手取り14万・対人不安で限界。20代男性が「正社員に向いていない」と感じた夜の処方箋

第二章:革靴の底が減るまでに、できること

求人サイトを開くたびに、似たような言葉が並ぶ。「未経験歓迎」「アットホームな職場」「やりがいのある仕事」。画面をスクロールしていると、文字が滲んで見えてくる夜がある。

辞める勇気もない。続ける確信もない。そのあいだで私はただ、明日のシフトの時間を確認している。

よりみちナビゲーターの対話

ケンゴ:第一章で私は、「動きながら材料を集める」と言った。今日はその中身を、もう少しほどいて話したい。あなたが直面しているのは、実は「辞めるか続けるか」という二択ではない。本当の問いは「次の一歩を、何の情報を持ったうえで踏み出すか」だ。情報を持たないまま辞めれば、おっしゃる通りいまより悪い職場に当たる確率は上がる。情報を持たないまま続ければ、薬の量が増えていく可能性がある。どちらも避けたい。

サキ:ケンゴさんの「情報を持ったうえで」という言葉、私もそこに賛成します。ただ、情報って求人票の文字情報だけじゃないんですよね。ご自分の体が出している情報も立派な情報で。たとえば、日曜の夜にどれくらい憂鬱になるか。シフト表を見たときに、どの日付に視線が止まるか。そういう、生活のなかの小さな反応も、データとして書き留めておいていいと思うんです。

ケンゴ:それは認める。私が言う「市場情報」と、サキさんの言う「身体情報」は両輪だ。片方だけでは判断を誤る。──そのうえで、市場側の動き方を三つに分けて話したい。

一つ目。転職エージェントに登録だけしておく。これは「辞めるための行動」ではなく、「自分の市場価値と、世の中にある選択肢を可視化するための行動」だ。
フロント経験七か月は、接客・宿泊業界では十分に説明可能な経験で、ホテル業界の中規模事業者やBPO(業務委託)系の事務職、コールセンター以外のバックオフィス職など、声がかかる先は思っているより広い。動かなくても、情報だけ入ってくる状態を作る。

二つ目。いまの職場の「未払い賃金」について、記録を取る。タイムカードのコピー、シフト表、買い出しや呼び出しの時刻メモ、給与明細。
これは辞める辞めないと関係なく、自分の労働を自分で証拠化しておくという、極めて事務的な作業だ。仮に何年か後に辞めることになっても、この記録は遡って請求できる可能性がある(賃金請求権の時効は、現行法では原則三年だ)。感情の問題ではなく、手続きの問題として扱う。

三つ目。Amazon倉庫的な働き方を「正規雇用」で実現できる場所を、探してみる。あなたは「単純作業中心の働き方が合っている」と感じておられるが、それは必ずしも非正規でしかできないことではない。製造業の検査・梱包・物流系の正社員、データ入力中心の事務職、図書館や倉庫の管理職など、対人突発対応が少なく、手順が明確な正社員職は存在する。給与水準は決して高くはないが、いまの十四万円台と比較してどうかは調べてみる価値がある。

サキ:ケンゴさんの三つ、現実的でいいと思います。私から一つだけ足させてください。──主治医の先生に、いまの職場環境のことを一度きちんと話してみてほしいんです。「薬がないと業務遂行が厳しい」という状態はすでに先生もご存じだとは思いますが、「中抜け休憩中も呼び出される」「残業代が出ていない」「教育体制が曖昧」といった具体的な労働環境を、医療者の立場から見てどう評価されるか、聞いてみる価値があります。診断書が必要な場面が出てきたとき、その積み重ねが効いてきます。

ケンゴ:サキさんの指摘は重要だ。私は構造の話ばかりしてしまうが、医療と労働は接続している。診療の記録は、休職にせよ転職にせよ、自分を守る側の材料になる。

サキ:ありがとうございます。それからもう一つ。ご家族やご友人に、いまの状況をどこまで話せているかということも気になっていて。
「相手に合わせたキャラを演じている」という疲労感は、職場だけじゃなく、ご自分の素の輪郭を出せる相手が日常にいるかどうかにも関わってくると思うんです。一人で過ごす時間が満ち足りているタイプというのは、ご自分でも書かれていてそれ自体は何も悪いことじゃない。ただ、「判断に迷っている時期」だけは誰か一人、状況を共有できる人がいると決定の質が変わります。

シオン:……一つだけ、横から。あなたが「許されるなら一生この仕事でもいい」と感じた倉庫の日々を、私は「逃げ場所の記憶」とは捉えていない。それはあなたが自分の体と折り合えていた時間の記憶だ。人は自分の体と折り合えていた時間を、軽く扱ってはいけない。「向いていない正社員から逃げた過去」ではなく「自分の働き方の原型」として、これからの選択の基準に置いていい。

自分に問いかけるロードマップ

新しい週を迎えたら、できそうなことを一つ選んでみてください。

  • 転職エージェントに一社、登録だけしてみる(実際に動くかは後で決める)
  • シフト表と給与明細をコピー、または写真で残し始める
  • 中抜け休憩中の呼び出しや買い出しの時刻を、スマートフォンのメモに記録する
  • 次回の通院時に、職場環境の具体的なことを主治医に話してみる
  • 「対人突発対応が少ない正社員職」というキーワードで、求人を三件だけ眺めてみる
  • 一人でいい。家族でも昔の友人でも、いまの状況を話せる相手を一人、思い浮かべる

すべてやる必要はありません。一つでも動けば、それは「辞めるか続けるか」の二択から抜け出したことになります。

本日の羅針盤

ケンゴは「情報を持って動け、未払い賃金の記録を取れ、単純作業型の正社員職を探してみよ」と具体策を示しました。
サキは「身体の反応も情報だ。主治医と労働環境の話を共有してほしい。状況を話せる相手を一人持ってほしい」と、生活と医療の側から補いました。
シオンは「倉庫の日々は逃げ場所ではなく、あなたの働き方の原型だ」と、過去の意味づけを置き直しました。

あなたの問いは「正社員に向いているかどうか」ではなく、おそらくこうです。「自分の輪郭を保てる働き方は、どこにあるのか。そしてそこにたどり着くまでに、いまの自分をどう守るのか」。

辞める決断も続ける決断も、いますぐ下す必要はありません。下すべきは「今日、一つだけ手を動かす」という小さな決断です。革靴の底は、毎日少しずつ減ります。あなたの七か月も無駄に減ったわけではありません。減ったぶんだけ、あなたは自分の働き方について確かなことを知り始めています。

なお、未払い賃金の請求や労働条件に関する具体的なご相談は、各都道府県労働局の「総合労働相談コーナー」で無料・匿名で相談可能です。心身の不調が続く場合は、引き続き主治医にご相談ください。一人で抱え込まれず、必要に応じて専門機関の力を借りていただければと思います。

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