「寄り添う」って何だろう?電気毛布のスイッチから考える支援と孤独の向き合い方

第一章 「寄り添う」の前に、電気毛布のスイッチを確かめる

私は六十四歳、北関東の山あいの町で一人暮らしをしています。二十年以上、町の林業組合で木を切って暮らしてきましたが、五十を過ぎたころに腰を壊し、いまは配食サービスの配達員をしています。軽トラックに保温箱を積んで一日に二十軒ほど、高齢の方の家を回る仕事です。
月に二回、社会福祉協議会の傾聴ボランティアにも登録していて、施設や自宅で話を聞かせてもらう時間を持っています。息子は名古屋にいて、正月に電話が来るくらいです。

二月の終わり、雪解け水が側溝で音を立てていた夕方でした。長く畑をやっていた木下さん、八十七歳の家に夕食を届けました。三和土(たたき)に灯油ストーブの匂いが残っていて、奥の部屋から声がしました。「夜が怖いんだ」。私は保温箱の蓋に手をかけたまま、動けませんでした。木下さんはもう、余命の話を医師から聞いている人でした。

私はそのとき何か意味のあることを言おうとして、結局「そうですか」しか言えませんでした。帰りの軽トラで自分が情けなくて、ハンドルを握り直しました。

ボランティアの研修では、講師の方がよく「スピリチュアルな痛みにも寄り添いましょう」と言います。死への恐れ、人生の意味への問い、家族を残す不安。そういう苦しみに向き合いなさい、と。言葉としては分かります。ただ、私はどこか納得できません。

木下さんが怖かったのは、本当に「死そのもの」だったのか。それとも夜になると腰が痛んで眠れず、トイレまで行くのに三十分かかり、その間ずっと一人だったからではないのか。
あの日、私が確かめるべきだったのは電気毛布のスイッチが入っていたかどうか、痛み止めが手の届く場所にあったかどうか、そういうことだったのではないか。

「寄り添う」という言葉は便利です。便利すぎて、痛みや不眠や排泄の苦しさ、説明不足、家族との気まずさといった手で触れられる問題を、全部その袋に放り込んでしまえる。そして私たち支援する側はいつのまにか相手に、「苦しみの意味を見つけること」や「死を受け入れること」を求めているのではないか。

苦しみはたぶん消えません。それでも、私に何かできることはあるのでしょうか。

よりみちナビゲーターの対話

シオン:あなたは「そうですか」しか言えなかったと、自分を責めておられる。けれど私には、あなたが木下さんの言葉を引き取らずに、そのまま置いておいた人のように見える。急いで意味を与えなかった。それは失敗と呼ぶべきものだろうか。

アキ:私も同じところで止まったよ。「夜が怖いんだ」って言われた瞬間、たぶん喉のあたりが詰まったんじゃないかな。手も止まるし、体が固まる。それって相手の怖さがそのまま、自分に届いた証拠だと思う。わかるよ、その感覚。まずは動けなかった自分を情けないって、切り捨てないでほしい。

ケンゴ:私はもう少し、実務の側から言わせてもらう。足りなかったのはあなたの言葉ではない。仕組みだ。夜間に痛みが出て眠れない、トイレに三十分かかる。これは配達員一人の心構えで扱う話ではなく、医療と介護に共有されるべき情報だ。ケアマネジャーや訪問看護に、「夜が怖いと言われた」と一行伝えていたか。そこが変わらなければ、同じ夜が繰り返される。

サキ:ケンゴさんの言うことは分かります。仕組みが動けば、次の人が救われますよね。ただ、私が気になるのはその手前です。連絡が届いて、担当者会議が開かれて、夜間の対応が変わるまでに何日かかるでしょう。その間の夜は、木下さんが一人で越えるんですよね。
あの日の夕方、あの三和土で、あの人の隣にいたのはこの方だけです。電気毛布のスイッチを確かめる、それはたしかに素人の手当てかもしれません。でも今夜のことは、今夜そこにいる人しか触れられません。

ケンゴ:サキさんの指摘は否定しない。ただ、その「今夜」を個人の善意で埋め続けた結果、支える側が数年で倒れる。私はそういう現場をいくつも見てきた。今夜と五年後はどちらかを選ぶ話ではなく、両方を回す設計が必要だ。

サキ:ええ。両方、ですね。順番の話をしているのではなく、どちらも落とせないという話でしたら、私も同じ側です。

アキ:この方が一番つらいのは、たぶん「何もできなかった」っていう記憶そのものだよね。実際には夕食を届けて、声を聞いて、帰り道でずっとその人のことを考えてる。それって「何もしていない」の反対だと思う。

シオン:ひとつ、伝えたいことがある。あの日、木下さんは「夜が怖い」と言葉にした。それは言っても大丈夫な相手がそこに立っていたからかもしれない。人は誰にでも怖さを見せたりない。あなたが受け取った沈黙は空白でなく、預かりものだったのかもしれない。

自分に問いかけるロードマップ

  • あの日、私が「情けない」と感じたのは相手のためだったのか、それとも「役に立つ支援者でありたい自分」のためだったのか。
  • 私は「怖い」という言葉を、何の話として聞いたのか。人生の意味の話として受け取ったのか、腰の痛みと孤独の話として受け取ったのか。
  • 相手に「受け入れてほしい」と願っているとき、私は誰の落ち着きを求めているのか。
  • 今夜そこでできる小さな手当てと、明日以降に人へつなぐ連絡を、私は分けて考えられているか。

本日の羅針盤

「寄り添う」という言葉は、中身を書かないまま使える。だからこそいったんその袋を開けて、痛み、眠り、排泄、説明、家族との時間というふうに並べ直す作業が要る。ここはケンゴの言う構造の仕事です。

同時に、袋を開けても最後まで残るものがある。夜の暗さ、そのものへの恐れです。それは解決される種類のものではないのかもしれない。あなたが「そうですか」と言って動けなかった数秒は、その残りものの前に逃げずに立っていた時間だったとも読めます。

答えを一本にはしません。ケンゴは「仕組みに載せよ」と言い、サキは「今夜の手触りを守れ」と言い、アキは「まず自分の固まった体を認めよ」と言う。三つのうちどれが今のあなたに必要か、それはあの三和土の匂いを覚えている人にしか決められないことです。

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