【大人の自分探し】「趣味がない」と悩む30代後半の女性へ。意味や生産性から自由になるヒント

「趣味がほしい」の奥にいた、もう一人の私

私は三十代後半で、地方都市の事務職をしている女性です。仕事は嫌いではありません。それなりにこなせるし、評価もされている。でも最近、自分には趣味というものがないことがやけに引っかかっているんです。

いえ、まったく無いわけではないんですよ。たまにドラマも見るし、お菓子も作る。ただ、人生をかけて極めたいとか、これが私の特技ですと胸を張れるものが何ひとつない。

休みの日にスポーツ中継をつけても、十五分で飽きてしまう。よく考えたら、そんなに好きでもなかったんだなと気づく。映画も二時間座っていると疲れてしまうし、観終わったあとに「で、私は何を得たんだろう」と思ってしまう。

どうせ何かに打ち込むなら、仕事を頑張ったほうが意味があるじゃないか。お金になるし、誰かの役にも立つ。そう考える自分もいます。

でも、ふと夜にお茶を淹れながら思うんです。働いて、疲れて、休んで、また働いて。大人って、結局これを繰り返すだけで終わっていくものなんでしょうか。何かが足りない気がするのに、その「何か」の名前がどうしても出てこないんです。

よりみちナビゲーターの対話

サキ:このご相談、読んでいて胸の奥がきゅっとなりました。「趣味がない」っておっしゃってますけど、本当に困っているのはそこじゃないですよね。お茶を淹れる時間の、あの静けさの中で立ちのぼってくる問い。「私の人生、これでいいんだっけ」という。

ケンゴ:同感だ。むしろ私は、この方を立派だと思う。趣味がないことを正直に認めている。世の中にはたいして好きでもない趣味にしがみついて、「充実してます」と自分に言い聞かせている人間のほうがずっと多い。この方は嘘をついていない。

サキ:そうですね。十五分でスポーツ中継を消してしまうのも、二時間の映画に疲れてしまうのも、私はとても正直な反応だと思うんです。体が「これは私の喜びじゃない」って教えてくれている。お菓子を焼くときの、オーブンから漂ってくるバターの匂い。あれを「たまに」とさらりと書いていらっしゃるけど、本当はそこに小さな手応えがあるんじゃないかな。

ケンゴ:サキさんの言うことはわかる。ただ──私は少し違う角度から言いたい。この方の不安の正体は「趣味」じゃなく、「時間の配分の偏り」じゃないか。働く・疲れる・休む。このサイクルには回復はあっても、蓄積がない。五年後を考えたとき、仕事のスキル以外に、自分の中に積み上がっていくものがない。それが怖いんだと思う。だから構造として、週に二時間でいい、回復でも消費でもない「投資」の時間を意図的に確保すべきだ。

サキ:ケンゴさんのおっしゃることも一理あります。ただ、私は少し違って感じていて──「投資」という言葉に、この方はまた疲れてしまわないかなと。だって、すでに「どうせやるなら意味のあること」と考えて自分を追い詰めているんですもの。趣味にまで生産性を求めたら、休日の台所まで職場になってしまう。

ケンゴ:……それは、痛いところを突かれたな。

シオン:二人の言葉は、どちらも嘘ではないだろう。ケンゴの言う「積み上がるもの」も、サキの言う「意味から自由になること」も、同じ夜に同居している。ただ、ひとつ思うのだ。趣味とは、本当に「探して見つける」ものなのだろうか。古い家の縁側に座っていると、何をするでもなく軒先を伝う雨の音をただ聞いている時間がある。あれに名前はない。けれど、確かにあれは私の時間だった。名前のない時間を急いで名づけようとしていることのほうが、この方を疲れさせているのではないだろうか。

サキ:……シオンさん。そうですね。「趣味」という名札を探すのを、やめてみる入り口もありますね。

自分に問いかけるロードマップ

  • 私は「趣味がほしい」のか、それとも「今の人生のかたちに、ひとつ問いを立てたい」のか。
  • 十五分で消してしまうもの、二時間で疲れてしまうもの。逆に気づいたら少しだけ続いていたことは何だろう。
  • 「どうせやるなら意味のあること」という物差しを、休日にも当てているのは誰だろう。それを一度、台所の外に置いてみたら何が残るだろう。
  • 私が本当に怖いのは「趣味がないこと」か、それとも「このまま年を取ること」か。名前を取り違えていないか。

本日の羅針盤

「趣味がない」という言葉は、おそらく入口にすぎません。
サキは、あなたの体がすでに正直に選り分けている小さな手応え(お菓子を焼く時間のような)を信じてほしいと言います。
ケンゴは、回復だけでなく蓄積のための時間を意図的に確保せよと説きます。
シオンは、そもそも急いで名前をつけることをやめてみてはと問いかけます。

三人の見方は、ひとつにまとまりません。けれど共通しているのは、「あなたは間違っていない」ということです。飽きっぽいのでも、欠けているのでもない。ただ、人生の真ん中あたりで多くの人が立ち止まるあの問いの前に、いま静かに立っているだけなのです。

もし、こうした「何のために生きているのか分からない」という感覚が長く続き、眠れない・気分が晴れない日が二週間以上続くようでしたら、心療内科やカウンセリングなど専門機関への相談もご検討ください。心の声に名前をつける手伝いをしてくれる人が、外にもいます。

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