エピローグ 玄能で、私の頭も打たれた
休日の午後、私は思い切って本物の寄席に足を運んだ。配信ではなく、木の匂いのする客席に、他人と肩を並べて座った。演目は『子別れ』だ。相変わらず間の妙も、通の笑いどころも、私にはよく分からなかった。
ところが後半、酒でしくじった大工の父と、はぐれた息子の亀吉が偶然に再会する場面で、私の身体は勝手に動き出す。
亀吉が言うのだ。「おっ母はね、お父うは死んだって言うんだ。でも友達から『お前の親父は生きてて、腕のいい大工だ』って聞いた時、おいら嬉しくてさ……。でも、おっ母が『お父うは死んだ』って言うたびに、玄能で頭をぶったたかれたみたいに痛かったんだい!」
──その一言で、私の目から涙が止まらなくなった。隣の客に気づかれぬよう、私は顔を伏せた。十年前に別れた妻。あのとき置いてきた、まだ小さかった子ども。
会うことも許されず、今ではどんな顔をしているかも知らないあの子の声が亀吉の声に重なる。効くとか効かないとか、そんなことはもう、頭のどこにもなかった。
よりみちナビゲーターの対話
アキ:……私、なんて言えばいいか、うまく言葉にならない。この方、ずっと「わからない、面白くない」って言ってた落語で、こんなに泣いたんだよね。笑いどころは分からなくても、玄能で頭を打たれた亀吉の痛みはまっすぐ届いた。それってこの方の中にずっとあった、言えなかった痛みだったんだと思う。
ケンゴ:これまでの三章で自分が言ってきたことを、根本から考え直している。私は「効能への読み替え」を批判し、「自分の物差しで測れ」と言った。だが──この方が寄席で受け取ったものは、物差しで測れるものではなかった。効くから聞くのでもない。わかるから泣いたのでもない。ただ亀吉の一言が、この方が十年間しまい込んでいた場所にまっすぐ触れた。私の論はたぶん、ここには届いていなかった。
アキ:ケンゴさんがそう言うんだ。
ケンゴ:言う。事実だからだ。芸というのはこういうことなのだと、私は初めて理解した気がする。この方は落語を「わかろう」としていた。だが本当は、落語のほうがこの方の一番柔らかいところをわかっていたのだ。
シオン:ところで──いや、今日戻すべき場所はもうない。ご本人がご自分の一番深いところへ、ちゃんと帰り着かれたのだから。亀吉が父に会えたように、この方も涙のなかで、置いてきたお子さんに会えたのかもしれない。落語は脳に効くものではない。心のずっと閉じていた戸を、玄能でこつんと叩いて開けるものだ。それだけのことだったのだ。
自分に問いかけるロードマップ
- 私が「わからない、面白くない」と思っていたものは、本当にわからなかったのだろうか。それともわかってしまうのが怖かったのだろうか。
- あの涙は、亀吉のためのものだったのか、それとも十年間泣けなかった、私自身のためのものだったのか。
- 会えなくなったあの子に、私はいつか、どんな言葉で「生きているよ」と伝えられるだろう。
本日の羅針盤
長い航海でした。
第一章でこの方は、「効くらしいから聞くが、面白くない」と、他人の伝聞に付き合わされていました。
第二章で、他人の充足を物差しにしていた自分に気づき、第三章で、効かせるのをやめて日曜を自分の手に取り戻しました。
そしてエピローグで、この方はついに「効く/効かない」の外側へ出て、一人の生活者として、本物の芸の前で泣きました。
ケンゴは、自分の論が届かなかったことを認めました。芸とは物差しで測るものではなく、こちらの一番柔らかい場所を先に知っている何かなのだ、と。
アキは、笑いどころは分からなくても痛みはまっすぐ届いたことに、この方の隠された傷を見ました。
シオンは、閉じていた心の戸が玄能でこつんと開いた、その一点に静かな決着を置きました。
落語が脳に効くのかどうか、その問いはもうどこにもありません。あなたはただ、寄席の暗がりで置いてきた誰かに会いに行き、そして泣いた。それは効能ではありません。救いに近い何かです。
もしその涙のあとで、会えない誰かへの思いが胸を締めつけて苦しい日が続くようであれば、一人で抱えず心療内科やカウンセリング、あるいは家族関係の相談窓口など、専門機関への相談もご検討ください。泣けたということは、閉じていた戸が開いたということです。開いた戸の先を歩くのに手を借りることは、少しも弱さではありません。
――『感情の羅針盤』本日の航海は、これにて。どうか、良い休日を。




コメント