「善意」という名のブレーキを外す──現場が負うべきでない責任
私の職場では今、静かな崩壊が始まっています。異動してきた中年スタッフが、あまりにも多くの業務ミスを連発しているのです。お客様への対応ミス、書類の取り違え、指導の内容を反芻(はんすう)できないパニック状態。彼は一生懸命なのですが、その熱意とは裏腹に周囲の同僚たちは、連鎖的に心身のバランスを崩しています。
不眠、急な涙、ボサボサの髪。かつて明るかった彼らの姿はもうありません。 私たちが望んでいるのは、彼の能力と業務のマッチングを見極めるための受診です。決して彼を排斥したいわけではありません。
しかしどう伝えれば角が立たず、かつハラスメントと誤解されずに済むのか。自発的な受診を促すには、あまりにも時間が足りません。私たちに残された時間は、もうわずかなのです。
ケンゴ:
まず、現状を構造的に整理しよう。相談者さん、君たちが直面しているのは「個人の心の問題」ではなく、「組織の業務運営における重大な不全」だ。一生懸命取り組んでいるスタッフを前に、君たち指導係が「彼を病院に行かせる方法」を模索している現状こそが、事態を悪化させている最大の要因だ。
受診勧奨という名の、専門家でなければ果たせない役割をなぜ現場が負おうとするのか。それは君たちの業務範囲を明確に逸脱している。
サキ:
ケンゴさんの言う通りですね……。でも、現場にいるとどうしても、目の前で震える人の手を見てしまうんです。明日の朝、お客様からまた電話がかかってきたらどうしようと怯える同僚の背中を見ていると、「冷徹に組織のシステムを通しましょう」と告げるだけでは、どうしても心が痛んでしまいます。そのスタッフを「人」として大切にしたいと思う気持ちまで、切り捨てる必要はあるのでしょうか。
ケンゴ:
その「大切にする」という解釈が、結果として事態を停滞させ、同僚を共倒れさせているんだ。サキ、君の言う「情」は理解できる。しかし、感情論で動けば受診勧奨はただの「精神的圧力」となり、会社からのパワハラ認定につながるリスクが非常に高い。
私が提案するのは、情を捨てることではない。情を「適切な窓口」に預けることだ。産業医、人事、あるいは管理職という、法と制度の盾を持っている人間に、この「現場の異常」を報告という形でエビデンスとして引き渡す。それが現場の同僚を守る唯一の手段だ。
シオン:
ケンゴさんの言葉には、研ぎ澄まされた刃のような鋭さがありますね。その刃は現場の混乱を断ち切るためのものかもしれません。
ですが、組織というシステムの手続きが完了するまでの間、現場の人々は今日という一日をどうやり過ごせばよいのでしょうか。サキさんの温かさと、ケンゴさんの冷静さ。その間に流れる隙間を、今はもう少しだけ丁寧に見つめても良いのかもしれませんね。
病院への通院という行為も、個人の意志と組織の要請が重なる場所でなければ、ただの押し付けになりかねないのですから。
気づきのセクション
- 現場の防衛線:「病院へ行ってほしい」と個人の口から伝えるのを即座に停止する。それは現場が負うべき責任ではない。
- 事実の言語化:ミスを「能力不足」と主観で語るのではなく、「どのようなトラブルがどの程度の頻度で発生し、周囲の業務にどのような停滞をもたらしているか」という客観的事実リストを作成し、上長へ提出する。
- 専門機関の利用:同僚の不調は、すでに職業上のメンタルヘルス危機である。組織の相談窓口や産業医を活用すること。
相手を病院に連れて行く方法は、あなたが考えるべきことではありません。組織の管理責任を全うさせるための「報告」こそが、唯一無二のあなたの仕事です。また、体調に異変を感じている同僚の方々自身は、一刻も早く専門機関への相談や休職による休息を選択してください。



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