「妻がいちばん」と言えない夜に──十年来の幼なじみと、結婚三年目のあいだで揺れる心の整理術

軽自動車の助手席の匂い

私は地方都市で小さな設計事務所を営んでいる、三十代半ばの男だ。妻と二人暮らしで、子どもはまだいない。結婚して、もうすぐ三年になる。

幼なじみがいる。中学の頃からだから、もう二十年近い付き合いになる彼女のことだ。実家が三軒隣で、田んぼの脇の道を一緒に自転車で走った時間が、私の十代のほとんどを占めている。高校生のとき、ほんの一瞬、彼女のことを「そういう目」で見てしまった時期もあった。けれど共通の友人があまりに多すぎて、その一線を越える勇気はどこにも湧かなかった。

大学で別々の県に出て、戻ってきてからまた近所に住むようになった。週末になると、なんとなく彼女の運転する軽自動車の助手席に乗って、隣町の喫茶店までモーニングを食べに行く。そんな関係がずっと続いていた。自分の気持ちにようやく気づいたのは、もう三十が見えてきた頃だ。けれどそのときには、彼女のとなりに別の男がいた。

諦めた。私は諦めるのが、たぶん人より少しだけ得意だ。それから半年もしないうちに、職場の取引先で今の妻と出会い、四年付き合って結婚した。妻は穏やかで、私の図面の話を「よくわからないけど好きだよ」と笑って聞いてくれる人だ。彼女とは住んでいる世界がまるで違う。実家がお寺で、私はまったくの無宗教。それも当時の私が、「やっぱり違うな」と自分に言い聞かせた理由のひとつだった。

結婚式が終わって、半年ほど経った夜のことだ。「もう人妻なんだから、伝えても何も起きない」と思って、彼女に昔の気持ちを打ち明けた。スッキリしたかったのだと思う。けれど彼女は、しばらく黙ったあとでこう言った。「あんたが結婚するって聞いたとき、自分でもびっくりするくらい泣いた。あんたみたいな人、たぶんこれから先も出てこない」と。

それから半年、私たちは気まずくなって連絡を取っていない。妻は私が異性と食事に行くことを一度も咎めたことがない。優しい人だ。けれど私は、妻のとなりで眠るたびに軽自動車の助手席の匂いを思い出してしまう。「夫として、妻がいちばんか」と問われたら、私はいま答えに詰まる。

編集部の四人が、この独白に耳を傾けた

アキ:うん……読んでてね、最後の「軽自動車の助手席の匂い」のところで、ちょっと息が止まったんだよね。これ、めちゃくちゃ正直な人だなって思った。普通、ここまで自分の揺れを言葉にできないよ。たいていの人は「妻を愛してます」で蓋をしちゃう。でも、この方は蓋ができてないんだよね。だから苦しい。

サキ:そうですね。私もね、読みながら、この方は誠実すぎる人なんだろうなと感じていました。誠実だから、自分の気持ちに嘘がつけないんですよね。妻にも、幼なじみにも、自分にも。

ケンゴ:誠実、か。私は少し違う見方をしている。これは誠実というより、決断の先送りだろう。「スッキリしたかった」と言って昔の気持ちを伝えた時点で、この方は自分でも気づかないまま扉を一つ開けてしまっている。閉じた扉に向かって「閉じている」と言うのは簡単だが、半開きの扉の前で「これは閉じている」と自分に言い聞かせるのは、いちばん苦しい姿勢だと思うが。

アキ:ケンゴさんの言ってること、わかるよ。わかる。でもさ、「決断の先送り」って言葉で片づけるのは、ちょっと早くない? だってこの方、半年も悩んでるんだよ。半年間、毎晩となりで眠る人の寝息を聞きながら、別の誰かを思い出してる自分を責めてるんだよ。それはもう、立派に何かと向き合ってるんじゃないかな。少なくとも、向き合うことから逃げてはいない。

ケンゴ:向き合っていることは認める。だが、向き合うことと動くことは別だ。半年間、同じ場所で揺れ続けているのは、結局のところどの選択肢の痛みも引き受けたくないということではないか。妻に正直に話すのも痛い。幼なじみと完全に縁を切るのも痛い。すべてを捨てて飛び込むのも痛い。どれも痛いから、揺れたままでいる。それはいちばん長く苦しむ道だと思う。

サキ:ケンゴさんのおっしゃること、筋は通っているんですよね。ただ、私は少し違うふうに見ていて──この方、まだ自分の感情の正体を見極めきれていないんじゃないでしょうか。幼なじみへの気持ちが「恋愛感情」なのか、それとも「十代の自分を知っている、唯一の証人を失いたくない気持ち」なのか。そこがほどけないまま「どちらを選ぶか」の話に進むのは、急ぎすぎに思えるんです。夕飯の片付けをしながらふと思い出してしまう人の顔って、必ずしも恋とは限らないんですよね。

アキ:あ……それ、すごい刺さる。サキさんの言うとおりかも。「十代の自分を知っている証人」って表現、的確すぎる。

ケンゴ:その視点は同意する。だが、正体が何であれ、現状のまま放置すれば妻との関係に必ず歪みが出る。感情の解像度を上げる作業と行動を決める作業は、並行して進められるはずだ。

気づきの場所──「夫として一番か」と問う、その問いの形について

三人の対話を聞きながら、ひとつ浮かんでくる問いがある。

この方は「妻がいちばんか」自分に問い続けている。けれどその問いの形そのものを、いちど疑ってみてもいいのかもしれない。順位をつけるという発想は、いつから自分の中にあったのだろうか。誰かを愛するということは、本当に「一位を決めること」なのだろうか。

幼なじみと共有してきた二十年の時間と、妻と築いてきた七年ほどの時間は、そもそも比べられる種類のものではない。長さも、密度も、役割もまったく違う。それを無理に同じ天秤に乗せようとするから、答えが出ないのではないか。

もうひとつ。「打ち明けたらスッキリすると思った」という、あの結婚式後の行動。あれは本当に、過去を整理するための行動だっただろうか。それとも、自分でも気づかないまま、もう一度確かめたかったのだろうか──「自分にもまだ、選び直せる場所が残っているのか」を。

シオン:三人の言葉は、どれも嘘ではないだろう。動くべきだという声も、感情の解像度を上げようという声も、まずは自分の正直さを認めようという声も、それぞれの場所から見えている景色を誠実に語っている。
ただ、私はこう思うのだ。この方が本当に怖れているのは、幼なじみを失うことでも妻を傷つけることでもなく、もしかすると──「十代の自分」を、永遠に手放さなければならない瞬間が来ることなのではないだろうか。
助手席の匂いとはその人の匂いではなく、まだ何者でもなかった頃の、自分自身の匂いなのかもしれない。

第一章の小さな結論──ひとつにまとめない、ということ

この夜の対話に、結論は出ない。それでいい。

アキは言う。「半年揺れている自分」を、まずは責めずに認めていい。揺れる権利を、自分から取り上げないでほしい。

ケンゴは言う。揺れを認めたうえで、半年後・一年後の自分が立っている場所を、一度、紙に書いてみるべきだ。どの選択肢にも痛みがある。痛みの種類を見極めることが、決断の前段にある。

サキは言う。「恋愛感情」という名札を急いで貼らないでほしい。幼なじみへの気持ちの正体を、もう少し丁寧にほどく時間を持ってほしい。

シオンは言う。選ぶべきは人ではなく、これから自分が何を引き受けて生きていくか、その姿勢なのかもしれない。

もし、いま心の重さが日常生活に支障をきたしていると感じるようであれば、信頼できる第三者──カウンセラーや、夫婦・パートナー関係に詳しい専門相談機関の力を借りることも、ひとつの選択肢として持っておいてほしい。一人で半年抱えてきた重さを、別の場所に少しだけ預ける時間があってもいい。

第二章では、この方が「動く」とすれば、どんな順序で何を整えていけばいいのか。妻との対話、幼なじみとの距離、そして「自分の中の十代」との別れ方について、四人がそれぞれの言葉でさらに踏み込んでいく。

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