人と比べて苦しい夜に。「武装したまま」会いに行ってもいい理由

第三章:比較する自分を、責めるのをやめる

第二章を読み終えて、私はノートを一冊開いた。生活動線の中の五人を書き出してみるというあの問いを、実際にやってみたかったからだ。

書き出してみると、意外と書けた。コンビニの夜勤の店員さん。職場の派遣仲間で、たまにロッカーで挨拶を交わす女性。美容院の担当さん。実家の近所の、回覧板を持ってきてくれるおばさん。あと一人――数年前に辞めた前職の同僚で、いまだに年賀状だけは続いている人。

五人、書けた。書けたけれど、ノートを閉じたあと私はやっぱり、スマホのインスタグラムを開いてしまった。

大学時代の友人が、子どもの七五三の写真をあげている。別の友人は、夫婦で京都旅行に行っている。さらに別の子は、転職して年収が上がったらしい投稿をしている。

――どうして私はこうじゃないんだろう。

「呼吸で測る」と決めたばかりなのに、もう浅くなっている。

よりみちナビゲーターの対話

アキ:……うん。これ、すっごく分かる。私もね、SNS見るのやめようって何回も決意して、何回も失敗してる。

サキ:はい。

アキ:でね、今日はちょっと踏み込んだ話をしたいんだ。比較して苦しくなる自分のことを、この方ずっと「歪んでる」「性格が悪い」って責めてるじゃん。でも私、それは違うって思ってて。

サキ:と、いうと。

アキ:比較って、人間の機能なんだよ。脳の仕組みとして、私たちは他者と自分を比べることで、自分の位置を確認するようにできてる。だから比較しちゃうこと自体は、足が二本あるのと同じくらい当たり前のこと。問題は「比較したあと、どう処理するか」なんだ。

サキ:……ええ、それはその通りだと思います。ただ、私はここでひとつ違う角度から言いたいことがあって。

アキ:お、なに。

サキ:比較が人間の機能だというのは、本当にそうなんです。でも、「インスタグラムを見て比較する」というのは人間の機能ではなくて、アプリの設計なんですよ。

アキ:……あ。

サキ:あれは人が一番見栄えのする瞬間だけを切り取って、二十四時間流し続けるように作られています。七五三の写真、京都旅行、転職成功。どれもその人の人生の「ハレ」の一瞬であって、その人の毎日ではないんです。でも、私たちは流れてくる順に見るから、まるで友人の人生がずっとそういう連続だと錯覚してしまう。

アキ:それ、ほんとそう。

サキ:私が言いたいのはね、この方が比較で苦しんでいるのは性格が歪んでいるからじゃなくて、比較対象の「データの取り方」が、最初から偏っているからなんです。十人の友人の人生のうち、ハレの瞬間だけを抜き出して自分の毎日と並べたら、誰だって負ける。それは性格の問題ではなく、計算の前提が間違っているという話なんですよ。

アキ:……サキさん、今日それ、いい話だわ。

サキ:(少し笑って)ありがとうございます。

アキ:でね、ここから私もうひとつだけ重ねたいんだ。サキさんの言ってること、計算の話としては完璧。でも、頭で分かっても夜にスマホ開いちゃうんだよね。分かってるのに、止められない。

サキ:……はい。

アキ:だから私、「見ない」じゃなくて「見たあと、どう自分に戻るか」のほうが現実的だと思ってて。たとえば、インスタ見て胸がチクッとしたら、すぐにスマホを置いてコップに水を一杯入れて飲む。それだけでいい。「あ、いま私、比較して傷ついたな。お疲れさま」って自分に声をかける。責めるんじゃなくて、ねぎらう。

サキ:ねぎらうというのはいい言葉ですね。

アキ:比較しちゃう自分を「ダメだ」って責めるのが一番きついの。比較しちゃった、傷ついた、そんな自分のことを「気にしすぎ」「弱い」って二段階で殴る。これがほんとしんどい。だから、二段階目の殴りをまずやめる。

サキ:……第一章でシオンさんが言っていた、「自分を裁く法廷を休廷にする」という話とつながっていますね。

アキ:そうそう。あれ、私もすごく残ってた。

シオン:……お二人の話を聞きながら、ひとつ思っていたことがある。

この方は相談文の中で、こう書いていらした。「相手から何かを学ぶような考え方はできるのでしょうか」と。

私はこの一文に希望を見ている。

比較して苦しい、というところで終わらず、「学ぶ、という方向に向きを変えられないだろうか」とご自分で問うていらっしゃる。これはすでに半分、答えに手をかけている問いだ。

ただ、「学ぶ」というのはすぐにできることではない。比較の痛みが残っているうちは、学ぼうとしても学びは入ってこない。痛みのある場所には、新しいものは入る隙間がないのだ。

だから、順番がある。まず、痛みをねぎらう。ねぎらって痛みが少し落ち着いてから、ようやく「あの人のあの部分、いいな」「あの人のあの選択、自分にも取り入れられるかもしれない」という余白が生まれる。

学びは傷の上には咲かない。傷が癒えたその隣の土から、ゆっくり生えてくるものだ。

自分に問いかけるロードマップ(比較との付き合い方)

比較で苦しくなったときの、具体的な手順を置いておきます。

第一段階:気づく

  • スマホを置いて、自分の呼吸を一度確認する。浅くなっていたら、「あ、今、比較で傷ついたな」と、ただ気づく。

第二段階:ねぎらう

  • 「気にしすぎ」「弱い」と二段階目の殴りをしない。「傷ついたな、お疲れさま」と、自分に短く声をかける。コップ一杯の水を飲むのも有効。

第三段階:データを疑う

  • 見ていたものがその人の人生の「ハレ」の一瞬だったことを思い出す。「あの子の毎日が、ずっとあの写真みたいなわけじゃない」と、計算の前提を整える。

第四段階:余白ができてから、学ぶ

  • 数時間後、あるいは翌日、痛みが落ち着いてからようやく「あの人のあの部分、いいな」と振り返ってみる。痛みのあるうちに無理に学ぼうとしない。

そして、最後にもうひとつだけ。

  • 今夜、五人の名を書き出したノートを、もう一度開いてみてください。インスタグラムの中の遠い友人たちと、ノートに書いた五人。どちらがあなたの「実際の生活」に触れている人たちでしょうか。

本日の羅針盤

三章を通じて、私たちは三つの言葉を残しました。

第一章――「武装したまま、行っていい」「親友を急がない」「自分を裁く法廷を休廷に」
第二章――「人間関係を、呼吸で測る」
第三章――「比較は機能、責めるのは選択。比較したあとの自分をねぎらう」

これらの言葉は、即効性のある処方箋ではありません。読んだ翌日、人付き合いが怖くなくなるということもないでしょう。でも、半年後、一年後、ふと旧友のLINEに返事をするとき、あるいは新しい誰かと出会うとき、この言葉のうちのひとつがふっと胸の奥で立ち上がる瞬間が、来るかもしれません。

相談者の方は、こう書いていらっしゃいました。「孤独はつらいですが、人と関わるのも怖いです」。

この二つの感情は、矛盾していません。両方とも本物です。両方を抱えたまま、どちらかを無理に消そうとしないでください。孤独を抱えたまま、人と関わる怖さを抱えたまま、それでも生活動線の中の五人に、ほんの一行「ありがとうございます」を伝えてみる。そのくらい小さな一歩からで十分です。

最後にもう一度だけお伝えします。もし、人と比較したあとの落ち込みが何日も続いたり、外出そのものが困難になったり、眠れない夜が増えてきたら――それは「気の持ちよう」ではなく、心が休息を必要としているサインです。心療内科やカウンセリング、自治体の相談窓口など、専門機関の扉をどうか軽く叩いてみてください。あなたが一人で抱え込まなくていいことを、専門家は知っています。

あなたの羅針盤はもう、あなたの手の中にあります。針が揺れてもそれは壊れているのではなく、ただ、あなたが正直に生きている証拠です。

「感情の羅針盤」編集部より、心を込めて。

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