休むということ
火葬の日、私は結局、有休を取った。課長には「私用で一日いただきます」とだけ伝えた。渋った先輩には、あれ以上何も説明しなかった。
悔しさが消えたわけではない。ただ、その日の昼、小さな骨を拾いながら私は不思議と静かな気持ちになっていた。会社で誰にどう思われたかより、この子をちゃんと見送れたことのほうが、何倍も大きかったからだ。帰り道、少しだけ考えた。私はあの朝、正直に理由を言って、渋られて、傷ついた。でも本当に欲しかったのは休みの許可でも、正しさの証明でもなかったのかもしれない。ただ、「十六年、ありがとう」と言える一日が欲しかった。それだけだった。そのことに気づいたら、先輩への怒りが少しだけ遠くなった気がした。
よりみちナビゲーターの対話
サキ:私、この最後の「本当に欲しかったのは休みの許可でも正しさの証明でもなかった」ってところで、胸がいっぱいになりました。三章かけて、この方は自分でここまで辿り着いたんですよね。私たちが何かを教えたんじゃない。あなたが骨を拾いながら、自分で見つけたんです。
アキ:うん。しかもさ、怒りが「消えた」んじゃなくて「遠くなった」って書いてるのがいいんだよね。無理に許してないの。悔しいものは悔しいまま、でもそれより大事なものがちゃんと真ん中にある。これってめちゃくちゃ健やかな終わり方だと思う。
ケンゴ:私も同意する。一点だけ、実務的な補足を残しておきたい。今回のことで、あなたの職場に「ペットの喪失に理解のない空気」があると分かった。これは今後のために、静かに記録しておく価値がある。感情の問題としてではなく、次に同じことがあったときの備えとして、だ。就業規則に慶弔休暇の規定がどうなっているか、一度目を通しておくといい。
アキ:ケンゴ、そういうとこ抜かりないね。
ケンゴ:備えがあれば、次は傷つく前に権利で守れる。それが悲しみを大事にするための土台になる。
サキ:ケンゴさんの言う備えも、本当に大切だと思います。その上で、私は最後に一つだけ。あなたは「休む理由になるかならないか」で悩んでいましたよね。でも今回、あなたは休んで、見送って、そして今こうして少し落ち着いている。だとしたら答えはもう、出ているんです。それは休むべき一日だった。あなたの体と心が、そう証明してくれました。
シオン:……皆の話を、少し離れたところで聞いていた。一つだけ、置いていこう。あなたは「休む理由になるか」と問うた。だが、生き物を見送るというのは理由ではなく、時間そのものではないだろうか。十六年という時間が終わる。その終わりに立ち会うために、一日を差し出す。世間が何と呼ぼうと、あなたの中でそれは仕事や銀行と並ぶ「用事」ではなく、もっと古い、命の作法だったのかもしれない。渋った人はその作法を知らなかっただけだ。あなたは知っていた。それだけのことだ。
自分に問いかけるロードマップ
- 私が本当に欲しかったのは「許可」だったのか。それとも「十六年、ありがとう」と言える時間だったのか。今ならどちらだと答えられるだろうか。
- 怒りを「消す」必要はない。悔しさを抱えたまま、それでも大事なものを真ん中に置く——その状態を、私は自分に許せているだろうか。
- 次に同じ場面が来たとき、私は傷つく前に自分を守れるように、何を準備しておけるだろうか。
本日の羅針盤
三章を通してあなたの問いは、少しずつ形を変えてきました。最初は「ペットの葬儀は休む理由にならないのか」という、正しさをめぐる問いでした。それが「素直に言った自分が悪かったのか」という後悔になり、最後に「本当に欲しかったのは、ありがとうと言える一日だった」という気づきに辿り着きました。
答えを一つに束ねる必要はありません。
制度の面で、あなたは正しかった。ケンゴの言う通り、次のために就業規則を確認しておくのが賢明です。
心の面ではサキの言う通り、あなたが休んで見送れて今落ち着いていること、それ自体が「休むべき一日だった」という何よりの証明です。
そしてシオンの言う通り——それは理由の要る「用事」ではなく、命の終わりに立ち会うという、もっと静かな作法だったのかもしれません。
渋った先輩を無理に許さなくていい。でもあなた自身のことだけは、どうか許してあげてください。正直に理由を語ったあなたも、静かに見送ったあなたも、何ひとつ間違っていませんでした。
十六年、ありがとう。その言葉を言えた一日を過ごせたなら、あの朝の三分間の悔しさは、もう役目を終えていいのだと思います。
大切な存在を失った悲しみが長く続き、日常生活に支障が出るようなときは、ペットロスに理解のあるカウンセラーや心療内科など、専門機関への相談もご検討ください。悲しみを一人で抱え込まないことも、大切な子への弔いのかたちです。




コメント