「人に避けられている気がする」そんな自分を責めるのをやめる4つの方法

私のどこかが、誰かを不快にさせているんだ

私は北関東のとある町で一人暮らしをしている、四十代前半のパート勤めの女性です。週四日、車で十五分ほどの郊外型ホームセンターで、園芸用品の品出しをしています。

最近、ずっと胸の奥に引っかかっていることがあります。それは人と目が合わない、ということです。

たとえば先週の火曜日、休憩室で同僚の若い女の子と一緒になりました。私が「お疲れさま」と声をかけると、彼女はスマホから目を上げずに小さく頷いただけでした。べつにそれだけなら、よくあることだと思います。でも、私が冷蔵庫からお茶を取り出して座ろうとした瞬間、彼女は急にカバンを掴んで立ち上がり、「ちょっと外で食べてきます」と言って出ていきました。窓の外は十一月の冷たい雨でした。

こういうことが最近、立て続けに起きるんです。スーパーのレジで、店員さんがお釣りを渡す手だけ伸ばして顔を見てくれない。アパートの隣の部屋の人が、私が玄関を開ける音を聞くと自分の部屋に逃げ込むようにドアを閉める。商店街の歩道ですれ違う人が、すっと目を逸らしていく。

気のせいだと、何度も自分に言い聞かせました。考えすぎだよ、被害妄想だよ、と。でも、夜に台所で一人、温め直したお味噌汁を飲んでいると、ふと思うんです。私、何かまずいことをしているのかな。臭うのかな。顔つきが怖いのかな。声が大きいのかな。

原因が分からないから、結局、全部自分のせいにしてしまう。私のどこかが誰かを不快にさせているんだ、と。そうやって自分を責め続けて、気づくと深夜の二時で、明日の早番に間に合うかなと天井を見ています。

もう、自分を責めるのをやめたいんです。でも、やめ方が分からないんです。

アキとシオンの、普段着のおしゃべり

アキ:読ませてもらってまず最初に思ったのはね、「ああ、この人、ずっと一人で抱えてきたんだな」ってことだったよ。だってさ、こういうことって誰かに話そうとしても、話すこと自体が難しいよね。
「人に避けられてる気がする」って言葉にした瞬間に、相手の顔が「え……」ってなるのがもう想像できちゃうから。

シオン:そうですね。言葉にすることで、より孤立が深まる種類の痛みというものがある。誰にも見せられない感覚を一人で何度も検証して、また一人で結論を出して。その繰り返しは、思っている以上に消耗するのではないだろうか。

アキ:うん。しかもさ、この方が書いてくれてる場面、めちゃくちゃ具体的なんだよね。休憩室で同僚がカバン掴んで出ていった瞬間とか、隣の人がドアを閉める音とか。これ、想像で言ってるんじゃなくて、本当に起きてることだと思う。だから「気のせいだよ」って軽く言いたくないんだ、私は。

シオン:同意します。事実として、目が合わない場面があった。それは出発点として認めていい。問題はそこから先、「だから自分に原因がある」という結論まで一気に飛んでしまう、その距離の縮め方にあるのかもしれない。

気づきのセクション──「原因探し」という名の自己攻撃

アキ:ここ、すごく大事なところだと思うんだけど。私たちって何か嫌なことが起きると、つい「原因は何だろう」って探しちゃうじゃない? それ自体は悪いことじゃないんだよ。むしろ賢い反応。でもね、その「原因探し」がいつの間にか、「自分の欠点探し」にすり替わっちゃうことがあるんだ。

アキ:「臭うのかな」「顔つきが怖いのかな」「声が大きいのかな」──これ全部、自分を採点してる言葉なんだよね。検索エンジンに「私の悪いところ」って打ち込んで、ヒットしたものを片っ端から自分に貼り付けてる感じ。でも、相手が目を逸らした本当の理由なんて相手にしか分からない。スマホの通知が気になっただけかもしれないし、その日たまたま生理痛がひどかっただけかもしれない。同僚の女の子だって、もしかしたら職場の別のことで気まずさを抱えていて、誰とも目を合わせたくなかったのかもしれないよ。

シオン:人の行動の理由は、本人にすら分からないことがある。ましてそれを外から見ているだけの私たちが、正確に言い当てられるはずもない。にもかかわらず、「相手の行動の原因は自分にある」と結論づけるとき、私たちは無意識のうちに自分を世界の中心に置いてしまっているのかもしれない。それは傲慢という意味ではなく、痛みの中で視野が狭くなる、人間として自然な反応として。

アキ:あ、それ、すごく分かる。自分を責めてるときって、一見「自分を低く見てる」ように思えるけど、実は「私が全部の原因だ」って世界の主役になっちゃってるんだよね。逆説的だけど。

シオン:その通り。だからこそ、自己批判を手放す第一歩は、「私のせいかもしれないし、そうじゃないかもしれない」という揺らぎを許すことから始まるのではないだろうか。白でも黒でもなく、灰色のまましばらく置いておく。その耐久力こそが、本当の意味での自分への優しさかもしれない。

もう一つ、伝えておきたいこと

アキ:それとね、「人に避けられている感覚」がずっと続いていて、夜眠れなかったり、食欲が落ちたり、外に出るのがしんどくなってきているなら、心療内科や、地域の保健センターの相談窓口に話してみることも選択肢の一つとして持っていてほしいんだ。

アキ:これは「あなたがおかしい」って言ってるんじゃ全然ないよ。むしろ逆。一人で長く抱えると、感覚って疲れちゃうの。誰かに整理してもらうだけで、ふっと軽くなることがある。歯医者に行くのと同じくらい、軽い気持ちで使っていい場所だから。

本日の結論

「私が原因かもしれない」という考えは一見、謙虚で誠実な自己反省に見える。けれどそれを四六時中続けることは、自分を裁判にかけ続けることに等しい。被告も、検事も、裁判官も、全部自分。これでは無罪判決が出るはずがない。

自己批判を止める方法は、「自分を責めない技術」を磨くことではない。「分からないことを、分からないまま置いておく」練習をすることです。相手が目を逸らした理由は分からない。それでいい。分からないものを、無理に自分のせいに変換しないこと。それが今夜から始められる、一番優しい一歩だと思う。

※本記事は、日常の悩みに寄り添う読み物であり、医療的・心理学的診断を行うものではありません。心身の不調が続く場合は、医療機関や公的相談窓口へのご相談をご検討ください。

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