【エピローグ】「美味しいね」の前に、私たちが交わした小さな微笑み
金曜日の夜。私たちは以前なら間違いなく避けていたであろう、少し賑やかなスパイスカレーの専門店にいた。
選んだのは、厨房に向かって横並びに座る小さなカウンター席。すぐ目の前でナンが焼き上がるパチパチという音と、鼻腔をくすぐるクミンの甘い香りが、私たちの間に心地よく満ちている。向かい合わない。ただそれだけのことで、肩の力が驚くほど抜けていくのが分かった。
「……実はさ」と、私は運ばれてきたラッシーのグラスを見つめたまま、小さな声で切り出した。「今まで外で二人きりでご飯食べるとき、なんか勝手に緊張しちゃってたんだよね。楽しませなきゃ、って空回りして」
隣に座る彼女の手が、一瞬止まった。嫌な沈黙が流れるかと思い、私は思わず身を固くした。けれど彼女はふっと小さく吹き出すと、私の肩にトントンと自分の肩をぶつけてきたのだ。
「なんだ、やっぱり? 私もあなたがなんだか硬い顔してるから、嫌われちゃったのかなってムスッとしてたの。お互い様だったね」横顔の彼女は出会った頃と同じ、とても柔らかい笑顔を浮かべていた。互いの醜さを映し出す鏡だと思っていた場所は、ただお互いを大切に想うがゆえに迷子になっていた二人の、不器用な姿を映していただけだったのだ。
「あ、カレー来たよ。熱いうちに食べよ!」
並んでスプーンを動かしながら、「辛いね」「でも美味しいね」と言葉が弾む。視線は交わさなくても私たちの心は、確かにこれまでで一番近い場所に寄り添っていた。
アキ:あぁ……もう、本当に良かった……! 読んでいて涙が出そうになっちゃった。横並びで肩を「トントン」って合わせる瞬間、二人の間の見えない壁がシュワって溶けていくのが見えた気がするよ。気まずさを隠さずに言葉にできた相談者さんも、それを笑って受け止めた彼女も、どっちも本当にかっこいいし、愛おしいね。
ケンゴ:空間の構造を変更し、さらに『自己開示』という心理的コストを支払うことで、関係性のシステムが見事に再起動したな。外食というパブリックな場でありながら、カウンターという物理的配置が二人だけのプライベートな領域を守る壁になった。実に見事な戦略的勝利だ。……今夜は古いジャズでも聴きながら、私も少し良いウイスキーを空けたくなったよ。
シオン:美しい結びですね。鏡の向こうにいたのは恐れるべき影ではなく、自分と同じ温もりを持った愛しい人でした。視線をほどいたからこそ、本当に手を繋ぎ合うことができた。特定の場所で仲良くできないという経験は、二人が『形を変えながら愛し合っていく』ための豊かな通過点だったのでしょう。どうぞ、その並んで歩く歩幅を、これからも大切になさってください。
エピローグの結び:
恋人たちの数だけ、得意な景色と少し苦手な場所があります。けれど苦手な場所を知ることは、二人の絆をさらに深く、優しく編み直すチャンス。向かい合うのをやめて同じ景色を見つめたとき、世界はいつでも新しい優しさで、二人を迎え入れてくれるはずです。



コメント