「奥さん、どこに勤めてるの?」その一言に、私は毎回うつむいてしまう

給与明細のない私の「出勤」

朝七時半、炊飯器のブザーが鳴る前に、私はもう起きている。息子が寝返りで布団から転がり落ちかけているのを、半分寝たまま抱き戻す。おむつを替えて、ミルクを作って、洗濯機のスタートボタンを押す。それが私の「出勤」だ。ただし、給料明細は出ない。

去年の春までは、私にも社員証があった。新卒で入った会社で五年、営業事務をしていた。朝、駅の改札でICカードをかざすあの「ピッ」という音が、私は嫌いじゃなかった。私はここに属している、と確認できる音だったから。

妊娠がわかって、つわりがひどくて、水も飲めなくなって、退職届を出した。あのときは「仕方ない」と思えた。産んで、落ち着いたら、また働けばいい。そう信じていた。

でも、息子が一歳になろうとしている今も、私は家にいる。

別に、サボっているわけじゃない。離乳食を刻み、昼寝のタイミングで掃除機をかけ、児童館に連れていって、また帰ってきて、ご飯を食べさせて、お風呂に入れて、寝かしつける。一日が終わる頃には、自分が今日何を食べたかも思い出せない。

それなのに、夫の会社の飲み会や、親戚の集まりで、誰かがふと言うのだ。

「奥さん、どこに勤めてるの?」

その瞬間、心臓が小さく縮む。口の中が乾く。「今は、家で……子どものことを」と言いかけて、語尾が消える。相手が気を遣って「ああ、今は育児に専念されてるんですね」と笑ってくれるたび、私は「無職でごめんなさい」と頭を下げたくなる。

同じ月齢の子を持つママ友は、みんな時短で復職している。保育園の送迎の時間帯、スーツ姿で走っていく彼女たちを見るたび、私だけが世界の時間割から外されている気がする。

先月、夫に頭を下げた。「どうしても働きたい」と。子どもの預け先をどうにか確保して、正社員の事務を一件、パートのレジを一件、履歴書を書いた。五年分のブランクをどう埋めればいいのかわからず、自己PR欄の前で三十分固まった。

結果は両方、不採用だった。

パートすら、受からなかった。

通知のメールを読んだ日、息子がお昼寝している横で、声を殺して泣いた。ニートから抜け出したかっただけなのに。社会の末席でいいから、もう一度「働いている人」に戻りたかっただけなのに。自分にはそれすら、もう無理なのかもしれない。

気持ちを切り替えたい。考え方を変えたい。そう思って検索しても、出てくるのは「専業主婦は立派な仕事」という優しい言葉ばかりで、私の胸には届かない。届かないことに、また罪悪感が乗っかる。

——どうしたら、自分を許せるんだろう。

サキがまず、隣に座ってお話を聞きます

サキ:読ませていただいて、まず思ったのは——あなたは今、二つの疲労を同時に抱えていらっしゃいますね。一つは、一歳の子を昼夜ワンオペで見ている身体の疲労。もう一つは、「働いていない自分」を一日中ジャッジし続けている、心の疲労です。

本来なら、後者だけでも一人分の重労働なんですよ。それを、前者を続けながら同時にやっている。不採用通知で泣いてしまったのは心が弱いからじゃなくて、もう両手が塞がっているところにもう一つ、荷物を持たされたからだと思います。

サキ:それから、一つだけ訂正させてください。あなたは「毎日子供と居るだけ」「ニートの状態」と書かれていましたね。私はそこで、一度ページをめくる手が止まりました。

一歳になる前の子どもを、生きたまま次の朝に引き渡す——これは世界で一番、代打の利かない仕事の一つです。給料が出ないから「仕事じゃない」のではなくて、「給料という単位では測れないほど責任が重い」から、誰も値段をつけられないだけなんですよね。

ただ、私はここで「だから専業主婦は立派なんですよ」とは言いません。その言葉はあなたがもう何十回も浴びて、全部弾(はじ)いてきた言葉だと思うから。

アキが、同じ世代の目線でもう一歩踏み込みます

アキ:私ね、読んでて一番引っかかったところがあるんだよ。「夫の知り合いに勤め先を聞かれた時が一番辛い」ってところ。

これ、たぶん「働いていないことそのもの」が辛いんじゃないんだよね。「夫の所属は一瞬で説明できるのに、自分の所属は一言で説明できない」——その非対称さが、ジリジリくるんだと思う。わかるよ、それ。

アキ:あともう一つ。正社員とパート、両方不採用だったこと。すごく落ち込むのはわかるんだけど、たった一ヶ月で二件受けて二件落ちただけで「どこに行ってもやっていけない」って結論を出すのは、ちょっと早すぎるよ。

新卒の就活で、二社落ちて「私は社会に必要とされてない」って泣く人、いないでしょ? 復職の再スタートって、新卒よりルールが複雑で、もっと落ちるのが普通なんだよ。あなたの能力の問題じゃなくて、「受ける回数がまだ足りてない」だけ。

診断:あなたを苦しめている「認知の罠」

サキ:お話を伺っていて、いくつかの思考のクセが見えてきました。これは「考え方が悪い」という意味ではなく、追い詰められた人が、ほぼ全員ハマる罠です。

罠① 「比較対象の片側切り捨て」
あなたは「働きながら育児しているお母さん」とだけ自分を比べていますね。でも、同じ月齢の子を持つ専業主婦は、日本中に何十万人もいます。SNSや職場復帰組が視界に入りやすいだけで、見えていない多数派があるんですよ。

罠② 「無職=ニート」という単語のすり替え
「ニート」は、就学も就労も、そして家事労働・育児労働もしていない状態を指す言葉です。あなたは24時間、一歳児の命を預かっています。どの辞書を引いても、あなたはニートに該当しません。この単語を自分に貼ったのは、あなた自身なんですよね。

罠③ 「採用結果=人間の総合評価」
不採用の理由の大半は、「応募者の人格」ではなく「その会社のその時期の募集人数と条件」です。あなたが落ちたのではなく、椅子の数が足りなかっただけのことも、本当に多いんですよ。

【第一章の結論】

あなたが変えるべきなのは「考え方」じゃなくて、自分につけている肩書きのほうです。

「無職の専業主婦」ではなく、「離職期間中の、一歳児の主保育者」。これは気休めの言い換えではなく、事実の正しい記述です。前者は自分を裁く言葉、後者は履歴書に書ける言葉。同じ毎日をどちらの言葉で生きるかで、不採用通知の重さはまったく変わってきます。

「どこに勤めてるの?」と聞かれたとき、うつむく必要はありません。「今は育休明けの求職中で、子どもを見ています」——これだけで十分、社会的に成立する答えです。あなたが恥ずかしがっているのは事実ではなく、事実にあなた自身が貼った「無職」という赤いラベルのほうなんですよね。

まずは、そのラベルを一度、静かに剥がすところから始めましょう。次章では、具体的に「何通目で受かるのが普通なのか」「ブランクをどう翻訳するか」を一緒に整理していきます。

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